「時の交差」で亡き最愛の人との事例をご紹介した後、大切な存在を亡くされた方からの鑑定依頼が続きました。
その内のある女性が、こんなことをおっしゃいました。
『この世を去った彼は、もうこれ以上、年を取ることなく、いつまでもその時の年齢の彼のままじゃないですか。だけど、私はどんどん年を取っていく。
天国から見てる彼は、老いていく私に幻滅しないだろうか…
やがておばあちゃんになって、彼からしたら、もう母親と息子位に年も離れてしまっても、それでも彼は変わらず愛してくれるのか…
そんなこと思ったりしてしまうんです。
そうしていつか私も天国に行くことになって、あの世で彼と再会出来ても、あの日のままのまだ若々しい彼と、腰が曲がって顔に深く皺も刻まれた年を取った私では到底釣り合わなくなっている。
それでも彼は私を抱きしめてくれるだろうか。
昔のようにキスをしてくれるだろうか。
天国でも昔と変わらず、私を愛して共に暮らしてくれるだろうか。
そんなことを、彼が逝ってから年月を重ねるたびに、鏡に映る自分を見て、考えてしまうんです。
いっそのこと、あまり年を取らない内に、まだあの頃の面影を残している内に、寿命が尽きたほうがいいんじゃないか、なんて思ったりしてしまう自分もいて。』
と…
切なくも愛おしい女心です。
ぐっと涙が込み上げ、彼女を抱きしめてあげたい思いでいっぱいになりました。
よく漫画とかで、死の床で最期を迎えようとしている老いた女性の上部に、今は亡き夫が迎えに現れ、肉体から抜けた彼女の魂の手を取り、2人で天に昇っていく。そんなシーンがあります。
そんな場面では大抵、肉体から離れた瞬間にみるみる魂の姿が若返って、若く美しい頃に戻っていく。
感動的な涙を誘う場面です。
実際そうであればいいのになと思います。
では、肉体から魂が抜けたらすぐ、そんなふうに若返るのか…
厳密に言えば、そういう場合もあるでしょう。
魂は死後若返る。それは事実です。
でも、それは肉体から抜けた瞬間と言うよりも、日と時間を追って徐々に、という方が多いようです。
一般的には早くて翌日から数日後。四十九日の内に徐々に、という場合もあれば、天国である霊界に入ってから徐々にという場合もあるし、いずれのタイミングに関わらず、ある時を境に急にという場合もあるでしょう。
それは、その人その人個々によって差があるからです。
例えば重い病気で長患いの末に亡くなると、魂が若返るのにも時間がかかる場合も多いようです。
勿論これも人によって差があるので、あくまでもそういう場合が比較的多いようだという意味です。
これには訳があります。
魂が肉体から抜けるというのは、これまでまとっていた服を脱ぎ捨てるようなもの。
もう当然、服と自分は別の存在になっているように、死の瞬間からは生前の肉体と魂は別の存在になる訳です。
魂となった自分からすれば、今までまとっていた肉体は、もはや脱け殻となったひとつの物体であって、もうそれは自分ではない。
従って、感動的な漫画のシーンのように、その瞬間から魂の本来の姿に戻って若返っても不思議じゃないし、不可能でもないはずなのです。
でも大概がそうでもないのは、魂に死後もしばらくは肉体の記憶というか影響というようなものが残っているからです。
生前の肉体の「感覚」であったり、或いは「思い」であったりを残像のように引きずってしまうと言えば良いでしょうか。
その程度の差が、個々の差に繋がっているのです。
ちなみに犬や猫を始めとする動物達にも同じことが言えるものの、彼らは人間と違い、「感覚」や「思い」がもたらす肉体の負の影響は、圧倒的に消えるのが早い。
例えば、「感覚」の場合で言うと、痛みや苦しみといった死を迎える前の症状がどんなに重くても、肉体を抜けたら比較的すぐ早くに回復する。
多くは死後、数分から数時間で爆睡するような状態になって、その間に魂の疲れを癒やし、翌日か数日すれば、目を覚ますように魂が起き、もうその時点で痛みも苦しみも消えて解放されている場合がほとんどです。
ただし、これは愛の中で生き、愛の中で死を迎えた子達に限るかもしれません。
彼らは自分の肉体の寿命を悟って、魂が自然に死を受け入れることが出来るからです。
それも愛の中で生きた絶対的な幸せがあるからこそ、「思い」の部分で、自分の生涯に満足し感謝し納得出来ているからでしょう。
これも人間同様、その子その子によって色んな差はありますが、まず愛されてその生を終えた動物達は長くは生前の負の「感覚」や「思い」は引きずらないと言えます。
反して、殺処分や動物実験、毛皮、虐待、食肉にするため等々、この世における、人間がもたらすあらゆる動物達の命を奪う行為は、もっと生きたい死にたくない助けて、という叫びの中で彼らに死を強いているから、そういう理不尽な死は、命を奪われた後も魂は苦しみ続けてしまう。
