心と身体は繋がっています。
感情が肉体に影響を与えることも少なくないことは、きっと皆様もご承知であられることでしょう。
そして私は思います。細胞のひとつひとつにも魂は宿る…そう言っても、きっと過言ではないと。
本来、私達の本質は『想い』のエネルギー体です。
『想い』を体験するためにこの物質界に来て、『想い』を体現するために肉体をまとっています。
肉体は私達の『想い』を表現する器です。
例えれば、肉体は車。『想い』は運転手。
でもハンドルやアクセルを必要としない、運転手の『想い』で動く未来の車のようなもの…
常に肉体は、私達の『想い』の、文字通り手足となって動いてくれている。そんなふうに思います。
その証に、心が元気だと肉体にもエネルギーが満ち溢れます。
でも心が弱ると、心も肉体もエネルギーが落ちます。
それは日々、鑑定を通じてご相談者の方々のエネルギーと接していても常に感じること。
例えば鑑定を始める時は沈み気味であったエネルギーも、皆さん鑑定が終わる頃には、もやもやしたものが解消されて、まるで別人のように晴れやかでクリアに、心身共にエネルギーが高まっておられます。
自分の感情次第で心身のエネルギーは短時間でも大きく変わりうるし、また、心身のエネルギーは魂のエネルギーをも動かしたりもし、心と身体のみならず、時には魂のエネルギーもパアーっと輝きを増したりもするものです。
このように、人がいつもプラス思考でウキウキと楽しくいることが、どれだけエネルギー的にも大切か、ご相談者の皆様を通しても実感させられます。
でも逆に言えば、マイナスの感情も肉体に影響を与えてしまうということです。
例えば、よく言われるのは、不安や恐怖の感情は呼吸器系に影響を与えやすく、悲しみの感情は背中などに痛みとして出やすい、その他、怒りは肝臓や頭にダメージを、イライラは頭や心臓に影響を…等々です。
でも実際にはこれも個人差があるでしょうから「これはこう」と一概には言えないでしょうし、人それぞれにどんな感情がどんなふうに肉体に影響を与えるかは、きっと千差万別でしょうが、往々にして上記のような傾向は一般的に有りがちに思います。
怖い思いや極度の緊張をした後に、咳が止まらなくなったり喘息っぽくなったりという経験をされた方もおられるのではないでしょうか。
人は緊張した時のことを、「緊張で息がつまる」と表現したりしますが、その言葉通り、不安や緊張、恐怖といった感情が、息すなわち呼吸器系に影響を与えることも少なくないように思います。
悲しみもそうです。
「悲しみで胸が痛む」だとか「痛いほどの悲しみ」といった表現がよく使われるように、悲しみと痛みも言葉上の表現に留まらず、実際に関わりがあるのかもしれません。
鑑定においても、原因不明の痛みに悩まされている方を霊視してみると、そこに過去世からの魂の深い悲しみがあったりもします。
また過去にも度々言及して参りましたが、いわゆるモラハラ的な夫に、常日頃から暴君的な態度で苛立ちのはけ口にされて、言葉や態度で怒りをぶつけられたり、責められ続けて抑圧されている女性の8割近くが、子宮系の病気や不調を抱えているのを鑑定を通じ実感しています。
理不尽を耐え忍び、我慢を重ね、怯え、やり場のない怒りや悲しみを内に閉じ込める…そんな感情が子宮に悪しき影響を与えているのでしょうか…
以前『明日に架ける橋』の中でも書きましたが、怒りのエネルギーというのはネガティブなエネルギーの中でも最も重く攻撃的かつ破壊的です。
怒りを発する本人の身体にも悪影響を与えるばかりでなく、怒りを向けられる相手にも、心身共に悪影響を与えてしまいます。
仮にそんなエネルギーを身近で毎日のようにぶつけられていたら、心身のどこかにダメージをきたしても不思議ではない程なのです。
受ける側はその上に、自らの内に感情を閉じ込め耐えることで、二重にも三重にも肉体と心を痛めつけられているのです。
勿論、病の全てが心に起因しているという訳でもないでしょう…でもこのように病や不調は心からのSOSである場合も決して少なくはありません。
