前回の永年の呪縛を手放しました(前編)の続きです。
ちょっと、たいそうなタイトルだったなぁあせると思いつつ、後半まいります。




セラピストが父(の座布団に座った私)にこう尋ねます。

「あなたのお父さんとお母さんはどこに居るような気がしますか?
 そこに座布団を置いてみてください」


父は頭を振りながら答えます。

「いえ、いません」


でも、組んだ両手の親指がせわしなく動いています。

「あなたのその手はなんて言ってるの?」

「・・・・・」

「さっきからいっしょうけんめい、左手の親指で右手をこすっていますね?」

「・・・・・」

「その指が何か言ってるとーー」

「違う」

「何が?」

「違うって・・・」

「何が違うの?」

顔をゆがめながら肩を震わせる父。



本当は父も知っているのです。
自分に父親と母親がいたことを。
自分が、紛れもなくそのふたりから産まれたのだということを。



そして、そこに愛があったことも。



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ゲシュタルト療法では、家族間の問題をこうとらえます。

「家族が問題を抱える時、それは問題なのではなく、
 ただ<愛がもつれて>しまっている状態なのです」。


そして家族連鎖とは、

「家族連鎖は、決して”負の遺産”ではありません。
 家族という人間の根源にある”愛情”を、
 次の世代に伝えるためのシステムなのです」

「しかし、その愛情の絆が<未完了>であった場合には、
 それらが<未解決な問題>として家族のメンバーに残り、
 負の連鎖としての家族連鎖が起きてしまうのです」



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セッションの最後に、
セラピストに促されてこう言葉を紡ぎました。



お父さん、

あなたの哀しみはあなたにお返しします。


でも、

あなたの愛はしっかりと引き継いで、子ども達に手渡します。


やがて、

子ども達が成長して家を出ていく時も、

それを喜んで見送ります。


私は、

人を信じてもいいし、

愛を信じてもいいし、

幸せになってもいい。

それを自分に許します。



お父さん、

ずっと、ありがとう。

ずっと、ずっと、愛しています。




$子育てチェンジセラピスト・タオの日々是好日




永年の愛のもつれがほどけました。
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