前回①の続き

約150年程前の恐らくイギリス方面。
Aさんにとっては今世の一個前の直近の過去世でしょう。

ター子ちゃんはこの時にAさんと共に生きた犬でした。

穴ネズミとかを掘っていた犬の原種に近い、毛が短い小型の犬です。

この犬は生まれてすぐの時に風邪なのか何かの病気にかかってしまい、幸い命は落とさずに済んだものの、視力がほとんどない状態になってしまいました。

過去世のAさんはこの子犬を不憫に思い、家族の一員として大切に育てたようです。

恐らく生前も、そして死後も、この犬はそれをすごく感謝していました。

そして死後、「困った時や何かあった時、今度は自分が力になりたい。今度は自分が目になれるように…」と魂の意思で思ったようです。

そんな思いを抱きながら、それを形に出来るチャンスがやっと巡ってきて、今世を生きるAさんの元に行けることになったのに、なぜ2年程と寿命の短いハムスターを選んだのか、最初は不思議でした。

本当はター子ちゃん自身は犬の魂だから、やっぱり犬として生まれたかったのです。

でもAさんの側が、犬を飼う環境に無かったか、ご自身に犬を迎える意思が無かったため、天とター子ちゃんの判断で結果としてAさんが受け入れてくれる種になったということでしょう。それがハムスターであった訳です。

鑑定の際、Aさんもその通りであると仰っていました。

以前飼っていた犬が亡くなった時の哀しみから、「もう犬は亡くした時につらいから飼いたくない」とずっと思い続けてこられたそうです。


ター子ちゃんは、ハムスターの平均寿命である約2年という、犬と比べたら圧倒的に短い時間であっても、それでもAさんの元に行きたいという強い思いに変わりはなかったに違いありません。

それに本来、動物達にとったら、時間の長短は人間が思うほどには、さほど重要ではないようですし…

これは以前『若くして動物達を亡くされた方へ②』の項でも、天の言葉としてお伝えした通りです。

初めてご拝読頂く方のために、改めてその天の動物界 (動物界の中でも「人間と関わりを持つ動物達の魂の集合意識」からと思われます。) からの言葉の部分だけ貼り付けます。


『「人間社会の身勝手によって生きる権利を不当に奪われる」ことなく、それぞれの生を精一杯生きた結果に迎える死ならば、動物にしろ、鳥にしろ、物質界での命の期間の長い短い、つまり時間というのは、当人の意識にはあまり関係はないものです。

人間は愛の元で共に暮らしていた動物が先に死ぬと、いつまでも悲しみますが、死んだ動物達は人間が思うほどには、それほど悲しいとは思ってはいないものなのです。

それよりも愛の元で暮らせたことへの幸福と満足のほうが勝っているものです。

自然界に生きる者達であっても、人間に愛され共に暮らしていた者達であっても、また、偶発事故であっても、寿命であっても、病気による死であったとしても、皆、それぞれの時間を生きたというだけです。

動物達にとってはそういう捉え方なのです。

悲しみはむしろ人間の側の心の問題です。

私達の存在と命を通して、あなた方がまたひとつ愛を知り、より愛深き人になることを、私達は魂の幸福と誇りにすることが出来るのです。

なぜなら、命を慈しむがゆえの悲しい気持ちや大切に思う気持ち、そして愛を教えるためにも、私達は存在するのですから。

あなた方に愛を刻んでその生涯を終えられることが、私達の生きた証であり、私達の存在の意義を果たせたことでもあり、私達の幸福なのです。』


天の動物界の思いは、人と愛の絆によって結ばれた動物達みんなの魂の共通の思いでもあります。
ター子ちゃんも愛する人の側で、愛する人の力になりたい、支えたい、そんな一心で喜々として生まれ来たのでしょう。

もうそこには、犬であるとかハムスターであるとか、寿命であるとか、時間であるとかは、もはや関係無かったのではないかと思います。
ただ、早くAさんの元に行きたい…もうすぐ行くから待っててね!と、はやる気持ちでいっぱいだったことでしょう。


こうしてハムスターデビューしたター子ちゃんですが、やはり平均的な寿命に近い年月で、再び天に戻ることになってしまいました。

ター子ちゃんはちゃんと魂の願いを遂げることが出来たのでしょうか。
Aさんの目となれたのでしょうか。

きっとター子ちゃんがAさんの元に来たタイミングの前後は、Aさんにとって、これからの未来に向けての人生の転換期であったのではないかと思います。

これまでのしんどかった部分を手放し、癒やし、魂が望む幸せに向かっての、また新たな一歩を踏み出すための時期です。

ター子ちゃんと天は、そんなAさんにとって大切な時期を選んで、少しでもAさんを側で見守れるように、生まれ来る時を決めたのではないかなと感じます。

そしてきっと実際に、ター子ちゃんという存在がAさんに笑顔と救いを与えたのではないかと思います。

そしてまた、ター子ちゃんが完全に天(霊界)に戻った後も、Aさんが望む未来へ迷わず進んでいけるように、これからもAさんを導く目となってくれることでしょう。


動物達って、たまに愛ゆえの奇跡だって私達に与えてくれるけれど、特別な奇跡なんかが無くとも、互いの間に愛があれば、ただ側にいるだけで、人生の時を共に生きてくれているだけで、私達からは例え見えなくとも大きな力を与えてくれているものです。

