今日授業を終えると、携帯電話の電波がなぜか圏外になっていました。

 

そうです、ソフトバンクユーザーです。

 

ソフトバンクの電波が脆弱なことを承知しているので、(山に登ればすぐ圏外、登らなくても我が家は電波状態が常に悪い)どうせ障害でも起きたのだろう、と思いました。

もしかしたら、ベテルギウスが爆発してその放射線で電波が途絶しているのか、なんてことまで考えました。それなら空が明るくなるはずですが、曇天は曇天のまま。

 

ところが、電車に乗ると周りの人は平然と携帯電話を使っている。

私だけなのか、ということは本体が壊れたのか、直すのか、面倒くさい、など疑問は湧きましたが、

新宿のソフトバンクショップに行くと、大規模な電波障害だそうで。

 

それなら結構。

元に戻るまで待てばいい。

うちに帰ってwifiにつなげばよろしい。

 

帰宅してネットのニュースを見ると、結構な話題になっていたようで、

怒り心頭の人やら、公衆電話に列ができたやら、これまた大騒動の様相で。

 

なんとなく鬱然としました。

もちろん、どうしても仕事の電話をかける必要があったり、ドライバーが電話をかけられなかったり、

緊急の電話があったり、呑気でいられない立場の人もあろうかと思います。

しかし、ほとんどの人は、私と同様に使わなければ使わないで済んだ人ではなかったかと思います。

 

それよりもぞっとするのは、もしこれがサイバーテロの類(せっかくなのでベテルギウスの爆発も入れておきましょう)で、あらゆる電波に障害が生じたら、それだけで都市を中心に簡単にパニックを引き起こせるということです。

サマーウォーズみたいだ。

 

逆に言えば、私たちは情報をいかにこの小さな電子画面に頼っているのか、ということです。

 

携帯会社の電波のシステムの脆弱さを追求するより、

私たちは自らの現実に対する脆弱さに危機を持った方がよいのではないかと思います。

 

本当に、すべての携帯会社の電波が使えない事態が生じたらどうするんでしょうね。

 

こういう思考の狭さで思い出したことがありました。

 

少し前から、テレビ番組で存在しない祭りを捏造したという話があり、

その是非が問われていることです。

 

架空の祭りを放送することに問題点があるとすれば、

それは当の国の人に対して視聴者が誤解をするということにあります。

本来祭りはその土地の神(またはキリスト教)への感謝や祈願ですから、

その宗教を侮辱することになりかねません。

ところが、これはコーヒーフェスティヴァルということで、「祭り」というよりは「イベント」色が強い。

そこになぜだかは分かりませんが、便乗して日本の制作会社が企画を持ち込んだということでしょう。

 

 

その一方で、この問題がなぜこれほど多くの人の不快感を誘っているかというと、

制作会社だけが事実を知り、テレビ局、タレント、現地の人に対してするべき説明をしていないという点にあります。

もう一つ、こうした祭り描写の根底には、先進国の人間が、発展途上国の奇妙な風俗に笑いを求めるという、差別的な視線があるといえます。

 

どちらかというと私の不快感は、そうした差別的視線があることです。

しかし、だれもその視点からもの申す人はいない。

きわめて一本調子の批判に終始している。

 

思考の範囲が狭く、歴史的なパースペクティヴを持っていないことのほうに私は危惧します。