棟方 志功 が 聞いた 『龍飛の歌』 | 龍飛岬観光案内所 龍飛館

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こんにちは、いかがお過ごしでしょうか、だいぶ冷え込むようになりましたが
山々が、木の葉で 黄色、赤が 目立つようになり、きれいですね。


ここ龍飛観光案内所 (旧奥谷旅館)には、著名人の方々が泊まられた宿として知られています。
 作家 太宰治 板画、倭画、書で有名な棟方志功、津軽三味線の権威、高橋竹山などです。

今日ご紹介したいのは、棟方志功です。

青森市在住の方で棟方志功にゆかりのある方が
いくつかの絵を見せてくださいました。  




  


これは昭和27年8月18日  龍飛岬にある帯島(おびしま)を描いた倭画ですね。



 

棟方 志功さんの油絵です。この額縁も凝っていますね・・・。とても素晴らしいです。

とても価値ある、素敵な倭画や油絵を見せて頂き真に、ありがとうございます。 


そして、色々なお話をたんたんと語ってくださり・・・。一冊の書物を見せて下さいました・・・。
『青森スピリット』 棟方志功 平成13年に青森大学出版局で発行されたものです
その一部をご紹介します。


 「 龍飛の歌 」  棟方 志功

今の龍飛は、全然知りません。もう何年になるか随分まいの事ですよ。伯母の長男と自転車
で、青森から乗りました・・・

昆布 若布(わかめ)もこの辺りは有名なもので、大阪あたりの製造屋さんからも、
三厩(みんまや)-現在の外ヶ浜町三厩(みんまや)-
三厩昆布で名が広がったものだそうです。

宿は奥谷と言いましたよ。
この宿から岬まで行く途中に帯島(おびしま)といふ島がありました。
一寸形のよい雄山と雌山が並んでいる様な、まるで箱庭にある様な形の島でしたよ。
形のよい山が海に這入っているという姿で、真青な海に根元を騒がれているこの島は
美しいものでしたよ。

小松 均がここの景色が好きで、真冬に行ったと聞かされました。  
その龍飛の絵を見ましてね。
なにか悲壮なものが、この共通の念の中の絵描きの気持ちが判って来てどうにもならない
こみ上がって来るものに包まれた事がありましたよ。

龍飛岬、十和田、八甲田山、十三潟(現在の十三湖)       
海と山と湖と潟、このありがたい大仰観をほしいままにする故郷の美しい生命が込みあげて
来て、身体あまってやり切れないありがたさじゃありませんか・・・。

津軽海峡は、神々として蒼愴なもので尽妙の景情には
だまって居られない物がウヅキ廻って来る様な案梅でしたよ。

夜になると龍飛は哀しい所です。    

波の音ばかり。ランプではありましたが、今は電気になったでせうね。
五分芯と言ふ巾広い、石油燈だったが暗いものでしたよ。

宿の朱い膳に新しい荒外海の魚が美味かった。アブラメ、ガヤといふ魚はうまかったですよ

         コノ町 アノ町 日ガ暮レテ 日ガ暮レテ

        今来タ コノ道 カイリヤンセ 帰リヤンセ

女の子供だけでしたが、もっと小さい子を、おんぶして
輪に手を繋いで、この歌を歌っていましたよ。

人も通わないこの本州の端っぽの一部落で日が真暗に暮れ様としている時ですよ。

やり切れない時、この淋しい歌が耳に残って離れないのですよ。

真赤に陽が炎いている琉球にいった正月。
春の賑やかな銀座の真中でも。
いくら旺んな夏の立山の頂上でも。
秋の十和田湖で浮かべた舟の上でも。
また浅虫で温泉につかって居ても。
龍飛の、あの宵暮れの歌が身体のどこからか湧いて来るんですよ。

 愛しくも、哀しく、わたくしに想ひというものがある限り、
あの歌は消えて行く想いではありませんよ・・・。 

昭和 二四年七月三日  雑華堂・瑠璃光書斎にて 

  長文のため少し省略させて頂きましたがご了承ください。

 付記 (船水清)
「龍飛の歌」は棟方志功画伯の未発表のものである。
長い歳月の間に原稿の所在が不明となった。
ところが平成五年頃「北」の旧稿類に混ざっていたのが見つかった
と言われています。


 

今現在の龍飛岬と帯島です。風もなく、なぜか甘い香りがします。

棟方 志功は龍飛に関する作品を数々発表していました。

ここ龍飛館(旧奥谷旅館)にも宿泊していました。
ここ龍飛館には、棟方志功が現在の階段国道の中腹から描いた油絵の複写があります。
ご来館の際には是非、見ていってくださいね。