それに気付くのは何年か先かもしれない。
その子がこの世を去ってからかもしれない。
あるいは私達がこの世を去る時に人生を振り返ってみた際かもしれない。

でも間違いなく、その子がいた日々は、そして共に生きた日々は、かけがえない宝になっている…

Aさんにとってもきっとそうであるに違いありません。

今、ター子ちゃんは天の愛に抱かれて、Aさんの側に居られた日々にとても満足しています。
与えられた時間の中なりに、そして自分なりに、魂の望みや自分の役割を果たせた充実感です。

でもこれからの未来もずっと、来世もきっとその先も、Aさんを支え目になるというター子ちゃんの魂の思いは決して変わることなく続いていくでしょう。

それが愛なのです。
それが彼ら動物達の愛なのです。

そして、愛の絆は永遠なのです。死によって途切れるものでも絶たれるものでもない。
ちょっとビザの書き換えに天に帰国するようなものなのです。

例え天と地、住むところが違っても、例え時空をまたいでも、例え私達がこの物質界で生きるために肉体に魂の記憶が閉じ込められて、過去世からの愛の絆を忘れてしまっていても、それでもその絆は決して切れてはいない…


それを実感できるター子ちゃんのもう一つのエピソードがありました。

ター子ちゃんの過去世を聞いたAさんが、実は…と話してくれたことがありました。

Aさんは以前亡くした犬との別れがあまりにつらかったため、もう犬は飼いたくないと思ってこられたと、先に触れましたが、その時の犬が目が見えない子であったそうなのです。

歳月を遡った、かつてのある時。失明してしまっている老齢犬を保護して家族に迎えることにしたのだそうです。

過去世でも今世でも、Aさんの優しさは変わりません。同じように、目が見えない犬を放っておけなくて、自らの元に迎え入れていたのです。

いえ、むしろ、過去世のター子ちゃんと同じように目が見えない境遇の子を前にした時に、Aさんの魂の内に眠るター子ちゃんへの愛の記憶が、Aさんを突き動かした面もきっとあったでしょう。

無意識ながらも、その目の見えない子に、前世のター子ちゃんを重ねて見たということです。

でもそれだけではない、もう一つの大きな背景もありました。
それは二匹の間の特別な繋がりだったのです。


Aさんは、以前亡くしたこの犬が、もしかしたらター子ちゃんの生まれ変わりだったのではないかとお尋ねになりました。


けれどそれはター子ちゃん自身ではありません。でも何らかの繋がりがある気がしました。

探ってみると、最初に『分霊ではないが根は同じ』という言葉が入ってきました。

ああ、やはりそうかと思いました。そして全てがわかりました。

例え生まれ変わりではなくとも、出会いには意味がある…と。

Aさんの亡きご愛犬とター子ちゃんは別の魂です。
でも二匹の間には魂の繋がりがありました。

わかりやすく言いますと、二匹は魂の家族。
あるひとつの進化した魂から分かれた子供達のような存在。つまり魂レベルでの兄弟のようなイメージです。

これは物質界で生きていた時に兄弟だったということではありません。勿論、魂同士の繋がりから兄弟として生まれてくる場合もありますが、そもそもの魂の繋がりは天でのものです。

例えばそれはスピリチュアルの世界でよく言われる、ツインソウルであるとかソウルメイトであるとかに、近しいものになるのかもしれません。

彼らは自らの仲間が物質界に生まれ降りている時も、天で見守っています。

それは物質界で生きる子にとっての守護存在の一員のようなものとも言えるでしょう。

彼らは魂の意思のどこかで繋がってもいて、何らかの特別な時には物質界にいる仲間を導いたり守ろうとします。

Aさんの元に目が見えない老犬が現れたのも、恐らくそんな年齢で路頭に迷うことになったのは、目が見えなくなり捨てられた可能性もあるのではと推測しますが、その窮地を救うため、Aさんの元にその子を導いたのが、どうやらター子ちゃんだったようなのです。

それはきっと「おかあさん、かつての自分のように困っている仲間がいるの。助けてあげて」のごとくに…

元々、別々に、繋がりもなく生きていたAさんとその子が引き寄せられた背景には、こうして、目が見えない辛さや不自由さを身に染みて知っているター子ちゃんの仲間を心配する思いと、そんなハンディを背負った日々を惜しみない愛情で支え守り、幸福に満ちた生涯にしてくれたAさんへの絶対的信頼があったということでしょう。

Aさんも肉体の意識では気付いていなかったでしょうが、魂の意識がそれに応えた。

家族として引き取ってから、そしてその子が亡き後も、別れの悲しみが歳月を経た今も続くほどAさんにとってその子が特別な存在になったのも、ター子ちゃんから託された子であったことと、ター子ちゃんと魂で繋がる分身のような子だったから、Aさんの魂の内でター子ちゃんの面影とター子ちゃんへの愛が呼び起こされていたからなのかもしれません。

