2012年11月、イスタンブール仮暮らし1ヶ月を終え日本へ帰国。
「トルコに住んでみたいんです!」と仕事とは無関係なトンデモナイ発言を
会社の振り返り面談でするという事態から全てが始まったこの仮暮らし計画。
ワガママを通して、1ヶ月間会社を休ませてもらいイスタンブールへ。
帰国後はもちろん「で、どうだった?」「で、どうするの?」という展開になるわけで。
正直なところ、1ヶ月滞在したくらいじゃなーんもわからなかった。というのが事実。
1ヶ月の貴重な異文化体験。で終わりにするのか、それともさらに踏み込むのか。
心の中で答えは決まっていたけれど、口に出すには勇気が必要・・・。
そんなとき、このtapi旅ブログに届いた、あるコメント。
「トルコが好きで、東京でトルコ語教室に通いつつ、トルコに住む計画を立てている」
というその内容に、心を引き寄せられた私。
自分自身が、こうやって文章を書くことをしているからかもしれないけど
例え短い文章であっても、その人が記す言葉には“人柄”というものが滲み出る。
と思っていまして。
このコメントに滲み出ていた彼女の人柄から何かを感じ取った私。
文章のやり取りだけでも、不思議と感じた居心地の良さ。
その後、メッセージのやり取りを重ねて行くうちに
旦那さんとふたりでトルコに住む予定だということが分かり
それじゃあ3人で会いましょう!ってことで、新宿のトルコ料理屋さんで集合。
1ヶ月半後には飛んでイスタンブール!
というふたりの話を聞き、大いに影響を受けたのは言うまでもなく。
ふたりと会って間もなく、ついに勇気を出して
会社を退職し無期限でイスタンブールへ旅立つことを宣言したのであります。
2013年4月、ふたりがイスタンブール入りしてから3ヶ月後
私も満を持して飛んでイスタンブール!
これまた不思議なご縁から、渡土前の時点で仕事が見つかっていた私。
住居を探して決めるまでの間、職場がホテルの一室を用意してくれ
そこに滞在しながら仕事へ通う。という予定でした。
先にイスタンブール入りしていた彼女からは
「しばらく旦那が日本へ帰国していないから、その間うちに泊まっててもいいよ♡」
と声掛けをしてもらっており。
イスタンブールへ到着後、ホテルへチェックインするや否やアレコレ悟ったw私は
彼女に連絡を取り「明日からお世話になっていいですか?」という展開に。
そこから始まった同居生活。
家を見つけるまでの間!の予定が、あれよあれよと約2年w
言葉も儘ならぬまま、生活の基盤も整えぬまま、トルコのいろはも知らないまま
ご当地ルール?!に則って働き出した私は、体力の限界に挑む日々で
毎日家に着くころにはボロ雑巾状態。
「ただいまー。」とドアを開けると、ふたり仲良くキッチンに立っていて
『おかえり。お疲れ様―。』と夕飯の支度をしながら声を掛けてくれる。
作ってもらった夕飯を平らげ、片付けをすると、私は日課であるブログを書き
なんなら書いてる途中で、PCに手を伸ばしつつ寝落ちする日々。
そんな私を哀れにに思ってか、私に余裕ができ新たな住処を見つけるまで
約2年間、一緒に住まわせてくれたふたり。
あのタイミングでふたりがそばにいてくれて、私を支えてくれたからこそ
私は今もここトルコで前を向いて暮らしていられる気がします。
ふたりの家を出て、新たなご縁が繋がって引越した先も、偶然にも同じ街。
その後ふたりも引越しをしたものの、またもや同じ街で、なんなら以前よりご近所さん。
さらに私が引越しをすることになったものの、今度はまさかの同じ通り沿い。笑
「スープの冷めない距離」な関係は、こうして4年間続いたのです。
日々の些細なことから一大イベントまで、共有した時間は数知れず。
ふたりにとって第一子となる娘っ子の出産の際には
日本から駆け付けられない彼女のお母さんの代わりを果たさねば!と
私もワガモノ顔で病院に掛けつけ、陣痛の波と共に戦い
分娩室まで入り込み、出産の瞬間に立ち合いました。
娘っ子が生まれてからというもの、自分たち夫婦ふたりとしての人生ではなく
娘も含めた人生を考えるようになったふたりが行きついた答えは
「日本への帰国」でした。
3月に入ってからと言うもの、乳飲み子を抱えての国をまたいだ引越し準備で
バタバタとし出したふたりと共に、便乗して私もバタバタ。
残された日々のToDo&日々の育児をこなすのに精一杯な状態のふたり。
トルコ生活を振り返ったり、余韻に浸る余裕などございません。
私も全く実感が湧かないままバタバタしてたけど、これはイカン!
と思い、ふたりが帰国する数日前から突如始めたある作業。
4年間、ふたりのプライベート空間までズカズカ入り込み
専属カメラマンとして密着し続けてきた甲斐あって
これでもかっ!てほど存在する、ふたり&娘っ子の写真。
その写真たちを使って作り始めたムービー。
バタバタするふたりをよそに、この作業をし始めてからと言うもの
夜な夜なひとりで編集しながら涙がポロポロ止まらなかった私。
大量の写真の中から、ムービーで使うものをピックアップする作業の中で
この4年間を振り返っていたら、改めて、このふたり&娘っ子が
いかに大きな存在であったか。ということを思い知らされたのです。
私が誰よりも心を開き、素直になれた存在だった友がトルコを巣立って2日。
まだ喪失感からは立ち直れず、ふと思い出してはポロポロ泣いてますけれど
時というものがこの哀しみを癒してくれること、知ってますから。
一家からもらったナザールさんを胸に、トルコライフ頑張りたいと思います☆