「新宿駅」より
電車30分で
「武蔵小金井駅」。
そこから
「小金井リハビリテーション病院前」
までバスで10分。
そこから多磨霊園内へ
徒歩にて6分の
距離にあります。
★宇垣纏(うがきまとめ)の墓所
◆宇垣纏(うがきまとめ)
1890年(明治23年)2月15日
- 1945年(昭和20年)8月15日)は、
日本の海軍軍人。
海兵40期・海大22期。
太平洋戦争時に
連合艦隊参謀長、
第一戦隊司令官、
第五航空艦隊長官等を歴任。
最終階級は海軍中将。
陣中日記『戦藻録』が有名。
1943年(昭和18年)4月の
海軍甲事件においては
米軍機の
襲撃を受けて撃墜されている。
この折に山本五十六は戦死、
宇垣の機は被弾炎上して
海面に不時着し
重傷を負うが生還。
5月に軍令部に出仕し、
療養に入る。
1944年(昭和19年)2月、
体も癒え、
第一戦隊司令官に就任。
1945年(昭和20年)2月
第五航空艦隊司令長官に着任、
以後終戦まで沖縄戦における
特攻作戦(菊水作戦)を指揮。
同年8月、玉音放送に際し、
部下に命じ『彗星』11機からなる
特攻隊を編成、
自ら沖縄沖に向け出撃し、
未帰還となる。
<碑 文>
宇垣家之墓
<墓 誌>
従三位
勲一等旭日大綬章
昭和四十四年十二月二十四日
海軍中将
正四位
勲一等
功三級
宇垣纏命
昭和二十年八月十五日戦死 享年五十六
部下ヲ率ヒ九機ヲ以テ沖縄海面ニ特攻
宇垣知子姫命
昭和十六年四月二十六日歸幽 享年四十三
正五位
勲六等 宇垣博光命
昭和四十二年六月十日歸幽 享年四十七
宇垣冨佐子大刀自命
平成二十八年九月十日歸幽 享年九十
謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。