Aさんのその子への愛は、きっとター子ちゃんへの愛でもあったのだと思います。

そしてター子ちゃんも、仲間を通してAさんの温もりをきっと感じていたはず。それは自分もAさんの側にいるようで嬉しかったはずです。

『互いの愛の絆は、例え物質界に生きて魂の記憶が封じ込められていても、天と地と生きる場所が違っても、いつもずっと繋がり続けている』のです。

愛しい動物達が亡くなると、私達にはもうその子の魂は見えません。
だから姿も声も思い出も、全てがまるで幻だったかのように、どんどん遠くなっていきます。

この世のどこを探しても、もうその子はいない。
だから、存在そのものが消えて無くなってしまったような気になってもしまいます。

でも見えないだけ聞こえないだけで、その子はここからは見えない場所でちゃんと存在しているし、ずっと繋がってもいるし、ずっと見てくれてもいるのです。

死という別れの哀しみの中にある方達に、このター子ちゃんの事例が、少しでもお悲しみを和らげる救いとなってくれることを心から願っています。


そして、いつかもし、皆様の前に現れる動物達がいたら、その出会いは偶然ではないかもしれません。

もしかしたら、あなたの魂が愛し待ち続けてきた存在かもしれない。

もしかしたら、あなたの大切な存在からあなたに託された子かもしれない。


どうかそんな思いで、動物達との全ての出会いを大切になさって下さい。

あなたの前に現れたどの子にも、愛してやまない存在のつもりで、その手を差し伸べてあげて下さることを合わせて心から願っています。

それはきっと、いつの日か、あなたの人生と魂のかけがえない宝になるはずだから…


そして最後に。

私は幽界・霊界という言葉は本当はあまり好きではありません。

何だか、おどろおどろしい異次元の別世界のようなイメージがあるから。

本当は、どこまでも暖かく優しい愛に満ち溢れた場所なのです。


今回のター子ちゃんを始め、家族の一員として愛され生涯を終えて、亡き後も愛の元に冥福を祈ってもらえる動物達は幸せです。

その愛に守られて、ほぼ間違いなく天界に入っていける。

そして天の愛に抱かれ、幸福と満足に包まれて無事に戻るべき場所に戻っていける。

でも、いつも繰り返し言うことですが、世の中には、幽界にすら入ることが出来ないまま、死んでもなお、苦しみの中に閉じ込められ、天界からの導きの光にも気付けず時の流れの中に取り残されている子達がいることも忘れないでほしいのです。

実験動物を筆頭に、虐待され殺された子、恐怖の中で殺処分された子、毛皮のために殺されていく子、そして産業動物として食肉のために殺されていく子達、等々…

その子達を救うために、どれだけ天の存在達は涙と労力をはらっているか。

それでも、その子達自身が、あまりに深い闇の中にいて、それに気付けず、或いは気付こうとせず、留まることを選択してしまっていることが多いのです。

どんなに声をかけても、物質界の周波数の中に留まり続けていれば天からの声も手も届きにくい。

例え届いても、ただ闇の中で怯えて、全ての感覚を遮断していたり、パニックのような状態だったり、時の中に閉じこもるように昏睡していたりして、自ら光の導きに従うことを拒んでしまう場合も少なくない。

天とて、そんな全ての動物達を救いたい。けれど天の管轄に入っていなければ、救済には困難を伴うのです。

天は願っています。そういう子達を生まないようにするのも、その魂を救うことが出来るのも、この世に生きる私達なのであり、みんながそれに気付いてくれることを。

どうか、家族である愛する動物達に向けるその愛を、少しでも、世の中の全ての動物達、生き物達にも向けて下さい。

そして皆様の愛がこの世界を変えてくれることを、心より願っています。

全ての生命が愛に抱かれ、天に帰っていけますように…






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死後の動物達を霊視すると、その子その子で様々な視え方がします。

生前の生活や思いだったり、その子の魂の本来の姿だったり、あるいは魂の意思が色濃く反映されていたりする場合もあるし、亡くなり方が死後の状況に影響を与えている場合もあります。

またその時点でどこに居るかによっても視え方が変わってもきます。

このように、みんなそれぞれに死後の状態は少しずつ違いますが、天である(いわゆる)霊界に完全に上がる前に入る、(いわゆる)幽界に入ってしまってさえいれば、もうそこは天の管轄なので安心と言えるでしょう。

ではこの天の入り口である幽界とは何か、以前にも何度か書いたことがあると思いますが、今回の事例のお話しをするにあたって、前知識として思い出して頂きたいので、お話しを始める前に、そこらへんを念のためもう一度ザクッと説明しておきましょう。

ここではわかりやすいように、一般的によく言われる「霊界」「幽界」という表現を使わせて頂きます。


【霊界】
いわゆる天国。最終的に魂の帰る場所です。

【幽界】
順当にいけば一般的に死後3日位から2週間位で天界の光に導かれて入る天の管轄の層。

どれくらいで幽界に入るかはその子によって差がありますが、平均して1週間前後が多いようです。

私がよく「光の扉」と表現するのは、この幽界への入り口です。

動物達の場合、この幽界には大きく二つの役割があります。

一つ目は正にリハビリ的な役割。
そのため私はよく幽界をリハビリ層と表現するほどです。

肉体から離れても、しばらくは生前の肉体の感覚が残る場合もあります。
生前の病気や怪我、老化などによるダメージを癒やし、エネルギーを浄化、修復するためのリラクゼーションルームのような場所と言えばよいでしょうか。
その子その子にとって最良の癒やしが用意されるようです。


