鹿児島県志布志にある「権現島水際陣地跡」(ごんげんじまみずぎわじんちあと) を慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

「鹿児島中央駅」から
「鴨池フェリーターミナル」まで
バスにて35分。

 

「鴨池フェリーターミナル」から
「垂水フェリー乗り場」まで
フェリーで40分。

 

<錦江湾(鹿児島湾)より桜島を臨みます。>

 

「垂水港」から
「志布志湾入口」まで
バスにて1時間53分。

 

 

「志布志湾入口」から
徒歩4分の距離にあります。

 

◆権現島水際陣地跡
(ごんげんじまみずぎわじんちあと)

 

 

「志布志旧記」
という史料によりますと、



権現島の頂上には
江戸時代まで、

 

<鳥居の先へ行ってみます。>

近くにあった
名刹・宝満寺に関連した
波上権現があったそうです。


<何やら人工物のようなモノが見えますね。>

 現在は航海安全を祈願し、
事代主命
(コトシロヌシノカミ)を
御祭神とする

蛭児神社が
祀られているとのこと。


<その左手にはお地蔵さんでしょうか?>

 市街地を流れる前川で
悪さをする河童が
権現の神様に諫められ、


<昭和八年十二月十八日とあります。>

悪さをしないことを
誓うかわりに


<お姿からして”傘地蔵”でしょうか?>

河童は自らの片手を
収めたという
記述もあるそうです。


<志布志町漁業組合祭書とあります。>

 この権現島は
以前は島であったが、


<更に足を進めますと・・・。>

現在は埋め立てにより
陸続きになって
山になっています。


<これは祠(ほこら)でしょうか?>

太平洋戦争末期、
連合軍の本土上陸作戦

 

(オリンピック作戦)の
最有力地と見られていた

 

<上陸作戦のための連合軍の調査資料>

志布志湾沿岸には、


<柵の中には岩の様なモノがありました。>

そのための防衛施設が
集中的に配備されました。


<その奥は通路になっているとのこと。>

 なかでも
志布志地区には、
市街地背後の台地に


<柵の右手には・・・。>

歩兵187連隊第3大隊の
深見大隊が
総延長16kmに及ぶ


<銃眼跡が見えます。>

洞窟陣地や砲台陣地が
掘りめぐらされ、


<これはおそらく2機分の銃座跡でしょうか?>

長期戦にも
耐えられるように
構築されていました。


<では、山頂へ参りましょう!>

 その他にも
速射連隊、
野砲連隊も集結しており


<鳥居を潜りますと、いきなり祠(ほこら)跡です。>

終戦当時は数千人が
志布志に駐屯して
いたそうです。

 

<踊り場には・・・>

昭和20年6月に
九州全般の
防備状況を視察した

 

<灯籠のようなモノが2つありました。>

第二総軍司令官畑元帥が
全軍一のモデルだ
と絶賛したのだとか。

 

<この階段。結構、登り辛い構造になっています。>

これらの施設は、
戦後長く
放置されてきましたが、

 

<ようやく頂上に到着です。>

近年、危険防止のために
埋め立てられたり、


<何と!国旗がボロボロになって棚引いておりました。>

入口が
塞がれたりしましたが、

 

<心なしかカラスが群れていました。>

前川河口の権現島には、
今でも、

 

敵船団の上陸を監視し、
迎撃することを目的に

 

造られた地下防空壕と
銃眼などが残っています。



謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。