恋愛においても、先の見えない不安と苦しみを抱えている方が、そのせいで身体にも不調をきたされていることがあります。
でも身体を壊してしまうほどの苦しみと背中合わせの恋を、本当に魂は望んでいるのでしょうか。
その不調は、心からの救いを求める声なのではないのでしょうか。
『苦しみ』というのは、もしそれがあなたの進むべき道の過程にある「さらに力強く到達へ至るための糧やツールや、こやし」に過ぎない時には、自分でもそれが一時的なものであることがわかっているし、その先の光も見えてもいるし、苦しみすら楽しみや掛け替え無い財産にしてしまえたりするものです。
でもそうでないなら、その苦しみは、目を向けている方向や、もしくは進んでいる道か、或いは、思いのありかたが違っているがゆえに生じる「歪み」の、心や身体や魂からのサインだったりするのです。
もし、あなたが苦しい恋の中にいて、先の見えない泥沼の中に閉じ込められているかのような日々に、身体にも不調を感じることが少なくないなら、そんなときはどうか立ち止まって、自分の心が本当に望んでいることは何か、心の目で自らの心を見つめて下さい。本当の心の声に耳を傾けて下さい。
そして、自分の身体と心を苦しめるものの正体は一体何なのか、それは他者から与えられているのか、それとも自らが作り出しているのか、しっかり見極めて下さい。
自らの心が苦しみを生んでいるならば、それは変えられます。
苦しみを生む自らの内の種の正体を知り、必要であれば癒やし、感情の向け方を変えることで、その恋を苦しみでは無くすることも出来るのです。
現に鑑定をきっかけに、そうして苦しみから脱して、その恋を愛する喜びに変えた方も沢山おられます。
けれど、その逆に苦しみが他者から不当に与えられているものならば、自分の心と身体を守るために、今自分が置かれている環境を手放すことも必要かもしれません。
例えば、命を削っても、ボロボロになったとしても、それでも愛し抜くという覚悟があるなら、それも本人の選択の自由です。
その選択にも本人のための何らかの意味や学びがあるかもしれないからです。
また、それほどまで強い意思があるなら、もはや苦しみすら本人にとっては苦しみではないのかもしれないですし、迷いも悩みも生じないでしょう。
きっとそこには凛とした輝きもあるはずです。
でも、そこまでの覚悟を持てる人は恐らくほんの一握りです。
ほとんどの人は、苦しみの中で、もがいて、心から血が滲む思いなはずです。
それは、幸せになりたいという本当の自分の望みに反して、自分を苦しめることになってしまっているからです。
心と身体が救いを求め、叫んでいるのです。
幸福に満ちた恋は、身体の隅々の細胞にも力を与えます。
でも苦悩に満ちた恋は、心が泣き、叫び、それに呼応するように、細胞も痛めつけます。
それが本当にあなたの望んでいる生き方なのか…本当にあなたの愛し方なのか…心のみならず自分の身体にも問うてみて下さい。
愛するということは、他者を愛することだけを言うのではありません。
自身を愛することも尊い愛なのです。
自身を真に愛せなくて、真に他者を本当の愛で愛せるでしょうか。
あなたの内で、いつもあなたのために懸命に働いてくれているあなたの身体の細胞達にまで、思いを至らせることもなく、その愛に応えようとすることもなく、本当に私は愛を知っていると言えるでしょうか。
それは例えると、自分の子をほっぽりだして、よその家の子を愛そうとするようなもの。
本当の愛を知るためには、まず自分自身のことも愛してあげて下さい。
自分を丸ごと愛して、自身の身体も心も愛で包んであげて下さい。
そうすれば、他者への愛し方も変わってきます。
でも自分を愛するということがどういうことかわからないと言われる方もおられます。
自分を愛するというのは、利己的になれ、自分本位であれ、ということではなく、自分を慈しんであげてほしいのです。
懸命に頑張っている自分を誉めてあげて下さい。
