「アンパンマンのマーチ」の冒頭にある詩の一節です。

詩を書いたのはもちろん、原作者のやなせたかし氏です。

 

私は、小さい頃とくにアンパンマンが好きだったわけでもなく、

(私は何かと何かが戦う、壊れる、というのを極度に嫌う子供でした。)

この歌は、「愛と勇気だけが友達さ」という歌詞の、「だけ」の文法説明の例文として

たまたま歌詞を検索しただけなのですが、

そのとき初めて全体の内容を知ってただただ感銘を受けました。

 

この視聴者である3〜5歳児にむかって、

「生きる」ことについてここまで本気で語りかける歌があることに心底驚いたのです。

 

そうだ 嬉しいんだ

生きるよろこび

たとえ胸の傷が痛んでも

 

この冒頭は、「そうだ」という肯定で始まります。

同時に、この「そうだ」というのは、「そうなんだ」という発見でもあります。

 

この3行では、倒置法が使われています。

「胸の傷が痛んでも、生きるよろこび(は)嬉しいんだ」という構文です。

 

全肯定した「生きるよろこび」に「胸の傷が痛んでも」というネガティヴな足かせをかける、

「人生楽ありゃ苦もあるさ」方式ですが、ここでは倒置法と「たとえ〜でも」という陳述の副詞が、

きちんとその効果を表しています。

(肯定と足かせの効果です。)

 

ただし、この1番の歌詞は、放送はされていません、子供向けでないからという理由だそうです。

(そりゃそうだ、と思います。)

 

その後も、よくぞこんなことを書くものだという歌詞です。

 

なんのために生まれて

なんのために生きるのか

答えられないなんて

そんなのはいやだ!

 

この歌の「生きる」の背後には「死」が見え隠れしています。

それは同じAメロの旋律の第2番を見るとわかります。

 

なにが君のしあわせ

なにをしてよろこぶ

わからないままおわる

そんなのはいやだ!

 

時間がループする子供向けのアニメのなかで、

「おわる」という詩句は衝撃的ですらあります。

もちろん、その日が終わる、だけかもしれませんが、

Bメロの終わりは、次のようになっています。

 

時ははやくすぎる

ひかる星は消える

だから君はいくんだ

ほほえんで

 

「ひかる星は消える」のが朝になるという希望を持った言葉にはみえません。

それは、「ひかる」以上、「星」は肯定的なものであり、「消える」は「おわる」との縁語になり、ネガティヴな意味あいを帯びてくるからです。

そのあとの「だから」という順接の接続詞も気になります。

「すぎる」「消える」に続くため、急き立てるような、ニュアンスを生み出します。

 

しかも、このフレーズ(Bメロ)は短調に転調し、1行ごとに音程を上げていく反復進行(ゼクエンツ)になり、

「だから」で再び長調に戻ります。

ネガティヴな言葉を短調にし、「だから君はいくんだ」ということばで長調に戻る。

 

「いくんだ」には、事実の断定以外に、「君」という存在に語りかけている以上、

断定と命令の二つの意味を帯びてきます。

その急き立てるような強さに対して、「ほほえんで」という弱い表現が対立します。

 

なぜ、「微笑む」のか、「笑う」「笑顔」ではないのか。

音数の問題ではないでしょう。

そこには、一種の悲壮感が漂います。

「胸の傷がいたんでも」と響き合うためです。

旋律的にも、短調から長調へゼクエンツで解決することで、それ以外の選択肢はないのだという、

限定した感覚をもたらします。

なぜなら、私たちは、そうしたネガティヴなものにたいする、他の解決が示されないからです。

「いくんだ ほほえんで」「とぶんだ どこまでも」この解決のフレーズは、左の詩のいずれかです。

倒置法も、強意表現として、動作に強制力を与えます。

 

 

ここに続く、最後のBメロとサビでは、

「たとえ胸の傷がいたんでも」のかわりに、

「たとえどんな敵が相手でも」となっています。

「敵」という対象が、最後の最後に現れます。

しかし、これがバイキンマンを指すとも思えません。

「どんな」という複数を匂わせる詩句と、

この歌全体に「敵」や「戦い」を示すものがあまりに少ないからです。

 

むしろ、この歌では「君たちはどう生きるのか」がテーマになっています。

「敵」というのは、方便にすぎません。

アンパンマンの生きる目的は、バイキンマンを倒すことではない。

「みんなの夢まもるため」とありますが、むしろ、「生きることに対する無目的」こそが敵だ、

というふうに、この歌からは読み取られます。

(そんなのはいやだ!というわけです。)

 

「勧善懲悪」という言葉がありますが、

考えてみれば、この言葉は「悪をこらしめる」のであって悪を「滅ぼす」「倒す」ことではない。

「倒す」ことを正義にした場合、その正義を行使するときには、暴力となるためです。

その正義がその瞬間から悪に変わります。

「優しい」アンパンマンは、決して滅ぼすことがない。

この発想は、日本ならではの英雄像なのかもしれません。

水戸黄門もそうですし、寅さんもそうです。

 

どんな苦しいことがあっても、生きなければならない。

生きている以上、お腹は減る。

やなせ氏は、アンパンマンを世界一弱いヒーローだと、どこかのインタビューで語っていましたが、

「そうだ うれしいんだ」と奮い立たせるように、断言しきる肯定ほど強いものはないのかもしれません。

 

この内容から、特攻隊で戦死した弟を意識した、という話もありますが、本人は否定していました。

しかし、死と生が隣り合っていた戦争体験が、この歌の背後にあることは間違いないことです。

この歌の中に「正義」ということばがまったくなく、

そして、「戦い」「勝つ」ということばがないことからもわかります。

 

そして、よく冗談交じりに「愛と勇気だけがともだちさ」ってどんなぼっちだ、と言われるのですが、

案外、たしかに孤独なもので、「みんなのため」であろうとしたときには、

「愛と勇気」くらいしか、彼を動かす原動力になるものはないのかもしれません。

なにしろ、「愛」も「勇気」も持つことは難しく、それを「みんな」という大きな他者へ向けることはさらに難しいことですから。