<御 由 緒>
洲崎神社由緒
当洲崎神社は
元弁財天社と称し、
厳島神社の御分霊祭神
市杵島姫命を
斉祀しております。
創立は徳川五代将軍
綱吉公の生母
桂昌院の守り神として
崇敬するところとなり、
元禄十三年、江戸城中、
紅葉山より
此の地に遷して
宮居を建立してより
代々徳川家の
守護神となっていた。
当時は海岸にして絶景、
殊に弥生の潮時には
城下の貴賤袖を連ねて
真砂の蛤を捜り
楼船を浮かべて、
妓婦の絃歌に
興を催すとあり、
<江戸自慢三十六興洲さき汐干かり
絵師:広重 , 豊国 出版者:平のや >
文人墨客杖を引く
という絶佳な所で
あったという。
浮弁天の名の如く
海中の島に
祀られてありました。
<江都名所洲崎弁天境内絵師:広重 出版者:佐野喜>
明治五年御由緒により
村社に列せられ
世間より崇敬厚かった。
<江戸名所洲崎はつ日の出絵師:広重 出版者:山田屋>
大正の震災、昭和の戦災に
社殿は焼失されたが
弘法大師作の御神体は
幸にして難を免れ、
<銀世界東十二景雪の朝州崎の日の出絵師:広重>
当時は仮社殿に奉斉して
居りましたが
昭和四十三年
現在の社殿を
造営し斉祀して
現在に至っております。
<行 事>
一月一日 元旦祭
二月節分の日 節分祭
三月 初午祭
<江戸名勝図会 洲崎 絵師:広重>
八月三日 例大祭
十一月酉の日 酉の市
十二月三十一日 年越祭
古札燃焼祭
<東都三十六景 洲さき汐干狩
絵師:広重 出版者:相ト>
今では想像できませんが
江戸期には
そこまで海があったといいます。
それは絵師による
画力の賜物でしょうか。
<東都名所 洲崎弁財天境内全図・同海浜汐干之図 絵師:一立斎広重 出版者:蔦屋吉蔵>
錦絵などを拝見致しますと
当時のほのぼのとした風情が
感ぜられ、
160年の時を経ていても
とても嬉しく思います。