誰も気付いてくれなくても、誰にも認めてもらえなくても、頑張っているのをあなた自身が一番知っている。
だから、自分で自分を誉めて、ねぎらって、いたわって、自分という存在を心で抱きしめてあげて下さい。
例えば、眠る時でもいいし、お風呂に入った時でもいいので、自分の身体を優しく撫でながら、細胞達に、流れる血に、「愛しているよ」「いつもありがとう」と語りかけてみて下さい。
不思議に心と身体がすーっと楽になり、穏やかな優しさに包まれる感覚を覚えるはずです。
それは自分を愛おしく思うあなたの慈しみのエネルギーに細胞が反応した証です。
あなたが発する言葉や思いのエネルギーはいつもあなたと共にある細胞達、つまりあなたの身体が共有しています。
変化を感じなくても続けていくうちに少しずつ心身が変わっていくと思います。
愛を乞う渇きも、他者からの愛でしか癒せないと思いがちだけれど、愛というエネルギーは自分自身だって癒せるのです。
自分が発するものは、他者にしか受け取れないのではなく、自分でも受け取れるのです。
例えば一般的にヒーリングは他者に施してもらうものというイメージがありますが、むしろ、自分を真に癒せるのは、本当は誰よりも自分なのです。
みんな、やりかたを知らないだけで、その人その人の原因や状況によって個々方法や内容も変わりますが、その人にとって真に必要な方法を見極め、用いることで、本当は他者(の人間)に頼らなくても自身を魂からも傷付いた心からも、それに付随して肉体も、完全に癒やすことが出来るのです。
巷で行われているヒーリングというエネルギーワーク行為は、残念ながら人間同士には限界があります。なぜなら、誰しも過去世や今世での魂や心に抱える負の感情のエネルギーが存在しているからです。それが人間ゆえの哀しさでもあり、不憫さでもあります。
あなたを真に癒やし救えるのは、結局あなた自身なのです。
自身の心に目を凝らしてみた時、そこに痛みがありませんでしたか?
自分では気付いていない深いところに苦しみが隠れていませんか?
無理やり奥底に押し込んで蓋をしているつらい感情はありませんか?
普段は意識していない、無意識のマイナス感情はありませんか?
よく、よく、自身の心と会話するつもりで見つめて下さい。
もしそこに自覚している、自覚していなかった、に関わらず、心が抱える苦しみを見つけたら、まずは自身を愛し慈しむことを心がけて下さい。
そして苦しみの原因が今、自分の側にあるものならば、それが本当に自分に必要なものなのか考えてみて下さい。
今の状態が自分の望む生き方なのか、自分の望む幸せに至る道なのか…
あなたが本当に望んでいることは、あなたの心と魂が知っています。
答はもう既にあなたの中にあるはずなのです。
「そうじゃない」、「必要じゃない」と思えるなら、あなたはそこから離れてもいいのです。
自分でも本当はどこかでわかっていながら、離れることを躊躇わせる別の思いが、もしあるのなら、それが何かも考えてみて下さい。
もしかしたら、過去に出来た心の痛みが自分を臆病にしているのかもしれない。
もしかしたら、心の渇きを埋めてくれる救いを求めているのかもしれない。
もしかしたら、それゆえにいつの間にか自分の内で依存や執着が生じているのかもしれない。
でも、それらは本来もう、あなたには必要の無いもののはずなのです。
そうかもしれないと思いながらも、どうしても自分では手放せない時は、苦しみから自身を解放するお手伝いをさせて頂きます。
あなたには、心も身体も穏やかな優しい幸せの中に居てほしい。
そして、あなただけの輝きを余すことなく存分に放ってほしい。
どうかそのためにも、自分の心と身体を愛してあげて下さい。
細胞にも魂は宿る…
あなたの愛は身体の隅々の細胞にも宿すことが出来るのです。
どうかそんな心も身体も愛に溢れたあなたでいて下さい。
そしてその愛で、まわりも暖かく包めるあなたであれることを、心より願っています。
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