宮崎県串間市にある「都井岬灯台(といみさきとうだい)」を慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

「鹿児島中央駅」より
「西都城駅」まで
電車にて1時間24分。

 

「西都城駅」より
「JR志布志駅」まで
バスで1時間14分。

 

 

「JR志布志駅」から
「串間駅」まで電車で23分。

 

 

「串間駅」から「都井岬灯台」まで
コミュニティバス(土日のみの営業)

にて45分の距離にあります。



◆都井岬灯台(といみさきとうだい)

 

 

 宮崎市から南へ、
日南海岸と呼ばれる

九州有数の観光地の
最南端に、

 

日向灘と志布志湾を
分けた形の岬があり、

岬の突端に
高さ15メートルの灯塔の
都井岬灯台が建っています。



 海の青さと緑に囲まれた、
240メートルの断崖上にある
白亜の美しい灯台。



 その灯塔からは
東の日向灘をはじめ、



三方面の黒潮流れる海
を一望することができ、



背後には、野生馬

 

(岬馬・御崎馬と呼ぶ)の
棲む林が続きます。

 

 東南アジア方面から
航行してくる船舶が

初めて九州本土を認識する
重要な灯台として

大正時代から
その施設の必要性が叫ばれ、

 

 

海運界や海軍の
強い要望を受けて、 

 昭和4年(1929年)
5月16日に起工、

同年12月22日完成し
初点灯されました。



 当時の光源は、

1300カンデラの
石油ランプでしたが、

昭和19年7月に
電化され300万カンデラと

東洋一の光度を持つ
灯台となったのです。



 昭和20年大東亜戦争の
空襲により、灯室が大破、

昭和25年台風29号により、
灯籠が大破。



 昭和26年復旧したが、
建設当時のものは

コンクリートの灯塔だけ
となりました。



 しかし、

この灯台は昔と同様に
屋根を陸屋根として

周囲に欄干を設け、

灯塔から出入りする
屋上庭園となっており、

当時から斬新な設計として
注目を集めています。



 また、現在も航行する
船舶の目印として活躍中です。



●都井岬灯台資料展示室

 

 

 灯台を見学される方に

「日本の航路標識」を
知っていただくため、

パソコンクイズ、映像、
写真等で解説しています。

 

 海上交通の安全に
寄与している

数々の航路標識の
あることを

理解していただくことを願い、



平成12年(2000年)3月に

全国に4番目の施設として
「都井岬灯台資料展示室」を

社団法人 燈光会により
開設されたものです。



 現在では観光地の
ランドマーク的な
場所ではありますが、



台風などの自然災害や

戦時中は相手国からの
攻撃目標ともなるなど

様々な歴史を
刻んでいった灯台です。



 謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。

「日向の国都井の岬の青潮に
入りゆく端にひとり海見る 牧水詠」