我ながら「自責の蜷局(とぐろ)」とはすごい表現だなと思う。
本当にそこにいなければ出てこない言葉だ。
確かにそいつはどっしりと私の胸のあたりに熱をもって居座っていた。
己の尻尾を食いながらさらに成長していく、終わりも始まりもわからぬような
気味の悪い怪物だった。
今は少しほどけた。
日がな一日、大量の自責に気づいていく。
そして止める。
地味にこれしかない。
一年前の自分が必死で自分を励ましてくれてる。
今見ると少し上滑りというかふわふわとしている。
何とかしなきゃと思いつつも怪物と真っ向見つめあうのは怖かったんだ。
でも切実で嘘ではない。だからちゃんと今も伝わってくる。
自分を励ましていくのは大事だ。
今でも怖いけど、そもそも自分で生み出したものだし
そこまで成長させたのも自分だと分かってきた。
私を殺そうとしているわけではない。
何か私に言いたいことがありそうなのだ。
自責となっていたエネルギーは心も体もむしばんで
人ひとり動けなくさせるすごいものだ。
しかしそうやって、その存在をアピールするのだ。
ここに大きなエネルギーがあるよと。
そして、このエネルギーの使い方まちがってるよと。
ほどけてきた怪物は動き出し行き場を探している。
停滞していた熱は胸を焼くのを止めて腑に落ちていく。
手足に血が宿る。
怪物は龍のごとく体を巡りはじめる。
私の体調は4年前、1年前と比べて変わってきた。
元気になってきた。
朝は体操するし、自転車で一駅先まで行けるようになった。
仕事も少しずつ始めている。
しつこくてあきらめの悪い昔の私にありがとうと言いたい。