「鹿児島中央駅前」から
「人吉IC」まで
バスにて1時間37分。
「下新町(人吉)」から
「高原記念碑前」まで
バスにて10分。
◆木上加茂神社
(きのえかもじんじゃ)
<「滑走路跡」から東へつづら折りの階段を下ってゆきます。>
御祭神
加茂御祖神(かもみおやの神)
別雷神(わきいかづちの神)
以上二柱を
お祀りしてあったが、
<神社が見えてきました。>
木上の住民が
長年敬仰していた
大平山の恩人
窪田越後の
四百年祭を機に
神社庁の御認可を得
<鳥居の奥には国旗が見えます。>
昭和五十五年十一月二十二日
当神社秋の大祭前夜
「窪田越後守藤原長善命」
として
増祀したため
祭神は三柱となる。
<水の張っていない手水舎を横に・・・。>
創立: 創立年月創立者不詳
沿革: 天文十六年(一五四七)
藩主相良晴広公の願いにより
藤原長善(窪田越後)
当時の木上地頭が再興、
永禄九年
義陽公の願いにより
竹田彦三郎平重昌
拝殿造替え
<案内板がありました。>
通称由留木大明神
と称していたが
明治元年
加茂神社に改む。
<鳥居を潜ります。>
明治五年村社別格。
昭和二十七年
宗教法人法に基づき
当加茂神社を総社とし
荒田大王神社外
木上地内に在る
十三柱を
飛び地境内社として
登記する。
<しめ縄の奥に国旗が二つ掲げてありました。>
昭和五十五年十一月
木上農協に建てられていた
越後の顕彰碑を
当社境内に移転
御霊を神殿に増祀。
<夫婦杉が拝殿のすぐ近くに聳えています。>
この機に広く
住民の浄財によって
社殿を改修する。
昭和五八年三月之建てる
<大平山の恩人窪田越後の顕彰碑です。>
隊員の皆さまは、
出撃前には
当神社に参拝をして必勝祈願、
そして
1945年(昭和20年)8月15日正午、
<「伝説 お浪が池」だそうです。>
昭和天皇による
「終戦の詔書」の
玉音放送がラジオで流され、
終戦の知らせを
皆で受けたのだと
ガイドの方から
聞きました。
当時の皆様の
心境を慮り
謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。
<神社正面から見た光景です。78年前に米軍機がこの空を染めたのだとか。>