「鹿児島中央駅」から
「薩摩川内駅」まで
ローカル線で49分、
新幹線で12分。
因みに
「旧日本海軍『震洋艇
(しんようてい)』特攻基地跡」から
徒歩15分の距離にあります。
◆久見崎軍港跡
(ぐみざきぐんこうあと)
<ここより港の方角を拝見>
<ちなみに、9年前の案内板です。>
薩摩川内市教育委員会
管理者 薩摩川内市
ここは、藩政時代における
薩摩藩の軍港で、
船手やドックを備えた
造船所があった。
船手は藩の直轄で、
藩船の造修・管理
・交通運搬の取締り、
唐船に関する業務のほか、
海路による
参勤交代の御座船の
出入りなどを
任務としていた。
戊辰の役に活躍した春日丸
<幕府との
対立姿勢が次第に強まり、
軍艦購入の必要に
迫られていた薩摩藩は、
長崎のグラバー商会の仲介で、
慶応3(1867)年11月3日、
16万両もの大金を投じて
キャンスー号を購入し、
その軍艦を
「春日丸」と命名した。>は
この久見崎で
造られた
<島津家建造の
軍艦の名称「春日丸」から
とった>ものである。
慶長二年(一五九七)、
秀吉の第二次
朝鮮出兵(慶長の役)にあたり、
島津義弘一万人、
豊久八〇〇人の大船団が
この久見崎を出港し、
秀吉の死によって
翌三年
大方の島津勢は再び
久見崎港に
帰着した模様である。
なお、造船所の
大工頭をつとめた
樗木(おてき)氏宅に
保存されていた
大量の造船関係文書などは、
藩政時代の造船資料として
極めて重要なもので、
現在
川内歴史資料館が
所蔵している。
平成十二年三月
◆久見崎盆踊(想夫恋:そうふれん)
第二次朝鮮出兵のときに、
久見崎を出航して
生きて帰らなかった
親・兄弟の霊を
昭和46(1971)5月31日に
県指定無形民俗文化財となり、
現在も慶長の役記念碑前で
毎年8月16日に
踊られているとのこと。
元軍港として
歴史のはざまで
様々な先人たちの活躍を
体験してきたであろう
この地に
謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。