きょうは私自身のセラピー体験記を、私と父のために綴りました。
少々重たく、長い記事ですので、ご興味のある方だけお読みいただければ幸いです
ニコニコ



もう日付が変わってしまいましたが、
昨日は亡父の誕生日でした。

そして、その日、ゲシュタルト療法のセラピーを受けました。

テーマは私がずっと昔から抱いていた、
「どうせ人はみんないなくなる」という想いについて。


どうせいなくなるから、人なんて信じない。

どうせいなくなるから、人なんて愛さない。

どうせいなくなるから、幸せになんてならない。


すべてを、そう思い込み、少しでも傷つかないように
予防線を張り、感じないようにし、距離を置こうとする”私”がいました。


でもそれに気づいたのはほんの数年前。


その理由も、幼い頃から引っ越しが多かったから?とか、
いや、3~4歳の頃に母親が家出したことがあったから?とか、
いろいろと頭では考えていました。


でもセラピーを受けて出てきたのは、
どうしようもない父の哀しみでした。

生まれてすぐに養子に出された父は、
”産みの親”という存在を全否定することで
その哀しみと怒りを封印し、ずっと生きてきたのでした。


かつて父は笑いながら私に語ったことがあります。
「どうしては人はみんな何年経っても、必死になって産みの親に
 会おうとするんだろう?俺にはさっぱりわからん」


また、母の家出のことを後年、私に語った時もこう言っていました。
「あいつは、一度はお前達を棄てたのだから」と。


そんな父は、どういう理由があったのかわからないのですが、
なぜか一人目の子どもである長女を、
母方の祖父母に養女として渡しているのです。


産みの親などなくても生きていけるということを、
わが子を差し出してまで、証明しようとしたのでしょうか。


登場人物の数だけ座布団を並べて、
全体のからくりを目に見える形で俯瞰しても、
父はなおその呪縛にしがみついていました。




長くなるので続きは後編であせる
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