きょうは私自身のセラピー体験記を、私と父のために綴りました。
少々重たく、長い記事ですので、ご興味のある方だけお読みいただければ幸いです![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
もう日付が変わってしまいましたが、
昨日は亡父の誕生日でした。
そして、その日、ゲシュタルト療法のセラピーを受けました。
テーマは私がずっと昔から抱いていた、
「どうせ人はみんないなくなる」という想いについて。
どうせいなくなるから、人なんて信じない。
どうせいなくなるから、人なんて愛さない。
どうせいなくなるから、幸せになんてならない。
すべてを、そう思い込み、少しでも傷つかないように
予防線を張り、感じないようにし、距離を置こうとする”私”がいました。
でもそれに気づいたのはほんの数年前。
その理由も、幼い頃から引っ越しが多かったから?とか、
いや、3~4歳の頃に母親が家出したことがあったから?とか、
いろいろと頭では考えていました。
でもセラピーを受けて出てきたのは、
どうしようもない父の哀しみでした。
生まれてすぐに養子に出された父は、
”産みの親”という存在を全否定することで
その哀しみと怒りを封印し、ずっと生きてきたのでした。
かつて父は笑いながら私に語ったことがあります。
「どうしては人はみんな何年経っても、必死になって産みの親に
会おうとするんだろう?俺にはさっぱりわからん」
また、母の家出のことを後年、私に語った時もこう言っていました。
「あいつは、一度はお前達を棄てたのだから」と。
そんな父は、どういう理由があったのかわからないのですが、
なぜか一人目の子どもである長女を、
母方の祖父母に養女として渡しているのです。
産みの親などなくても生きていけるということを、
わが子を差し出してまで、証明しようとしたのでしょうか。
登場人物の数だけ座布団を並べて、
全体のからくりを目に見える形で俯瞰しても、
父はなおその呪縛にしがみついていました。
長くなるので続きは後編で![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
![ペタしてね](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/decoPeta/pc/decoPeta_10.gif)
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もう日付が変わってしまいましたが、
昨日は亡父の誕生日でした。
そして、その日、ゲシュタルト療法のセラピーを受けました。
テーマは私がずっと昔から抱いていた、
「どうせ人はみんないなくなる」という想いについて。
どうせいなくなるから、人なんて信じない。
どうせいなくなるから、人なんて愛さない。
どうせいなくなるから、幸せになんてならない。
すべてを、そう思い込み、少しでも傷つかないように
予防線を張り、感じないようにし、距離を置こうとする”私”がいました。
でもそれに気づいたのはほんの数年前。
その理由も、幼い頃から引っ越しが多かったから?とか、
いや、3~4歳の頃に母親が家出したことがあったから?とか、
いろいろと頭では考えていました。
でもセラピーを受けて出てきたのは、
どうしようもない父の哀しみでした。
生まれてすぐに養子に出された父は、
”産みの親”という存在を全否定することで
その哀しみと怒りを封印し、ずっと生きてきたのでした。
かつて父は笑いながら私に語ったことがあります。
「どうしては人はみんな何年経っても、必死になって産みの親に
会おうとするんだろう?俺にはさっぱりわからん」
また、母の家出のことを後年、私に語った時もこう言っていました。
「あいつは、一度はお前達を棄てたのだから」と。
そんな父は、どういう理由があったのかわからないのですが、
なぜか一人目の子どもである長女を、
母方の祖父母に養女として渡しているのです。
産みの親などなくても生きていけるということを、
わが子を差し出してまで、証明しようとしたのでしょうか。
登場人物の数だけ座布団を並べて、
全体のからくりを目に見える形で俯瞰しても、
父はなおその呪縛にしがみついていました。
長くなるので続きは後編で
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