東京都三鷹市の「中島飛行機 武蔵製作所 工場引き込み線 橋台跡」を慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

JR「三鷹駅」より
徒歩15分の距離にあります。

 

 

<案内板より>

◆中島飛行機 武蔵製作所
 工場引き込み線 橋台跡



 現在の
都立武蔵野中央公園から
市役所あたりまでには、

かつて戦前の日本を
代表する航空機メーカーであった

中島飛行機株式会社
武蔵製作所という

軍需工場がありました。



 工場は、

昭和12(1938)年から
20(1945)年まで稼働し、

零戦や隼など軍用機の
エンジンを生産していました。



 この工場への
物資輸送のため、

武蔵境駅から工場まで
引き込み線や

隣接する
境浄水場も被弾しました。



 戦後、
昭和26(1954)年、

工場跡の一角に

「東京スタジアム
 グリーンパーク野球場」
が開設され、



プロ野球観戦などの
観客輸送のため、

引き込み線が敷き直され、

三鷹駅から
国鉄「武蔵野競技場線」として

生まれ変わりました。



 しかし、間もなく
野球場は閉鎖され、

引き込み線も

昭和34(1959)年に
廃止になりました。



 その後、
玉川上水から北側は、
「グリーンパーク遊歩道」として



また南側は
「堀合(ほりあわい)遊歩道」

(三鷹市)として
生まれ変わりましたが、



この場所には、

コンクリート製の
橋台だけが残されました。



 平成24(2012)年、
都道の建設に伴い、



橋台の上に

「ぎんなん橋」が
設置されました。

 

 

 この橋台跡は、



工場への引き込み線の遺構で
唯一残った戦争遺跡です。



 当時尽力された
先人の皆さまの
足跡を鑑みまして



謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。