「鹿児島中央駅前」から
「人吉IC」まで
バスにて1時間37分。
「下新町(人吉)」から
「高原記念碑前」まで
バスにて10分。
◆「山の中の海軍の町 にしき
ひみつ基地ミュージアム」2
◎人吉海軍航空基地の歴史
山の中につくられた
“海軍航空基地”
人吉海軍航空基地は、
太平洋戦争中の
1943年(昭和18年)11月に、
海軍施設部により
建設が開始されました。
全長1,500m 幅50mの
コンクリート製
滑走路を有する飛行場と、
<九三式中間練習機「赤とんぼ」実物大模型>
本部庁舎や実習棟、
兵舎が建ち並ぶ
庁舎居住地区からなる、
本格的な航空基地でした。
<翼幅:10.99m/全長:8.05m/全高:3.20m>
1944年(昭和19年)2月、
人吉海軍航空隊が発足します。
<皇紀2593(西暦1933)年、海軍にて正式採用された練習機の実物大模型。>
当初整備兵を
養成していましたが、
<実物のサイズ感や造りをできる限り再現した布張りのボディや・・・。>
5月からは
海軍飛行予科練習生が
入隊します。
<練習機ならではの複座式のコクピット、赤とんぼと呼ばれる所以となった・・・。>
飛行機乗りを
夢見た予科練生は、
海も湖もない人吉球磨で
飛行機整備術を学びました。
<シルエットなどを・・・。>
その数は
6,000名を超えます。
<2階展望エリアから立体的に見ることができます。>
その後、
2度にわたる空襲と
戦況の悪化により、
教育施設から
特攻訓練基地、
そして
本土防衛基地へと
その役割を
変えていきます。
上空には、
「赤とんぼ」の
愛称で知られる
九三式中間練習機が
特攻訓練に明け暮れ、
<ショップエリア>
地上では
本土決戦に備えた
膨大な数の地下施設の
建設が進められました。
<人吉海軍カレー¥1300>
人吉海軍航空基地の
活動期間は、
わずか1年9ヶ月と
短いものでした。
当時携わった
先人の皆様の心情を鑑みて
謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。