「私の尊敬する人」などというのは、よく子供のアンケートにある題材の一つで、
多くの子供が「お父さん」や教科書の偉人を書く優等生達に囲まれて、
私が書いたのは「平賀源内」でした。
この人か南方熊楠が、私の小学校5年までのトップだったと言っていい。
とにもかくにも変人が好きだったようで、しかも、何をしていたんだかいまいち分からない。
多芸多才、その割に何か記念碑的なとてつもない業績を残したわけではない。
すごいのだけど、何がすごいのかといわれると困る、二人ともそういうタイプの人です。
とくに平賀源内は、発明家、蘭学者、本草学者、地質学者、戯作作者、浄瑠璃作者、俳人、画家、
それに「土用の丑の日は鰻」などというキャッチフレーズを作ったとまで言われながら、
何一つ自身では完成しなかった、できなかった人です。とても素敵です。
究極の二流の人、と言ったら失礼でしょうか、奇矯な天才、当時から「山師」呼ばわりをされ、
当人もそれに憤懣やるかたなしと、戯作の端々に人々の誹謗を攻撃しています。
才人なれば、その人生は脚色に満ち、とにかくドラマティックで逸話の宝庫。
どのくらいその逸話が実話だったかは分かりません、ある程度は本当だったのでしょうし、
あるいはそういうことを言ったりしたりするような人物だったのでしょう。
最後は殺人者として獄中にて病死します、これは実話。
当時から山師扱いされたのですから、現在にいたるまでそのイメージを改めるのは難しい。
そこに何かもどかしさがありました、けばけばしい原色の源内は何か違う気がします、
こういう多才な人間には、何らかの屈託があるはずだと思うのです。
その長い疑問に応えてくれるような研究書を見つけました。
福田安典氏の『平賀源内の研究 大坂篇』(ぺりかん社、2013年)です。
讃岐の一俳人白石四十吉がいかにして平賀源内となったかを初めて人間的に見せてくれた好著です。
『近世畸人伝』にもある超変人の医学者・旭山戸田斎の門人として、
30歳という遅まきのデビューから、同時代の文芸・学界との関わりの中で、源内が
どのような位置にあったのか、漢文学や医学書、そのパロディの戯作を駆使して読み解きます。
残念ながら漢文学に疎いばかりか、江戸の戯作文学にも俳諧にも疎いため、
すべてを明白に理解するにはいたっていませんが、
蕪村、秋成、鐘庭らと同時代人であることを、はっきりと位置づけられています。
難波の戸田旭山、江戸の田村藍水の弟子として、薬草会(薬品会)を開き、
木村蒹葭堂と出会った可能性を同人たちのリストから迫るのはスリリングでした。
大阪の学者たちが集い、あれこれと論議する姿が目に浮かぶようです。
木村蒹葭堂というのも面白い人で、小説家・中村真一郎晩年の『木村蒹葭堂のサロン』は
稀有の作品として以前瞠目して読んだものです。
現代の『澁江抽斎』といってもいい作品です、丁寧で、想像力に充ちた名著です。
福田氏の研究書では、派手派手しい源内はほとんどありません。
それよりも、故郷を捨てがたくも捨て、門人として師の論敵に対する手厳しい批判、
本草学者としての矜持とそれゆえのコンプレクス、さまざまな思いが透いて見えてきます。
そういえば、彼は賀茂真淵の弟子だったのですね、それに鈴木春信や大田南畝の友人、
なんとも豪華な顔ぶれで、何かを引っ張ると必ずどこかに源内が出てくる、
やはり興味深い人物です、ますます好きになりそうです。
多くの子供が「お父さん」や教科書の偉人を書く優等生達に囲まれて、
私が書いたのは「平賀源内」でした。
この人か南方熊楠が、私の小学校5年までのトップだったと言っていい。
とにもかくにも変人が好きだったようで、しかも、何をしていたんだかいまいち分からない。
多芸多才、その割に何か記念碑的なとてつもない業績を残したわけではない。
すごいのだけど、何がすごいのかといわれると困る、二人ともそういうタイプの人です。
とくに平賀源内は、発明家、蘭学者、本草学者、地質学者、戯作作者、浄瑠璃作者、俳人、画家、
それに「土用の丑の日は鰻」などというキャッチフレーズを作ったとまで言われながら、
何一つ自身では完成しなかった、できなかった人です。とても素敵です。
究極の二流の人、と言ったら失礼でしょうか、奇矯な天才、当時から「山師」呼ばわりをされ、
当人もそれに憤懣やるかたなしと、戯作の端々に人々の誹謗を攻撃しています。
才人なれば、その人生は脚色に満ち、とにかくドラマティックで逸話の宝庫。
どのくらいその逸話が実話だったかは分かりません、ある程度は本当だったのでしょうし、
あるいはそういうことを言ったりしたりするような人物だったのでしょう。
最後は殺人者として獄中にて病死します、これは実話。
当時から山師扱いされたのですから、現在にいたるまでそのイメージを改めるのは難しい。
そこに何かもどかしさがありました、けばけばしい原色の源内は何か違う気がします、
こういう多才な人間には、何らかの屈託があるはずだと思うのです。
その長い疑問に応えてくれるような研究書を見つけました。
福田安典氏の『平賀源内の研究 大坂篇』(ぺりかん社、2013年)です。
讃岐の一俳人白石四十吉がいかにして平賀源内となったかを初めて人間的に見せてくれた好著です。
『近世畸人伝』にもある超変人の医学者・旭山戸田斎の門人として、
30歳という遅まきのデビューから、同時代の文芸・学界との関わりの中で、源内が
どのような位置にあったのか、漢文学や医学書、そのパロディの戯作を駆使して読み解きます。
残念ながら漢文学に疎いばかりか、江戸の戯作文学にも俳諧にも疎いため、
すべてを明白に理解するにはいたっていませんが、
蕪村、秋成、鐘庭らと同時代人であることを、はっきりと位置づけられています。
難波の戸田旭山、江戸の田村藍水の弟子として、薬草会(薬品会)を開き、
木村蒹葭堂と出会った可能性を同人たちのリストから迫るのはスリリングでした。
大阪の学者たちが集い、あれこれと論議する姿が目に浮かぶようです。
木村蒹葭堂というのも面白い人で、小説家・中村真一郎晩年の『木村蒹葭堂のサロン』は
稀有の作品として以前瞠目して読んだものです。
現代の『澁江抽斎』といってもいい作品です、丁寧で、想像力に充ちた名著です。
福田氏の研究書では、派手派手しい源内はほとんどありません。
それよりも、故郷を捨てがたくも捨て、門人として師の論敵に対する手厳しい批判、
本草学者としての矜持とそれゆえのコンプレクス、さまざまな思いが透いて見えてきます。
そういえば、彼は賀茂真淵の弟子だったのですね、それに鈴木春信や大田南畝の友人、
なんとも豪華な顔ぶれで、何かを引っ張ると必ずどこかに源内が出てくる、
やはり興味深い人物です、ますます好きになりそうです。