~うつを乗り越え、取り戻した笑顔で歌う~
笑顔を届けるハートフルシンガー稲田貴久です。
このブログは、うつになり、10年の闘病、3度の克服、1度の自殺未遂を経験した著者が、うつを乗り越えた今、うつから学んだ大切なことをお届けするものです。
あなたは、何を祈りますか?
今日は、最近ぼくが学んだ「祈りのコツ」についてご紹介します。
帰ったきたハハトラマン!
夜明け前に、トイレで意識を失い転倒した母が救急車で搬送されたのが忘れもしない、1月26日のことでした。
顔の骨と右足の膝下を骨折し痛みと闘い、3ヶ月間リハビリに励みました。
足への負担を減らすために体重を6キロ減らし、入院前より元気になった母が、退院して我が家に帰ってきたのです。
この3ヶ月、ぼくは祈り続けました。
日本には神社仏閣があり、祈りの習慣があります。
手を合わせ、大切な人を思って祈ることは日本人の美徳でもあります。
母が入院する前から、ぼくはよく神社に行き、日頃の感謝を神さまに伝えていましたが、母の入院を機に「感謝が祈り」に変わりました。
「1日でも早く母が元気になりますように」
ところが、毎日祈ることで、ぼくは危険を感じたのです。
それは、「思考の偏り」でした。
強く祈り続けるあまり、自分自身を洗脳し始めたのです。
大切な人を想って、祈ることは尊いことです。
あなたも、大切な誰かを想って祈ったことがあると思います。
しかし、近くにいない人を強く祈り続けていると、自分の中心がその人になることがあるのです。
「どうしたら、母は元気になるだろうか?」
「どうしたら、母は楽になるだろうか?」
「どうしたら、母は・・・。」
いつしかぼくは、母の人生を生きるようになってしまっていたのです。
その結果、大切な夫婦のポジションがズレてしまい、仕事や生活への影響が出始めて、自分を苦しめてしまうことになりました。
待望の長男として生まれ、幼い頃から父に期待を受けて育ったぼくは、自分の夢を持てず、いつも人目を気にしてビクビクしていました。
親の期待に応えることが唯一認められることだと疑いもせず育ったぼくは、いつしか父の人生を生きていました。
父の夢に破れた時、ぼくは抜け殻となり、途方にくれて、自分を消したくなったのです。
今回、思考が祈りに引き寄せられてしまったことは、よい子を演じて育ったぼくの生まれながらに持ち備えた特性であり、素質です。
よい子を演じて生きてきた、そこのあなた。
どんなにつらく、どんなに苦しい時でも、自分を生きることを決して忘れないでください!
そして本当に大切なものを見失わないでください。
みんなが幸せでいることが、ぼくの幸せ。
そこに誰一人として、欠けていてはならない。
「家族みんなが、心穏やかに、笑顔で、健やかに過ごせますように」
祈りと思考は切り離すことが大切だと感じたぼくは、どんなに苦しくつらいことがあっても、変わらない祈りを続けることを決意しました。
祈りと思考は、切り離すべき。
それが、最近ぼくが学んだ「祈りのコツ」でした。
神さま、大切なことを教えてくださいまして、ありがとうございました。
おかげさまで無事に母は退院ができ、家族みんなが幸せです。
幸せとは、「一人で作るものではなく、みんなで築き上げるもの」。
今日も、家族みんなが、心穏やかに、笑顔で、健やかに過ごせますように。。。
笑顔を届けるハートフルシンガー
稲田貴久
【 稲田貴久(いなだ たかひさ) プロフィール 】
笑顔を届けるハートフルシンガー。
1971年愛知県生まれ。待望の長男として期待をうけ育つ。よい子を演じ頑張り続ける結果、28歳で重度のうつ病を発症。自殺未遂に追い込まれ、10年に及ぶ壮絶な闘病生活を送る。つらさの中に笑顔で生きる秘訣をみつけ、生き直しを果たす。現在は「1人でも多くの人に笑顔を届けたい」と逆境からの学びを曲にして歌い、学校や病院、施設などで独自な講演活動を重ね、生きづらさを抱える多くの心に寄り添う。同時に東日本大震災被災地で心の支援活動にも力を入れている。ユーモアを交えて笑顔で歌い届ける姿が反響をよび、新聞、テレビ、ラジオなどメディアで多数取り上げられている。
2014年オリジナルアルバム「Smile」リリース。同年コラボシングル「チキンハートの唄」リリース。一般社団法人教育サポート協会公式サポーター。
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