二つ目は天、つまり霊界に上がる準備の役割です。

幽界にいる間に、今まで暮らしてきた物質界の周波数から、天に入るための周波数に、波動を上げていく。つまり物質界という一番低い波動の次元から、天という一番高い波動の次元にチューニングをしていくのです。

物理学的なことは詳しくないので正しく説明できるかわかりませんが、ニュアンスだけでも伝わるよう表現してみますと…(言葉や単語の使い方が正確ではないかもしれませんが)

私達、魂の存在の本質はエネルギー体であり、それぞれに波動を持っています。

魂達が天に居る時は、光の次元である天の周波数に合わせて、魂達の波動も高いものになっています。
でも物質界は周波数が低いため、肉体をまとい一体化するために魂達は物質界に合わせて波動を低くしていかねばなりません。

(なぜ物質界が周波数が低く、天が高いのか、それは存在している全ての者や物は固有の振動数を持っており、振動数が低ければ低いほどそれは物体になり、振動数が高ければ高いほど光になっていくからです。)

ちなみに、物質界の周波数の中で生きる者には、天は見えません。天の存在達の姿も見えません。それは周波数が正に「天と地」に違うからです。
ラジオを聞く時、チャンネルをその放送局の周波数に合わせないと聞こえないのと同じな訳です。

こうして、幽界に入った魂達が波動の周波数を徐々に上げていくのは、宇宙飛行士が宇宙に発つ前、少しずつ身体を無重力に慣らしていくのとも似ているのかもしれませんね。

そうやって天の愛の元で癒やされながら、天に帰る準備をしていくのです。

この幽界に居る期間ですが、人間でいう「四十九日」と言われるものに当たり、その子その子で若干の差はあるものの、順当にいけば1~2ヶ月位であることが多いようです。


さて、今回ご紹介するのは、この幽界に入った死後の動物達の事例です。


ハムスターのター子ちゃん。(プライバシーに配慮し仮名にしております。)

亡くなってまだ一週間ほどの、死後日が浅い鑑定となりましたが、すでにター子ちゃんは光の中にいて、無事に幽界に入っているようでした。

ター子ちゃんの現在の状況を霊視した時に、まず最初に強く印象を受けたのは、天界の白い美しい光と、温もりを感じる淡いクリーム色の光。この2つの光です。
ター子ちゃんはその中で眠っているようでした。

よく視ると、白い光の世界の中で、クリーム色の優しい光がター子ちゃんを包むように取り囲んでいます。まるで光のゆりかごのようです。

ター子ちゃんは、おやつのカールの形のようになって、お腹と手足を上にしています。何だか頭を上にした胎児の姿勢も連想します。

ター子ちゃんは完全に眠っているふうではなく、たとえば私達がリラクゼーションのマッサージをされて、あー気持ちいいなあと、心身共にリラックスしてウトウトしてる時のような感じです。

そして、そんなまどろみの中にいるター子ちゃんの天上から、何やら優しい声が降り注いでいるのに気付きました。
女性の声です。

その様子がまるで、胎児がお腹の中で、お母さんの声を聞いているような感じにも思えてしまいます。


その声が何と言っているのかは、はっきりとは聞き取れませんが、愛情に満ちていてター子ちゃんに安心を与えてくれているようです。

ター子ちゃんは、ただただ優しいその声と光に包まれて、何の不安や苦しみもない穏やかな安らぎの中にあるのです。


この声の正体は何だろう。天の存在だろうかと一瞬頭をよぎりましたが、意識を向けると、それがどうやら飼い主であるご相談者のお声のようだと、すぐにわかりました。

きっとご相談者であるAさんが、生前のター子ちゃんにかけていた愛に満ちた言葉や、亡き後のター子ちゃんに語りかけている祈りの声なのでしょう。

それらが絶え間なく、静かにゆっくりと、遠くから届くこだまのように、優しく降り注いでいるのです。

涙が出ました。

もし私がター子ちゃんでも、こんな状況の中にいたら正に極楽。「天国」と形容したくもなるでしょう。

ター子ちゃんにとって、そんな最良の癒やしとなる環境が、天の愛の元にター子ちゃんに もたらされているのです。

このター子ちゃんを通して視た光景は、全てが美しく、かつ、限りない愛に満ちていて、とても胸を打たれました。


鑑定時にこれをご相談者のAさんにお伝えすると、Aさんは少し驚いたように、えっ!と声を上げた後、ちょっと涙ぐんだようなお声で教えて下さいました。

ター子ちゃんが生前に愛用していたベッドがちょうど、おやつのカールを緩やかにしたゆりかごのような形で、ター子ちゃんはそのベッドの形に添って、お腹を上に、正にカールか、はたまた頭を上にした時の胎児かのような姿勢で寝ていたのだそうです。

そしてそのベッドに敷かれたハムスター用のお布団(毛布かな?)がクリーム色であったそうです。

ベッドとお布団はター子ちゃん亡き後の今も、ター子ちゃんの祭壇に置いてあげているとのことでした。


ああ、そうか。あのクリーム色の光は、生前のター子ちゃんにとって一番リラックス出来る使い慣れたベッドとお布団のエネルギー体か、あるいはそれを天が再現してくれているんだと思いました。


