先にご紹介致しました事例の「時の交差」。
このお話しの主役である彼女から、先日、後日報告を頂きました。


あの後も、彼女は度々、亡き夫の面影と遭遇した場所に足を向けていました。

勿論、買い物でスーパーにも立ち寄らねばなりませんから、必然的に行くことにはなるのですが、表の広い通りに面した道はあえて使わず、あの裏道を通ってしまうのです。

また再び、夫の面影と遭遇出来ることを、やはりどこかで願ってしまうのです。

しかし、あれ以降、奇跡はありません。

でもある時、彼女はふと気付いたそうです。
あの場所、そう、あの小さな四つ角。
そこに目立たずにひっそりと佇む古い石碑があることに。

何か文字が刻まれているものの、時の流れに石が削れて消えかけており、読み取ることが出来ません。

何とか判別出来る文字から推察するに、そこにかつて神社が寺があって巡礼の霊場であったのではないか。

そこで彼女は自宅に戻ってからインターネットで色々調べてみましたが、何も情報を得ることが出来ませんでした。

役所にも聞いてみました。担当の方がわざわざ現地に出向き調べてもくれましたが、結局わからず。
地域の人にも尋ねてみたものの、やはり、わからずじまい。

時の中で忘れ去られた歴史の一ページ。それを紐解くのは容易くは無さそうですが、いつか知っている人にたどり着けるだろうと、彼女は今も調べ続けているそうです。


なぜ、あの場所だったのか。
あの場所に何か意味があったのだろうか。
彼女の内に残っていた小さな疑問。
それがもしかしたらわかるのではないか。
そんな思いなのです。

はっきりとしたことは彼女の報告を待ちたいと思いますが、その場所が他の場所とは違う特別な場であったことに間違いはなさそうです。

神社やお寺が建てられる場所というのは、土地のエネルギー的にやはり特別な何かはあるのだと思います。

歴史的背景の事情から移転されたり壊されたりして、例え今は無くなってしまっていても、元々その地に息づくエネルギーは存在し続けているかもしれませんし、かつて人々が足を運び、色んな想いを願い祈った場には、多くの想いのエネルギーも残っているのかもしれません。

つまり神社やお寺は、天と繋がる何か特別な聖なるエネルギーが存在する場所である場合も少なくないのではないかということです。

あの場所もそうであったのかどうかは定かではありませんが、今を生きる人々には忘れ去られてしまった何の変哲もない名も無き路地に、かつて、いやもしかしたら今もなお、天と繋がるエネルギーラインが存在しているのかもしれません。

そうだとしたら、あの不思議な出来事があの場所で起こったのも偶然ではなかったと思えます。

もう一度彼に会いたい。
そんな彼女の叫びにも似た願い。
それは確かに天に届いていた。
そして天が神々が、そして亡き夫が、天からそれに応えてくれた。
天と繋がるエネルギーポータルの場でそれが実現された。

かつてその場を通ったかもしれない彼と、彼女の時間が時を越え交差するという不思議な現象が…


何だか改めて、そんなふうに思えてしまいました。


「時の交差」の中でも触れましたが、世の中には本当にまだまだ私達の知らない不思議がいっぱいあるのかもしれないと、つくづく感じた彼女からの報告でした。



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