今日11月25日は、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をした日です。
1970年、いまから43年前のことです。
当然生まれてもいなかったので、そこに何らの思い入れもないわけですが、
ああいうとんでもないことをしておいて(何しろ、自衛隊を占拠したのは彼ただ一人です)
犯罪者としてではなく文学者として、今なお謎めいた死として語られる、
それが偉い。
馬鹿にしているのではなく、これが弱小の作家なら抹殺されるはずのことです。
しかし、その自衛隊占拠と割腹自殺までが、一つの作家の営為として認められている、
これは作家三島由紀夫の勝利でしょう。

もともと、三島が嫌いだった私は大学に入ってようやく三島を読みました。
まず『金閣寺』、次に『豊穣の海』、以降全集。
いったんのめり込むと、もう大変です。

とにかく読んだ方がいいものを挙げておきますと、
①『金閣寺』これは自分でもうまくいったと認めています。冒頭の、読点のやたら多い文章は、吃音のレトリックです。
②『午後の曳航』短い作品ですが、登場人物と状況に応じて地の文の書き方が全部分けられています。驚異的なレトリックです。
③『アポロの杯』三島の旅行記。とにかく面白いですし、三島の美学的な価値観がもっともよく読み取れる作品です。
④『豊穣の海』長い作品ですが、やはりこれを読まなくて三島は語ってはいけないでしょう。
そして、どこかの元知事が、最後の『天人五衰』を読んで「ひどすぎて涙が出た」と書いていましたが、さても愚かな。
これは80歳の老人を表す文体です。
さらに、自分の好きな大団円的な結末をすべて放棄し、
何もない月修寺の庭を語り手である本田に見せて終わります。
この結末では、定家の和歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦野と苫屋の秋の夕暮れ」を
解釈したエッセイがヒントになります。
「なかりけり」を言うために幻の花と紅葉を歌に充溢させたとあるように、
松枝清顕が「いなかった」ことを言うために、これまでの物語のすべてがあったことを告げます。
しかし、そればかりではなく、三島は最後の最後まで恐ろしいことをやり遂げます。
若い御附弟が「今日は朝から郭公が鳴いておりました」と言うことです。
最後から二つ目の文章、
「そのほかには何一つ音とてなく、寂莫を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本田は思った。」
いかにも、本田のために用意された空虚という悲劇的な結末です。
膨大ないわば60年の背景を持つからこそ、庭が何もないように見える。
しかし、思い出してみれば、「郭公」は鳴いていたのです。
時間はあるのです。何もないのではない、人からみればただの庭なのです。
三島は本田の言葉にヒロイックな感傷があることをもぶち壊し、
そのために「郭公が鳴いていました」などというどうでもよい台詞を投げ込んだのです。
まったく、驚くべき周到さと意地悪さです。
そして、このことに三島を読むほどの者は気がつかなければなりません。

彼の文章は人間の本質などというよりも、レトリックだけで作られたハリボテこそ本質と思い、
また思わせようとした人だと、私は思っています。
実に無類に壮麗なハリボテです。

しばらく三島の作品から離れてしまいました。
戯曲はいつも近くにあったのですが。
そろそろ小説にまた戻ってもいいのかもしれません。
また違った読み方ができるのかもしれないと思いつつ。


※蛇足
初心者にお薦めの三島は以下の作品です。
①『三島由紀夫のレター教室』実に下らなくて馬鹿馬鹿しくて、洒落の効いた作品です。すべて書簡だけで作られる小説で、日本でこれほどエスプリの利いた書簡小節は皆無といってもいいでしょう。
②『幸福号出帆』クラシック音楽ぎらいと公言していた三島が、いかにオペラを的確にドラマティストとして理解していたかを知ることができます。莫大な遺産が転がり込んだ老オペラ歌手と、その息子とされる男と妹たちのスペクタクル。
③『夏子の冒険』男たちの凡庸さに飽き飽きした夏子が、修道院に!?しかし、船で出会った男に彼女は惹かれ・・・三島らしいどんでん返しが待ち受ける、佳品。
④『美しい星』これは①~③を読んでからお勧めします。自分たちが宇宙人だと気がついた一家が、地球を救うためにしたこととは、そして、癌に倒れた父に待ち受ける運命はいかに。

戯曲についてはまたいつか。
12歳から45歳の死までに、全集40巻にわたる著作を残した、そのことだけでも壮絶な作家でした。