物質にも波動があります。つまりエネルギーです。愛用していたものや想いの入ったものには魂が宿るとよく言われますが、こうやって死後しばらくはエネルギー体として亡き存在に寄り添ってくれているのかもしれません。
それが無い時には、再現したものを天が用意してくれるのでしょう。
いずれにしても、全ては天の計らいです。


このように、どうやら幽界では、どの子にも、生前一番リラックスできた環境が用意されるようです。


例えば、別のご相談事例である、シマリスのチビちゃん(こちらもプライバシーに配慮して仮名にしております)の場合は、幽界の光の世界の中にあるはずで、明らかにその光も感じるのに、なぜかチビちゃんは真っ暗な中で眠っているのです。

一瞬それがまるで地中のようでもあり、モグラにでもなったかのようなイメージでもあり、天界にそぐわぬ暗さに「え!?なんで?」とビックリしましたが、なんてことはない。次の瞬間すぐにわかりました。リスって木の穴や地中に巣を作り、普通暗い所で寝てるんだと。

チビちゃんは天が用意してくれた、まるで巣穴にいるような心地よい寝床で、本人も気持ち良く眠っているのです。

しかしこの子、よく寝るな。他の種の動物達に比べると、何かずっと寝てるみたいだなと思いました。

そこの所も含め、ご相談者さんにお伝えしたら、泣き笑いで、やはりリスが暗い所を好んで寝床にすること。野生下では木の穴や地中の穴を巣にしていること。冬眠も含めよく寝ることを教えて下さいました。何でも野生のリスは睡眠時間が平均15時間だそうです。

生前チビちゃんが愛用していた寝る場所も、まるで樹上の巣穴か地中の穴のような雰囲気を味わえる暗い環境を作ってあげておられたそうです。

ああ、だから私は「モグラみたい」って思っちゃったんですね、と涙々のご相談者さんと笑いあいました。


このように死後まだ浅い時の動物達は、今まで暮らしてきた日々や種としての生態の大きな影響の中にあります。
ですから天は、天の入り口であり、既に天の管轄である幽界に帰ってきたばかりの魂達に、「おかえり」とのごとく精一杯の愛で迎え、「まずは安心してゆっくりお眠りなさい」と、生前の一番安心出来る環境を再現して与え、ねぎらってくれているのではないかと思います。
まるで長旅から帰ってきた我が子をいたわる親のように…

幽界に入りさえすれば、とりあえずは安心だと言うのも、こうして天の深い御加護の元、守られ導かれていくからだということが、これらの事例からも、おわかり頂けるのではないかと思います。


では再びター子ちゃんに、お話しを戻しましょう。

次に、ター子ちゃんに降り注いでいた天上からの声についてですが、ご相談者のAさんは確かにター子ちゃん亡き後、ひとりで天に向かうター子ちゃんが不安を感じないように、ずっとター子ちゃんに、「心配しないでも大丈夫だよ」と語りかけておられたそうです。

言葉や想いは亡き子にも伝わっています。たとえ生きている時には人間の言葉がわからなくとも、魂の存在になれば、言葉と想いのエネルギーがちゃんと互いの共通の言葉のように、テレパシー的に伝わるのです。

ター子ちゃんの場合はそれが美しい旋律のメロディーと光に彩られた子守歌のように降り注いでいたということです。
それもまた、ター子ちゃんのために天が計らってくれたものなのではないかと思います。

きっとター子ちゃんにとって、愛する家族であるAさんのお声が聞こえている環境が、生前もそして亡き今も、何より一番安心出来て、幸せを感じられるからに違いありません。

愛する家族に声をかけてもらう幸せ。
声に乗せて愛を伝えてもられる幸せ。
家族の気配をいつも身近に感じて暮らす日々の幸せ。

その象徴こそ、正に声だったのでしょう。

だからこそ、まるで天界が奏でる美しいしらべが降り注ぐがごとくの胸打たれる光景となって、ター子ちゃんにもたらされていたのではないかと思います。


でももしかしたら、私達の亡き子を想い語りかける祈りの言葉は、こんなふうに、どの子にも大なり小なり降り注いでいるものなのかもしれませんね。


愛する家族である動物達と共に今暮らしておられる方には、日頃から愛を言葉にして存分に伝えてあげて頂きたいと思いますし、亡くされた方にも、亡き子へ愛を沢山伝えてあげてほしいと、改めて思います。

それがきっと、これから、あるいは、いつの日か、天に帰っていく子達の救いや支えとなってくれるはずですから…


さて、そのター子ちゃん。Aさんとは過去世からの固い愛の絆で結ばれていたことも合わせてお話ししておきましょう。


続きは次回に

続く



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たびたび触れているように、愛する家族である動物達を亡くし、悲しみの中で、「ああしてやれば良かった」「こうしていれば良かったのか」と様々な後悔にさいなまれる人は少なくありません。

むしろ、動物達との今生での死別は、どんな別れであれ、みんな大なり小なり後悔はついてまわるものです。
愛していればいるほど、その愛が真に深ければ深いほど、後悔なき別れはないとさえ言えるほどに…


