『縁』を感じずにはいられない出会いを、旅を通してすることが多々ある。
言葉も文化も環境も、自分が暮らすまちとは全く違うものだとしても
みーんな“地球の子”なんだなって感じる。親近感が沸く。
それをいちばん強く感じるのが、私にとってはトルコという国。トルコ人というひと。
初めてトルコに行ったとき、あまりの楽しさに最終夜はともだちとふたり、大盛り上がり。
最後の晩餐に選んだレストランで、トルコの地酒、ラクを堪能。
フレンドリーな店員さんとの会話も弾み、笑いっぱなしの楽しい時間。
文明の利器のおかげで、距離を感じないくらいスピーディーに通信ができるこの時代。
このフレンドリーな店員さんとも、それを通じて、帰国後も繋がっていた。
アップデートされる写真をみては、なつかしいなぁ~なんて、気持ちがトルコにワープしていた。
翌年。
メキシコに旅発つ前日、思いもよらない報せが届いた。
あの、フレンドリーな店員さんが、交通事故で亡くなった・・・と。
遠く日本まで、1日も経たずにその報せは届いた。
たまたま入ったレストランで、たまたま出会っただけのひと。
たった1回会っただけ、たった数時間会話しただけのひと。
そのひとが、もういない。
しばらくの間、実感が沸かなかった。
何軒も見て回ってやっと決めたレストランで、縁あって出会ったひと。
たった1回しか会ってないのに、楽しい想い出を作ってくれたひと。
そのひとが、もういない。
時間の経過とともに、現実で起こった話なんだということを実感した。
明日から行く、旅の準備など手につかなかった。
メキシコなんて、行きたくなかった。
今すぐトルコに行きたかった。
行ったところで何になるわけじゃないけど、とにかくあのレストランに行きたかった。
冷静さを失ったわたしを諭してくれたのは、ともだちだった。
トルコに一緒に行き、明日からはメキシコに一緒に行くともだち。
わたしたちふたりが一緒に旅したトルコで出会った、楽しい想い出の中のひと。
わたしたちふたりが一緒に旅に出る前日に届いた、悲しい報せ。
何かはわからないけど、何かがあるんだよ。
ちゃんとお別れする機会を与えてくれたんだよ。って。
本来なら、“ただの観光客”であったわたしたちにまで、決して届くはずのない報せ。
それが届いたんだもの。しかも、このタイミングで。
それって『縁』以外の何ものでもないよね。
メキシコのグアナファトより、遠くトルコのイスタンブールへ。
想いよ届け、ご縁に感謝。
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