小中学校のドッジボールはやりたい人だけでやればよい。ドッジボールは他人にボールをぶつける野蛮なスポーツ。イジメにもつながりやすい。苦手でやりたくない人にまで強要しないでほしいとの意見でした。
このブログの意見に対してゲストの泉谷しげるさんのコメントは以下の通り。松本人志さんもうなづいていました。
「義務教育なんだから嫌なことをさせるもの。我慢することを学ぶ機会。好きなものしかやらなくなったら大人になれない。」
同じくゲストの乙武さんのコメント
「嫌だからと言って排除したら何もなくなる。給食いやだから給食排除。対戦ゲームがイジメの温床になったら禁止。学校が嫌なら学校もいらない。」
おっしゃる通りです。
ではどうしたら良いか❓
ドッジボールのルールを変える。
➡︎明らかにボールを当てられるなと思ったら帽子を取って降参する。ボールを投げる人は当てたことにしてボールをぶつけない。痛みから解放されます。
やっていても面白くない
➡︎面白くなる役割、自分ができることを探す。外野の役割も重要。外野に出たボールを素早く取って投げるのが得意な人に渡す。チームで戦略を練って役割分担をして持ち場の責任を果たすことによってやり甲斐が生まれる。
社会に出ると嫌なことにも取り組まないと生きて行けません。会社から給料をもらって働いている以上、自分が好きなことだけをやっていれば良いという甘えは許されません。
人が集まれば組織ができる。組織の目標を達成するためには役割分担が生まれる。自分の持ち場で目標を達成するためには嫌なこともしないといけない。
スポーツも二人以上のチームであれば同じ考え。チームが勝つために役割分担をしてやりたくないポジションであっても役割を果たさなければならない。
いま大人になって、組織の一員として働いているからこのような考えになったのだと思います。
ドッジボールが嫌いと言っている子供に対して、教師や親が話を聞いて役割を見出させる事が重要ではないでしょうか❓
嫌なことをやらない(子供の権利だという親もいますが)という意見を受け入れると日本という社会が成り立たなくなります。
もし日本に大規模災害が発生した時、みんな自分勝手なことをしたらどうなるのか?組織で働いてきた人は自分がいまできることを考え、役割分担をし、各自が取り組むことが自然に出来るようになる。過酷な環境にあってもみんなで協力し合うことが自然にできるのが日本人の良さだと思います。