みんな、いつも読んでくれてありがとう💗
両親が亡くなった後の遺産相続問題を、裁判に進まずに、調停で和解すると決めたわたくし。
闘うか、闘わないか。
自分の正当性を主張したい気持ちでいっぱいでしたが、母としての選択をして「闘わない」と決めました。
決めた後も色々考えてしまうし、これでいいのか、これでよかったのか。
自分で決めたことだけど、それでも頭の中はグルグルしました。
そんなグルグルの中で、ドリフのもしもシリーズが出てきました(古っ)
もしもわたしが弁護士だったら・・・
きっと闘っていただろう。
(というか、弁護士だったらこうなる前に手を打っていたから、そもそもそんなことにはならないと思うけど)
もしもわたしが、母でもあり弁護士でもあったら・・・
やっぱり闘っていただろう。
だってそれは、自分の仕事と、母としての仕事が一致しているから。
思いっきり闘える。
思いっきり自分のやりたいようにすることができる。
でもわたしは、違う。
わたしの仕事は「いのちの授業」がメイン。
この世に生まれてくるすべてのいのちが尊い。
どんないのちも大切。
大切じゃないいのちなんて、ない。
死んでも良いいのちなんて、ない。
でもあいつだけは、死んでよし( ´艸`)
あいつだけは、生まれてこなくてよかった( ´艸`)
そんな風に思っていたら、そんな気持ちで憎いあいつと対峙し続けていたら・・・
言動不一致の講師。
言動不一致の先生による「いのちの大切さを伝える授業」なんて、受けたいと思わないですよね。
そんな人の話、聞いてるのもばかばかしい( ´艸`)
そんな人の話、聞きたくもない。
そんな講師だって言うことは、きっとバレるんです。
だって子どもはめちゃくちゃ素直で繊細だから。
子どもはそういうところに、すぐ気づく。
恐ろしいほどに、バレバレだ。
怖いほど見抜かれている。
ちょっとした言葉遣い。
ちょっとした動き。
ふとした瞬間の表情。
そんなところから、バレてしまう。
だからわたしは、いのちの授業の講師として闘わないことを選んだ。
そしてわたしは、母として闘わない道を選んだ。
きっとそれは自分の大切な軸なんだろうな。
アルデンテマザーという言葉があるけれど、その大切な芯の部分なんだろうなと思う。
芯がありつつ、しなやかに生きる。
それが大事💗