そんなご相談の中でも特に多いのが、病院で最期を迎えさせてしまい看取ってあげることが出来なかったという後悔です。

出来れば最期の時は自らの腕の中で、安心して逝かせてやりたかった…

あの子は病院でひとりぼっちで心細くなかっただろうか、怖くなかっただろうか…

見捨てられたと思ったのではないだろうか…

魂はちゃんと我が家に戻って来れるだろうか…

看取ってあげれなかったことを恨んでいないだろうか、悲しんでいないだろうか…

と自責の念の中で苦しまれているのです。


でも今まで長年数多の鑑定をしてきて、かけがえない家族として愛されて生涯を終えた子達が、看取ってもらえなかったことを恨むような例は、まずありません。

勿論、愛する家族に看取られてその時を迎えたいのは彼らとて同じではあるはずだけれど、具合が悪いことを心配して良くなるようにと病院に連れて来られたことは理解しているものです。

例え肉体の意識ではわかっていなかったとしても、魂ではちゃんとわかっているものなのです。


飼い主は最期の最後の瞬間まで、回復を願ってしまうものです。

もう厳しいかもしれないと胸によぎっても、それでも最期のその時を迎えるまで、例え愚かと思われようとも望みは捨てられない。

きっと回復してくれる、またここから元気を取り戻してくれる、そう願って病院に連れて行くのです。

そして、その思いは彼らにもちゃんと伝わっている…

だから、むしろ死後の彼らは魂の意識で、「悲しませてごめんね」「元気になれなくてごめんね」と思っている場合がとても多いのです。

そして自分を責めて苦しむ飼い主さんを心配もしている…

そこに亡き子への真の愛があるのなら、亡き子が恨むなんてことは余程のことが無い限り、まずない。
想いはちゃんと通じているものだから。

それに、魂の存在になった彼らにとっては、もはやどこで死んだかは、あまり重要ではない場合がほとんどです。

そこに強い愛の絆があれば、死後、ちゃんと魂は、愛しい我が家にも戻っているものです。

確かに病院で亡くなり、そのまま魂がそこに留まってしまう例もありますが、それは例えば、病気になって面倒だからと後のことは病院に任せて、まるでやっかい払いのように捨てたも同然だった場合や、長期に渡って預けっぱなしで面会もなく、不安や病の苦しみを彼らの魂に刻ませてしまうほどに彼らを苦しめてしまった場合や、病院自体に何らかの問題がある場合など、特殊な状況に限られるように思います。

結局、すべては想いの力、つまり想いのエネルギーの如何なのだと思います。

その子を愛し、心配し、回復を祈る。その想いがどれだけ強く純粋であるか。どれだけその愛が偽りなき真実のものであるか…なのではないでしょうか。
その愛がその子の魂を導く光となるのです。


また、中にはあえて看取ってもらうことを彼らの魂の意思で避ける場合もあることもお伝えしておかねばなりません。

愛する動物達を看取ったことがある方なら、きっとおわかり頂けるのではないかと思いますが、最期の瞬間まで看取ることが飼い主の責務であるとわかっているからこそ、皆さん辛くとも別れに果敢に立ち向かう。

でも本当は、愛して愛してやまない存在が苦しむ姿を見ることはこの上ない地獄だし、その愛しい存在が死にゆく姿ほど、怖くつらいものはありません。

その場面は強烈に焼き付き、その子亡き後も、長きに渡り、その子を想うたび一番にその場面が蘇ってしまうのです。

共に生きた楽しく幸せだった日々の思い出よりも、その子を亡くした哀しみや別れの時の痛みが勝ってしまうのです。

そうして思い出すことすら避けるようになって、かけがえない思い出さえ、胸の奥にしまい込んで蓋をしてしまうのです。

特に人一倍繊細な方の場合、その哀しみに耐えきれず、後々に渡って心にも身体にも影響が出てしまうことも少なくありません。

彼らはそれを察して、例え病院でなくとも目の届かない時に死を迎えようとすることがあるのです。

自分の死にゆく姿を見せることが愛する人に多大な哀しみと痛みを与えてしまうことがわかっているから、あえて見せないように魂の意思で選択するのです。


以前、鑑定で正にそんな事例のご相談者の方が仰っていたことがあります。

回復を願い病院に望みを託して愛犬を預け、いざ病院を後にしようとした時、頭の中で「バイバイ、じゃあまたね」と言われた気がしたそうです。

「普通に考えれば、気のせいか、自分が動転して変になったかと思うかもしれないけれど、その時はあの子からの声だと自然に受けとめた自分がいた」と仰います。

でもまさかこの世での別れの「バイバイ、またね」だとは思わず、彼女は心の中で「明日また来るからね」と返したそうです。

しかし、その後、病院でその子は息を引き取りました。

ご相談者の彼女もまた、こうして病院で亡くならせてしまって、最期を側にいて看取ってやれなかったことを悔やみ、ご自身を責めておられました。

でも、あの時、彼女に届いた言葉は間違いなくその子の魂からのメッセージでした。

それは、「もう逝くけど、でもまた会えるから悲しまないでね」という想いのこもった『じゃあまたね』だったのです。

それと同時にこの子から感じ取ったのは、「過去世においても今世においても、『家にいる』『家を守る』『家族といっしょ』」という魂の意思でした。


この子は過去世で二度に渡り、彼女と家族を守ってきた存在でした。


一つ目は恐らくチベットの方。
家を追われて布物か敷物か、それに包んだ家財道具か何かを、もののけ姫に出てくるヤックルみたいな大きめの野性的なヤギ(急斜面の崖の上とかを走るような)らしき動物に背負わせて、家族共々崖を伝って逃げていくビジョンが出てきました。