死してもなお、その恐怖や苦しみ悲しみなどの「思い」や、苦しみ、痛みなどの「感覚」に魂が捕らわれてしまうのです。
本当に残酷で無情で、絶対に無くすべき人間の愚かな行いです。
話を人間に戻しますが、動物達に言えることは実は人間にも言えることで、魂が納得してその生を終えられたか、それによって死後の魂の状況にも個々、差を生じさせるものなのです。
長患いの末に亡くなった人でも、肉体を抜けてから翌日、というように比較的すぐに若返る場合もあります。
要はその人の心の問題であり、「思い」の感情エネルギーがどれだけ魂に強く刻まれているかによるのだと思います。
「思い」がとても強いと、魂にもその時の感情が刻まれてしまうからです。
例えば、肉体の意思ではどんなに死に抗っていても、魂の意思では寿命を受け入れ、どこか静かに心穏やかな部分があれば、肉体と肉体の意思の影響は魂には強くは及びません。
でも恨みや怒り、執着など、死や生に対して強い負の念があれば、その「思い」のエネルギーは魂に傷を残すように刻まれてしまいます。
強い念は死後もいつまでもその人を亡き肉体の残像に縛り付け、もう実際には消えて無くなっている肉体の感覚が、もうそんなものは存在しないのに関わらず、あたかもずっと消えずにまだ在るかのような幻想の中に留めてしまいます。
その念が強いほど、亡くなるまでにまとっていた肉体の姿を長く引きずる傾向があるのではないかと思います。
でも所詮、物質世界でまとっていた肉体は仮の姿。モビルスーツのようなもの。魂の姿こそがその人の本当の姿。
肉体は老いても、魂は何も変わらず、肉体の中に在る時でも肉体から離れた後でも、ずっと本来の美しい姿のまま。
だからいずれはみんな本来の若く美しい姿に戻っていきます。
どんなに思いの念を抱えていても、その念が魂に傷を残してしまっていても。
霊界に入る前のリハビリ層である幽界はそのためにあるとも言えます。
人も動物達も、ここでの一般的に四十九日と言われる期間に、思いの念や魂に残った肉体の感覚などの負の残像を癒やしながら、光の世界である波動の高い天界に入るために自らの波動を上げていき、天に向かう準備をしていく。
そのサポートは天界が手厚くしてくれます。
ある意味、幽界に入ってさえしまえば、後は安心と言えるでしょう。
ちなみに、俗に未成仏霊と言われる者達は、あまりにも念が強すぎて、天からの導きの光すらスルーしてしまうほどに現世に猛烈に執着していて、自らが天に行く選択をすれば、いつでも天に帰れるのに、また天も絶えず導きを試みてくれているのに、自分自身で現世に留まる選択をしてしまっているのです。それも本人の魂の学びなのかもしれませんが。
さて、話がずれてしまいましたので、元に戻しましょう。
このように、魂が若返るタイミングというのは、その人その人個々に違う訳ですが、全体的に見ると、案外死後1~2日で若返っている人が比較的多いのではなかろうかとも思います。
と言うのも、以前、私の知り合いの先輩霊能者の方から耳にした話があって、何でも、亡骸を荼毘に付す際、亡くなったご本人も案外参列者の中に紛れて、亡骸とお別れをしていたりもするんだとか。
「もう自分は魂が若返っているから、自分の亡骸を見て、『随分使い古したもんだなあ』と思って見てたんだって言う故人は多いわよ」と仰っていました。
かつての自分の身体に、特別な感慨や悲しみというものは案外もう無く、結構あっけらかんと第三者的に見ておられるそうです。
きっともう本来の魂の姿である霊的な身体こそが自身の今の身体となっているからなのでしょう。
遺していく者達の悲しみを思うと心配や心残りは当然あれども、そういう方達は終えた生に負の面での未練や執着が無いからこそ、魂の存在となってからの切り替えが早いのだと思います。
だからこそ、数日で既に魂が若返っているのでしょう。
では一口に若返ると言っても、どれくらい若返るのか。みんな20代位になるのか。
実はこれにも個人差があるようです。
前述のように、時を経て徐々に若返っていく場合もあるでしょうし、すぐの場合もあるし、一定期間の後のある時期を境にして若返る場合もあるでしょうが、いずれの場合においても、最終的には、その人が一番自分らしいと思える年齢あたりに落ち着くのではないかと思っています。その人が自分を象徴すると思う姿が反映されるということです。
それが20代位の若さ溢れていた頃である場合もあるでしょうし、高齢で亡くなられた方の場合は60代位の時を一番自身を象徴する「自分」だと思われる場合もあるでしょう。
例えば一旦は60代位の姿に戻り、天に帰って過ごすうちに、更に若返っていくというような場合もあるでしょう。
それも個々が思う「自分」が、その時々に反映されていくのだと思います。
ちなみに、先述の荼毘に付される自分のかつての肉体にお別れされている方々も、いきなり20代の頃の姿というよりも、50代60代の頃の姿になられている場合が多いようです。
