チケットを貰ったのでBunkamuraのシャヴァンヌ展に行ってきました。
ずっと「シュヴァンヌ」だと思ってました、すみません。
美術が専門ではないのですから、許していただきます。

先入観のない目で観る…ことができるわけはないので、
誰だこいつ的な目で観ていましたが、
おやおや、私の好み、どんぴしゃりでした。

ピエール・ピュエス・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)、
繊維業で繁栄した中世都市リヨンで生まれ、第二帝政のパリ大改造の頃に、
新しい建築の壁画制作を数多く行った人です。

シャヴァンヌはイタリアの旅行中にルネサンスのフレスコ画を見て影響を受けたということです。
以降、色彩は漆喰の柔らかな乳色をまとい、人物は切り抜かれた絵を風景に貼ったようになります。
大事なのはプロポーションであり、写実ではありません。

古代ギリシア・ローマ彫刻や壁画をそのまま写し取ったような、
また、初期ルネサンスの画家たちの祭壇画を写したような、
静謐な画面に、何らのドラマもありません。

興奮もなければ、悲哀もありません。
人物たちは各々のポーズをとったまま画面に配置され、
お互いが知り合うことすらなく、会話を交わすでもない。

ただ置かれ、組み合わせられ、組み立てられたもの。
三角形、楕円、対角線、平行線、斜線、
その画面には明確な構成線を引くことができます。

それらの幾何学的な線に支配された画面は、彼ら自身が何事かを語ることはありません。
それでも私は、この作品がfabula(物語)だと思うのです。
内容を語るのではなく、その構成がもたらすリズムが一つの詩であるような絵画。

彼がイタリアのフレスコ画に惹かれたように、
イタリアには詩にせよ、絵画にせよ、音楽にせよ、建築にせよ、
幾何学的な秩序が見た目以上に優先されているところがあるように思われます。

ダンテやペトラルカの作品にひたすら感銘を受けるのは、
その内容よりもその内容を形作る形式的な美しさです。
言葉は厳密に配置され、それが作品の秩序を見えないところで支配する。

そして、私がアッリーゴ・ボイトという詩人に共感を覚えるのも、
彼がダンテやペトラルカの詩の形式のもつ隠された幾何学的秩序を愛していたからです。
それは「形骸 formula」ではなく「形式 forma」を導きます。

19世紀を通じて自然主義・写実主義に対して、
こうした幾何学的形式はあまり高い地位を得なかったようですが、
どうも再創造された幾何学的形式性は、かならずどこかに生き延びたようです。

ロマン主義のけばけばしい内容と生々しさの横溢によって隅に追いやられた
幾何学的形式性のもつ厳密な静謐さと、フレスコ画の柔らかな色調を
シャヴァンヌは大切に保存し、ピカソやバルテュス、モランディへと遺産を継承しました。

個々の人物は何かの「引用」であり、構成員としての役割以上を持たず、
図像学的な意味の重畳が避けられ、意味は最小限に、あるいは意味を持たない記号となります。
アルカディアとは、意味からの解放だと、私なら解釈します。

描かれたものが語るのではなく、描かれたものが語られることが絵画のかつての機能でした。
私が最も美しいと信じている一つの物語は、一枚の絵から始められます。
世界最古の小説のひとつ、ロンゴスの『ダフニスとクロエー』です。

「レスボスの島で狩をしていたわたしは、ニンフの森でこれまで目にしたこともない、世にも美しいものを見た。それは一枚の絵に描いた、ある恋の物語であった。」
書き手は、この絵の絵解きをする人を探し、恋物語を書き記します。

この絵がどのような絵であるのかは分かりませんが、異時同図法を用いたもののようです。
ここでは描かれた人物の行為は意味を持っていますが、
その「美しい絵」は物語られるためのもの、物語を紡ぎだすものなのです。

「私」はこの絵の内容を知らないままに美しいと思い、
「この絵にふさわしい物語を書いてみたい」と望みます。
絵画と物語はその場から立ち現れるものとして働き、詩人の口を通して神が語るのです。

絵画がムーサイの芸術から外れ、しかもソクラテスによって否定されたとき、
おそらくは絵画は幾何学を司るウーラニアーを仲立ちとして、
叙情詩のエウテルペーと讃歌のポリュムニアーへと歩みを進めるのだ、と夢想します。

シャヴァンヌは束の間、意味の解放をもたらし、形態の遊戯の中へ、
これから現れる物語の側へと軽やかな足取りで私を誘いました。