「鹿児島中央駅」から
「鴨池港」までバスにて20分。
「海蔵」バス停から
徒歩15分の距離にあります。
<掲示板より>
<これより目的地に向かいます。>
海蔵観音
(かいぞうかんのん)と
古石塔(こせきとう)
<表示板があるのが嬉しいです。>
一九六五(昭和四〇)年に
この観音像を修復出す際、
<山道をしばらく下りますと・・・。>
台座下から仏像の作者が
造立の由来を記した
銘札が発見された。
<お堂が見えました。>
それによると、
一六八一(延宝九)年に
宮之城島津家の仏師
鳥居次郎兵衛尉が
<これが・・・。>
高山郷にあった
地福寺(現在の福祉会館)を
アトリエにして
制作した。
<五輪塔と宝塔の残闕だそうです。>
願文には、
海蔵坊の住職達心法師の追善と、
当時の島津藩主
一九代光久公と
二十代綱貴公、
<それでは扉へ向かいましょう!>
それに
地頭福屋助佐衛門の
無病息災、武運長久、
子孫繁栄を祈願して
造立したとある。
<閂がかかっています。>
完成して海から運ぶ際、
海蔵近くで船底に穴があき、
船が沈みそうに
なったとき、
<扉の向こうには・・・。>
アワビがその穴に
吸いついて塞ぎ
観音は無事
安置されたという。
<観音像と罰当たりなヤモリが一匹。>
口伝によると、
この集落では
アワビを食べなかった。
<なるほど。>
子孫繁栄祈願の
信心から
安産祈願の
菩薩として崇められ
<端正なお顔立ちでいらっしゃいます。>
近郷近在から
妊婦を伴った
家族の参詣がたえない。
<これが全体像になります。>
仏像の材質は楠、
高さは一.〇六m、
端正な顔立ち、
流麗な作風から
<プレミアム焼酎「魔王」がお供えされていますね。>
一七八一~一七八八年
(天明)のころの
大阪の
名人彫刻師といわれた
堀尾五右衛門の作
とする文献もある。
<ホトケに「魔王」とは此れ如何に?>
観音堂横には
三十七基の五輪塔と
宝塔の残闕
(ざんけつ)があり、
南北朝から
戦国後期のもの
と言われている。
<はるばるこの海を経て運ばれて来たのでしょうね。>
尚、未回収のものが
周辺の竹藪にある。
二〇〇九年八月
肝付町教育委員会
地元の皆様の
信心の対象となり
貢献されていらっしゃる
観音像に
謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。