人生を長く生きていると、ただ若さだけを良しとするのではなく、様々な経験を経て人としての深みを増すことにこそ、むしろ重きを置き、そして、そういう人生の円熟期の頃の自分を、一番自分を反映している姿として、多くの方が捉えておられることがわかります。
そう考えると、今こうして人生を生きている私達にとっても、いつかこの世を去る際、自分の生涯を振り返った時にきっと、毎日毎日の日々の経験や学びこそが何にも代え難い人生の宝となり、魂の宝ともなるのであろうことを教えてくれてもいるようです。
生きていると辛いことも時には多いけれど、それすらも過ぎてみたら、そこから得た経験は、尊い魂の財産となるということです。
私達はみんな正に今、そんな宝の時の中を歩んでいるのです。
さあ、ここまで死後に魂は若返るのかについてお話しして参りましたが、実は私にも忘れがたいある出来事があります。
かつて近しい人が亡くなった時に、その人を霊視してみたことがあって、その時のビジョンが今も深く心に残っているのです。
それはその人が亡くなった当日遅くであったか翌日であったと思います。
今どんな状況にいるのかと霊視すると、白い光の中で、上半身裸でぐっすりと眠っているようでした。
美しい光の世界。
明るいんだけれど眩しくなく、淡く暖かく神々しくも優しい光。
そんな光の中、真っ白なシーツかブランケットのような物の上で、少し首と身体を右横に傾げて、両手を軽く曲げ顔辺りの位置に置いた姿勢で、その人は眠っていました。
穏やかな顔でした。まるで生きている時のように、普通に深く寝入っているかのようでした。
ああ、きっと、死後の最初の眠りに入ったんだと思いました。
生から死への移行という一大イベントを終えて、あー疲れた、とりあえず寝よう、と爆睡するかのように…
翌日、再び霊視してみると、昨日と全く同じ光の光景の中、寸分違わず全く同じ姿勢で、その人はまだ眠っていました。
ただ一つ違っていたのは、その姿が若い頃のその人になっていたということです。
亡くなる前のその人は太っていました。中年期辺りから体重が徐々に増えだして、細身であった20代30代の若い頃とは別人のように、二周りも三周りも立派な体格になっていたのですが、そこに視たその人は正に、ほっそりとしていた若く美しい肉体の頃のその人だったのです。
その時私は、ああ、人は死後こんなふうに若返るんだなと自然に涙が零れました。
私達が寝て疲れを癒やすように、その人も死後の眠りの中で、肉体の残像である死の痛みも癒やされ、魂が浄化されたんだなと思いました。
そして、生前に肉体の姿がどう変わろうと、今の姿こそがその人の魂の真の姿であり、その人はその本来の姿に戻ったんだなとも思いました。
その人が死後そんなに時間を置かず早くに本当の姿に戻ったことは、その人が死の全ての負から解放されたということなんだと、悲しみの中にありながらも安堵したのです。
その後しばらくして、その人はその日のうちに目覚めたようですので、もしかしたら本人が一番びっくりしたかもしれませんね。
起きたら若返って昔の自分の姿になっているんですもの。
その人もきっと、その翌日の亡骸を荼毘に付す場に立ち会ったのではないかと思います。
人の死後の若返りは元々わかってもいたし、人と動物も同じだということも、死後の動物達の鑑定において、霊視を通じ常日頃からリアルに接していたことではあったけれど、こうして実際に人の場合の若返りの経過をタイムリーに視たことは、言葉に出来ない感慨がありました。
この時の経験は、その後の私の死生観に更なる深みを与えることになったかもしれません。
私はこの体験を、冒頭のご相談者の彼女にも語り聞かせました。
彼女は涙ぐみながら、「日々の中で、老いていくことに怯えて過ごすのでなく、この毎日の積み重ねこそが宝なんだと思って、生きることを楽しまないとダメですね…そうでないと彼にも怒られちゃいそう」と泣き笑いするように言いました。
そう。何も心配することはない。
老いていくのは、あなたがまとっている肉体という服に過ぎない。
その内に在る真のあなたである魂はいつも若く美しいまま。何も変わらない。
そしていつか亡き愛する人と再会する時、彼の目の前には、美しく輝くあなたがいる。
そう伝えました。
例え肉体が老いていったとしても、例え先天的にしろ後天的にしろ何らかのハンデを肉体が抱えていたとしても、それはあくまで今生での仮の姿。
魂の長い旅路からすれば、ほんのひとときのまとい物。
肉体から離れた後にはもう何のハンデもない本来のあなたに戻る。
そして、今も、あなたの今生の日々の中でもあなたの内には、美しく輝く真のあなたがいる。
それを多くの人に知っていて頂きたいと願ってやみません。
終
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