普通の動物なら通れないであろう道。ヤギ系であったから荷物を積んでみんなを導き通ることが出来たようです。

そのおかげで、ヤギも家族もみんな無事に逃げきることが出来ました。
家族はこの子に救われました。

二つ目はもっともっと古い時代。
乾燥した土の壁の家々が見えます。火が街全体に上がっていて、人々が逃げ惑う中、彼女達家族もロバを引いて急いで避難していく映像が見えました。

恐らくイタリア、ナポリ近郊にあった古代都市ポンペイでの火山噴火だったのではないかと思います。

詳しいことは知らなかったので後で調べると、火山が噴火した後に火砕流が発生し街を飲み込み、街は消滅したようです。

彼女達家族は、この時はロバであったこの子と共に無事に逃げおおすことが出来ました。

このように、この子はいずれの過去世においても、彼女達家族にとっては家族を守ってくれた存在でした。

そしてそれは過去世のこの子にとっても、『魂の意思においての自分の使命』であり、また大変な災厄を家族と共に乗り越え、家族を守る役目を果たしてきたことが『魂の誇り』でもあったのです。

そしてまた、『家族と共に生き、家族を守る』ことが、過去世においても今世においても、この子の魂の何よりもの望みであり幸せであったのです。

だから亡き後のこの子の魂は、今世では過去世のような家を追われて逃げなければならない大変な災厄が家族の身に、「何もなくて良かった」とホッとしているところがあるようでした。

ちなみに過去世でこの子が家族として共に生き、守ってきた彼女と家族は、二度のいずれの過去世においても今世においても、彼女と現在の彼女のご主人です。

つまり過去世から何度か夫婦になってきた彼女達夫婦の元に、この子はいつも戻ってきていたのです。

この子にとって、彼女とご主人は正に愛おしい魂の家族であり、帰るべき自分の場所、我が家であったのです。


そして、もうひとつ感じたのが、この子は愛しい大切な家族を守るために、彼女達夫婦が将来かかりうるかもしれない病気を、まるで未然に防ぐかのように自分が身代わりになって我が身に引き受けたのではないかということです。

今世では過去世のような災厄は家族の身にふりかからなかったけれど、この子は家族を守ることに誇りと使命を持っていたから、家族を苦しめることになるかもしれない病という災厄からさえもご夫婦を守って、自分の使命を今世も無事果たした満足感と安心感で、その生を終えたのではないかと思います。

動物達って時々そういうことをするのです。
勿論科学的には理屈付けられないことだけれど、確かにあるのです。

それはきっと「気を受ける」という現象と原理は同じで、動物達は愛する人のエネルギーの影響をより受けやすい傾向があり、愛する人のマイナスエネルギーを浄化したり癒やしたりする力を持っている子も少なくないのです。

病も根にマイナスエネルギーを抱えていることがあります。
遺伝的なことや、環境や食などの生活から受ける外的かつ二次的要因であったり、病の原因はひとつでは無いけれど、負の感情のエネルギーも病の芽を出させる要因になる…
それは病という種にかける水のようでもあり、あるいは水の方が遺伝的な要因や外的要因で、実は種こそが感情であるのかもしれない…
でもいずれにしろ、病と感情の負のエネルギーはどこか見えないところで繋がっている場合がとても多いのです。

だから動物達はその負のエネルギーを敏感に察知して、そのエネルギーをまるで吸い取るように我が身に引き受けることで未然に愛する人を守っているのかもしれません。

それをこの子からも感じました。

私達人間からしたら、「頼むから私を守らないでくれ。守らないでいいから、とにかく健康で長生きしてくれ。それが何よりもの私の幸せなのだから…」と思ってしまいます。
けれど彼らはするのです。

勿論すべての子がそんな力を持っている訳ではないけれど、守ることを魂の使命や誇りにしている子は我が身をかえりみず、魂から愛する存在のためには、私達が望んでいなくとも、するのです。

それが彼らの魂の喜びであり誇りだから…

そう考えると、天使って存在は実は動物達そのものなのではないだろうかと思うことが多々あります。
動物達も自然界も、その生き物達も、きっと神に一番近い存在なのだと…

でもその根底にあるのは真の愛です。

そこに真の愛の絆があるからこそ、彼ら動物達は本来持つ天使の力を発揮しうるのだと思います。


このご相談者の亡き愛犬も、『守りたい』『自分が守るんだ』『それが自分の役目なんだ』という魂の意思がことさら強かった。

だから、自分の命の限られた時間がもう残り少なくなってきていると魂の意思で感じてから、残りの生を愛する家族を未来の病の可能性から最後に守るために費やし尽くした。

そしていつかその結果、自分がこの世を去る時、病によって死にゆく姿を彼女達の記憶に残すことによって、残された彼女達が尚更に「私達がこの子を病気にしてしまった。苦しませてしまった」と後々まで自らを責め苦しむことがわかっていたから、最期の時を見せないことで自分亡き後に彼女達に残るであろう哀しみと痛みをせめて少しでも軽減させるため、自らの魂の意思で、最期の時を見せない選択をしたのです。

