以前にも書きましたが、死ぬと肉体は亡くなるけれど精神は生きているのだろうな、
と色々な人の話を聞いていて思います。
母の母(私の祖母)は後半の7年は認知症で最後の数年は寝たきり状態でした。
正直、「肉体はそこにいるけれど、精神はいない」Poline Bossの言う「不確かな喪失」の状態でした。
特に心臓が強かったので、必要以上の栄養分を摂取することで生かされ続ける姿に「施設や病院で死ぬのは難しい」と家族が感じたものでした。
震災後、父が亡くなり、街も荒廃した状態で気分転換も出来なくて独りで日々を過ごしていた
母にとっては祖母が「そこにいるだけ」で心の支えになっていたようです。
祖母が亡くなった後、「そこにいてくれるだけで良かったの」と涙ながらに言ったのが心に残ります。
母の女学校時代の大先輩が誤嚥性肺炎のために107歳6カ月で亡くなりました。
最後まで現役のお習字と蒔絵の先生で、かくしゃくとされていました。
それだけに、死は「いつかは来るだろう」と思わせながらも「あの方は特別だから」とどこか死がまだ遠いもののように思わせていたのです。
107歳にもなるとかなりの高齢でお友達はまず生きていらっしゃいません。
それでも現役の先生だったため、お葬式に30人、焼き場にも20人が同行したと聞き、
なんて羨ましい送られ方だと思いました。
とても社交的な方でしたし、先生として周囲への気配りは生半可ではありませんでした。
そういう人とのコミュニケーションをしっかり取っていらした方でしたから、皆さんが「最後のお別れをしたい」と集まったのでしょう。
こんな風に送られることを目標に私もいきたい
私の「メメントモリ:最良の生き方」のセミナーでは、「死の体験旅行」のワークの後に
2種類の弔辞を作ってもらっています。
弔辞って、どういう風に生きたかを他の人に説明する文章です。
自分の生き方を考えるためにも大切なワークでもあります。
それも2種類の客観的視点で書いていただくので、一番大変なワークかもしれません。
そこには、ご自分の理想の送られ方も入ってくるのです。
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