皆さんは、関東から静岡や名古屋、大阪など西日本方面に行く際は何で行くことが多いでしょうか?鉄道なら新幹線や東海道線、クルマなら東名高速や国道1号、246号といった所でしょう。その中で、神奈川から静岡に抜ける区間は東海道沿いでは比較的珍しい山越えの区間となっています。今回はそんな神奈川から静岡方面に抜ける交通がどのようなルートを辿って箱根の山を越えているのか、またどうしてそのルートを採用したのか少し見てみようと思います。
まずは国道から見ていきます。
国道1号、旧東海道です。東海道のルート変遷を詳しく説明すると長くなってしまうのでここでは簡単に推測します。7世紀から8世紀頃は今の国道246号と138号の中間位を走る足柄峠を使っていました。それが次第に小田原と三島を最短で結ぶ目的や、江戸時代には、箱根に関所を設け江戸への人の出入りを監視する目的、富士山の噴火を避ける目的等で箱根峠越えのルートとなっていきました。それが今の国道1号へとなっていきました。
そんな箱根峠超えの国道1号に対して、1号よりも内陸を走る国道246号が東京・三宅坂から厚木、秦野、御殿場、裾野といった都市を経由し沼津までを結んでいます。
続いて鉄道を見てみましょう。
JR東海道線ですが、当初は国府津〜沼津間は現在の御殿場線のルートが採用されていました。明治の技術では、現在の丹那トンネルを建設するのは厳しく、箱根や熱海周辺よりは地形が比較的なだらかな御殿場経由ルートが採用されました。結果的に鉄道が建設されなかった小田原や熱海の人たちは自らの手で路面電車や人車鉄道というものを建設しました。小田原〜熱海間の豆相人車鉄道は芥川龍之介の『トロッコ』の舞台となった場所でもあります。御殿場経由の東海道線でも25‰という当時の非力な蒸気機関車ではとても厳しい勾配が続いており、特に東京〜神戸間を結んだ特急「燕」においては、下り列車は国府津、上り列車は沼津で補機を連結し、御殿場付近を"走行中"に補機を切り離す荒業が行われていたほどです。そのような御殿場の急勾配を避けるため、国府津から熱海方面に建設が進み、勾配がほとんどない丹那トンネル経由の東海道線が完成しました。東海道線から取り残された国府津〜沼津の区間が御殿場線となりました。また東海道新幹線についても、勾配のある地形は高速化には不利なこと、戦前の弾丸列車計画の際に新丹那トンネルが一部建設されており、その設備を流用出来たことから、東海道線の線路に並べる感じで熱海経由で建設されています。
最後に高速道路について見ていきます。
東京と名古屋を結ぶ東名高速は、東京から厚木や御殿場を通り沼津までは国道246号に並行する感じで走っています。現在建設中の新東名高速に関しても東名高速同様御殿場経由です。高速道路については、勾配は鉄道ほど気にしなくてよいものの、長大トンネルを建設しづらいため、箱根や熱海方面の急峻な地形ではなく、御殿場経由で建設したのは理にかなっていると言えます。小田原や箱根、熱海方面は小田原厚木道路や西湘バイパス、国道1号や135号などがその役割を担っています。しかし、特に小田原〜熱海間はほぼ国道135号1本のみの状態であるため、休日には激しい渋滞が発生する他、災害時の交通確保も課題となっています。そのため、小田原から熱海経由で函南までを結ぶ伊豆湘南道路という道路の計画がありますが、あまり計画は進んでおらず、完成にはまだ長い年月がかかりそうです。
これらをまとめていくと、古代の道路や鉄道において、最初は箱根外輪山の北側を回る御殿場や足柄峠を通るものが多かったが、次第に箱根や熱海を通る交通が発達したということが分かります。
