「なんで私たちは、
こんなに分かり合えないんだろう?」
そう感じたこと、ありませんか。
意見が違う。
感じ方が違う。
正しさがぶつかる。
そのたびに、
「人は分かり合えないものだ」
「分離している世界は、どこか間違っている」
そんなふうに思ってきた気がします。
でも最近、ふとこんな感覚が浮かびました。
『分離って、本当に“悪”なんだろうか?』
私たちはよく、
「みんな本当は一つ」
「分離は幻想」
という言葉を聞きます。
それは確かに、どこか真実でもある。
でももし…
『最初から一つの視点しかなかったら、
世界は“見える”でしょうか? 』
「私」という存在は、
世界を見ている“点”ではなくて、
世界に制限をかけている場所なのかもしれません…
本来、すべての視点を含んだ“全体”があって、
それがあえて
・この身体
・この感情
・この価値観
という制限をまとった。
それが「私」。
だから世界は、
分かれて見えるようになった。
もしそうだとしたら。
分離は、失敗じゃない!!
堕落でもない。
未熟さの証拠でもない。
分離は、世界を体験するための条件だった。
喜びも、悲しみも、
分かり合えなさも、
誰かを大切に思う気持ちも、
全部、「私」という制限があるから起きている。
分離しているからこそ、
交わろうとする力が生まれる
完全に一つだったら、
交わる必要すらないから
だからもしかすると、
分離とは、
愛の前提条件なのかもしれません
「私であること」を、
少しだけ優しく見てあげても
いいのかもしれませんね☆彡