先日、トルコ友との会話の中で
なるほどねぇ~。と思ったこと。
私は普段
ムトちゃんのことを「○○さん」
ルンバくんのことを「□□さん」
と
名前に“さん付け”で呼んでいます。
トルコ語で言えば
「○○hanım」 「□□bey」
英語で言えば
「Ms.○○」「Mr.□□」
と呼んでる感じ?になるのかしら。
とても近しい関係にも関わらず
私がそうやって呼んでいることが
トルコ友からすると、不思議だったみたい。
(絶賛、日本語勉強中のトルコ友だから
“さん付け”で呼ぶことが、丁寧な呼び方なことを理解してる。)
なんでふたりのことを、そう呼んでるの?
と聞かれ、説明するのに困った。
なんで?って、言われても・・・。
以前は
ニックネームで呼んでたんだけど
いつからか
近さ余って遠さ100倍!的なノリで ←え?全然わからない??
敢えて“さん付け”で呼んでいるわけで。
最初のうちは敢えてだったのが、いつからか普通になって
本人を呼ぶときにも、他の人との会話の中で話すときにも
ふたりのことを“さん付け”で言うのが
私にとってノーマルになっていたのでした。
なんなら
日本にいる親友や幼馴染みなんて
名前じゃなくて苗字に“さん付け”で呼んでるしね。笑
もはやこれって
日本人としての習慣ではなく、私のヘンなクセなわけで。
私の乏しいトルコ語で
「近いからこそ、面白おかしくそう呼んでるんだよ。」
って説明したら
「でも、面白おかしい会話のときだけじゃなくて、いつもそう呼んでるじゃん。なんで?」
と聞かれ。
うぅ・・・。
もうこれ以上、うまく説明できない・・・。
こういうのって
日本語が分かる、分からない
の問題ではなく
日本の文化を知ってる、知らない
の問題でもなく。
日本人同士だったら
「なんとなくそう呼んでるんだ~。」
「うんうん、あるよね、そういうの~。」
で終わるところですが
この言葉では説明できない感じが
なんとも異文化交流でオモシロイね!と思ったのでした。
逆に私からすると
トルコ人が近しい友人やら恋人やら家族同士で
「私の○○」って呼ぶことのが
とても興味深いですわぁ~。
「私の!」だって。
「私の!!!!!」ってな。
でもトルコ人のその呼び方、結構すき。
友人同士でも、自分自身が「私の!」の括りに入ったとき
ちょっと嬉しかったりするお年頃です。
こんなステキなブドウ棚の下
トルコライフの大先輩、りんごサン とおしゃべり。
トルコライフ若葉マークがゆえの私の思いなどを
あたたかい目で見守りながら聞いてくれましたー。
でもって終いにはふたりして
「トルコのこういうとこ、いいよねー。好きだねー。」
って、そんな話。
のほほん、のほほん。
いい時間でした★
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