それも、

「愛する家族には幸せでいてほしい」

「自分がこの世での日々と自分なりの役目を終えて満足して天に戻ることを哀しみにしてほしくない」

「共に暮らした日々を別れの悲しみによって辛い思い出にしてほしくない」

という思いゆえです。


加えて又、哀しみという感情のエネルギーが彼女達の心と身体に後々影響を与えてしまい、新たな病の芽を作ってしまわないようにという配慮もあったのではないでしょうか。

私はこの子から、「自分は守る存在でなければならないのだから、自分が哀しみや苦しみを与える存在にはなりたくない」というプライドと言うか、自分の使命に誇りを持った凛とした気高ささえ感じました。

この子のすべては正に家族への究極の愛だったのだと思います…


病院で亡くならせてしまい看取ってあげれなかったことを後悔し苦しんでいる飼い主さん達に知っていて頂きたいのは、このように、動物達があえて自ら、看取られることを魂の意思で避ける場合もあると言うことと、そうして後悔されるお気持ちは、最期まで責任を持って看取るという飼い主としての責務をちゃんと果たそうとしていたこそであり、そこにその子への偽りなき真の愛があるのであれば、例え意図せぬ結果になって最期を側に居て看取ることが果たせなかったとしても、最期まで愛すという飼い主として、いや家族としての責務は充分に果たしているということです。


それでもやっぱり、重ねがさね、どんな別れでも飼い主は自分を責めるものです。

でもこの世を後にする動物達は、愛する家族である人達に、そんなふうに自分を責めて苦しんではほしくないのです。

でも、でも、わかっていても、それでも苦しんでしまうのが私達です。

それもその子を大切な家族として心から愛していたゆえ。
そこに真の愛の絆があったからこそです。

だから、哀しまないことは決して出来ない。後悔だってする。

だったら、後悔してもいい。むしろその後悔が、尊い愛の学びでもあるのです。

そしてまた、その後悔は、もしかしたらいつか大切な家族の一員に加わるかもしれない新たな命を、これまで以上に守り幸せにする叡智ともなるかもしれないのです。

後悔を未来への愛のバトンに変えて下さい。

そして亡き子に後悔と詫びる思いを伝えて下さい。
言葉にして口に出して話しかけて下さい。
思いはきっと伝わります。そして、その後悔を愛の学びに変えて未来に生かすよう努めると亡き子に誓ってあげて下さい。

哀しみは哀しみとして認め受け入れながらも、そこから前を向いていこうとする思いは、きっと彼らにも安心を与えてくれるでしょう。

哀しみや後悔も、愛に変える…
それが亡き子に霊的な向上と冥福を与えることにもなることも、合わせてどうかお心に留めておいて下さい。


最後にもうひとつお伝えしておきます。

亡き子は家に来て幸せだっただろうか。
これも愛する家族である動物達を亡くされた皆さんが思うことです。

本当はあれもしてやりたかった。これもしてやりたかったのに…と、出来なかったことを並べては悔やみ、至らなかった自分達の元でも、果たして幸せだったのかと思い悩むのです。

そんな多くのご相談者の気持ちに思いを馳せている時に、天から来たメッセージがあります。

それは『愛されたということに勝る幸せはない』です。

つまり、あれをしてもらった、これをしてもらった、も嬉しいことだけれど、愛されたという喜びに比べたら、それは付加価値であり、例え飼い主さん側が多々至らなかったと自分を責めていたとしても、亡き子と過ごした日々、そこに互いへの真の愛があったのなら、その子にとっては充分に幸せだったということです。

少々乱暴な例えになりますが、豪華な家に住み、豪華な食事を与えられ、沢山のおもちゃや遊びの機会を与えられても、そこに愛が無ければ、豪華なものも空虚な器に過ぎなくなる。

けれど、極端な話、例え家を追われてホームレスになっても、愛する飼い主さんと共に、愛され生きるのであれば、その子にとったらそれが一番の幸せだということなのです。

重ねがさね、あくまでこれは乱暴な例えではありましたが、私達人間だって、もしかしたら同じかもしれません。

いえ、動物達だって私達人間だって、すべての生きとし生ける存在にとって、愛に勝る魂の財産はないのです。

だからどうか、後悔や哀しみで、亡き子と過ごした幸せな日々さえも辛い思い出にしてしまわないで下さい。

思い出すのが辛いからと、愛したことさえ封印してしまわないで下さい。

精一杯愛し、愛されたことにどうか誇りを持って、その愛を人生のかけがえない宝にして下さい。

愛の絆は永遠です。愛だけは決して何にも壊されない。

これからもあなたと亡き子は今まで以上に強く愛の絆で結ばれていきます。

どうかそれを信じて、これからも変わらず、その子を愛して下さい。

そして、その子を心から愛したあなた自身のことも、許し愛してあげて下さい。

それが天と亡き子の願いでもあるのですから…





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