この数日間、ヴェルディとボイトの書簡集を抜き書きしながら、
《ファルスタッフ》の草稿が送られた辺りの書簡を読んでいると、
とうてい論文には書けないような妄想をせずにはいられないので、
ここでちらりと書いておきたいと思います。

モンテカティーニの温泉で療養するのは、
1882年以来のヴェルディとジュゼッピーナの夏の習慣でした。
半月ばかりの滞在のさなか、突然にボイトから手紙が送られます。
中にあったのは《ファルスタッフ》の台本草稿でした。
現在では失われたこの草稿がどのようなものであったのかを知ることはできませんが、
ヴェルディは驚喜します。

7月6日、「すばらしい!すばらしい!」と始まる書簡は、「あなたの草稿を読んだ後、『ウィンザーの陽気な女房たち』と『ヘンリー四世』、『ヘンリー五世』をもう一度読みたくなりました。「すばらしい」を繰り返す他ありません、何しろあなたが書いた以上にうまくできやしないのですから。」とただただ絶賛が続きます。
一言、「最後の幕は、数少ない幻想的なところであるにもかかわらず、カンツォーネやアリエッタなどなどの小曲を全部もってしても、たいしてうまくいかないのではないかと、私も心配します。」と、すでに第一報でやる気十分です。

ボイトは7月7日の返信で、喜劇の結末は常にうまくいかないと、
ゴルドーニやモリエールやロッシーニを引き合いに出して述べます。
その上で、結末を「仮装した二組の結婚式」にする案を出します。

このボイトの返信とはちょうど行き違いに、同日づけの書簡で
ヴェルディは自らの高齢を訴え、そのことを考えたかとボイトを難じます。

対する7月9日のボイトの返事がふるっています。
「あなたの年も、いつ話すのかも、いつ書くのかも、いつあなたのために仕事するのかも、私は全く考えていない、その通りです。あなたのせいなのですよ。……あなたは《オテッロ》の後でこう言いました、『これでは善き終わりを迎えられない』と。」
悲劇は身体に悪く、喜劇は身体に良いとまで言います、フォスコロの詩句を引用して。
いかにも、温泉療治中にあるヴェルディに向けられた言葉です。
「私は誰にも言いませんでした。秘密裏にすれば、穏やかにやれるでしょう。いつも通り、自由で機敏なあなたの決定を待っています。私は決定を左右してはなりませんし、あなたの決断はいずれにせよ思慮深く強く「もうたくさんだ」と仰り、同じだけ「もう一度」と仰ることでしょう。」
と締めくくるこの書簡に、有無はありません。
「私は決定を左右してはなりません io non devo influenzarla」と言いながら書くことを強制する、
ボイトの手応えは十分確かです。

案の定ヴェルディは、翌日の書簡を「アーメン:かくあれかし!」と始めました。
「さあファルスタッフをやりましょう!邪魔や年齢や病気のことは差し当たり考えないで!私も徹底して秘密を守りたいと思います。誰にも何も知られないようにというのには私もよくよく賛成します…ところがここだけの話…ペッピーナ(ジュゼッピーナの愛称)は知っていました、誓って、私たちよりも先にです!…疑いなきよう、彼女は秘密は守ります。まったく女性はこういう性質を持っているのですね、私たち男性よりはるかによく知ることができるのです。」

妻ジュゼッピーナが秘密を知っていた!しかも、彼らより早く!
そりゃそうだろうさ、と思うのです。
おそらく、ヴェルディは最初の台本草稿を送ってもらった時点で、
シェイクスピアはないかとか、あるいは草稿を何度も読み返して、
あからさまに浮き浮きとしていたに違いないのです。
仮に、台本のことを言わなかったとしても、
ボイトと何かを企てようとしていることは一目瞭然だったことでしょう。
勘がいいも何も、50年一緒にいて何も気付かない方がおかしい。

翌日のボイトの返事は「やった!!! Evviva!!!」で始まります。
もう、何と言うか、有頂天ですね、まるで芝居の台詞のようです。
ジュゼッピーナが知っていたことについて、
「ジュゼッピーナさんが我々に先んじて知っていたのですか!これは女性の勘の不思議ですね。…巫女ジュゼッピーナ様によろしくお伝えください。」
この空とぼけた様子は実にふるっています。

私は彼らのやりとりの中に、十年かかって築き上げた信頼関係と
大変に人間的な遊び心を感じずにはいられません。
彼らは、もうほとんど自分たちが何をするべきかを分かっていたのでしょう。
それは最初の手紙が送られたときに、すべて決まっていたようなことなのです。

そして、これが肝心ですが、ジュゼッピーナの名前をヴェルディが出したとき、
彼は《ファルスタッフ》と現実の世界を重ね始めた、賽は投げられ、ゲームが始まりました。
フォードやファルスタッフに対して、アリーチェらの女房たちが一枚も二枚も上手であること、
ヴェルディは妻をその女房たちの場所にまつったのです。
ボイトも喜んでそのゲームに乗っかりました。
彼らの書簡には具体的な劇作に関わる議論もありますが、
本当に大切なのは、彼らが架空の人物を演じ始めること、
嬉々として芝居の側に足を踏み入れていくことなのです。

「この世はすべて悪ふざけ、人は生まれつきの悪戯好き。」

この言葉は常に二重の意味をもつ格言となり、
それゆえにここに皮肉も含んだ笑い声を聴き取ります。
この創作そのものが一つの上機嫌な遊戯であり、舞台にかかった芝居であったのでしょう。
いい年をした男二人がこっそりと始めようとした真剣な遊戯も、現実という舞台の上では
みんな妻にはお見通しだったという落ちが、最初に待っています。

そうすると、人生は芝居というあのテーマが潜んでいます。
実にシェイクスピア的な劇中劇ではないでしょうか。
延々と拡げられる、あるいは収斂していく劇中劇。

何しろ、《ファルスタッフ》第2幕第2部では
アリーチェが「さあ、舞台を準備しましょう」と部屋の家具の配置を変え、
第3幕第2部ではファルスタッフが「歌でこの舞台を閉じよう」というのです。
(私はこのファルスタッフの詩句を《ハーメルンの笛吹き男》に織り込みました。
私もまたゲームの為手でありたいのです。)

このときボイトは名女優エレオノーラ・ドゥースと恋仲にありました。
フェントンとナンネッタの恋愛が、
彼らの関係を暗示しているというオストホフの指摘は、おそらく正しい。
ボイトはヴェルディに宛てて「彼らは結婚しなければなりません」と書きました。
もちろん、そんな個人的な感情ばかりで作品ができているわけではありません。
それでも、彼らが何かを《ファルスタッフ》に仮託したことは確かです。
途方もなく複雑で、微細なものたちによって作られている何かを。

ちなみに、ドゥースは、ロンドンで1894年に《ファルスタッフ》を観て、
ボイトに「あのファルスタッフはメランコリックでした」と書き送ります。
結局、悲しいことに、彼らは結ばれず、しばらく後に別れます。
それも実のところ、分かっていたような気がしなくもない。
そういう多義的な言葉によって紡ぎだされているのが、
《ファルスタッフ》という台本であり、音楽なのです。