東京都小金市にある「日本の飛行機王 中島知久平墓所」を慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

「新宿駅」より
電車30分で
「武蔵小金井駅」。

 

 

そこから
「小金井リハビリテーション病院前」
までバスで10分。

 

 

そこから多磨霊園内へ
徒歩にて11分の
距離にあります。

 

 

ちなみに
「西郷従道墓所」から
徒歩1分の距離にあります。

 

◆中島知久平
(なかじまちくへい)Ⅲ

 

 下のものに
優しく接する知久平は、

一方において

相手の機先を制するのは、
眼力にあると言っていた。

 


<眼力の稽古台>

 したがって、
これはと思うときには、
知久平は相手を睨みつける。 

 眼力が一層鋭さを増し、
相手を制するのである。 

もっとも練習台となる
ブルドッグは、

後にはすぐに弱々しく
脇を向いてしまう
ということで、

 

 

代わって登場したのが、
なんとライオンである。



 かのアレキサンダー大王が
ライオンを飼っていた

という話から、

知久平も生態観察と称して
自分の屋敷内で

飼育をしたかったようで、

変な趣味といえば
趣味であろう。

 

 1934年(昭9)4月、
エチオピア皇帝から

上野動物園に寄贈された
ライオンに
子供が生まれた。
 

 

 知久平は
それを譲って欲しい

と懇願し続けたあげく、

動物園側が
欲しがっていた

オットセイを
苦心して手にいれ、

 

 

ようやく二ヵ月後、
それと交換して、

ライオンのオス・メス、
各1頭を入手した。



 ライオンの子は、

東京牛込加賀町の
中島邸で飼われたが、

ある日秘書役の
武藤金之丞が

そのライオンを連れて
銀座を歩いたため、

大変な人だかりとなり、

車も止まる
騒ぎとなった。 



 当時は、これを
取り締まる法律が無く、

警察側も弱ったが、
ともかく交通妨害罪になる
ということで、

引き下がって
もらったそうである。



 このライオン騒動は

これだけでは
終わらなかった。 



 翌年1月21日、
ライオン係の若い女性が

オスの"エチ"に
餌を与えようと

檻を開けたところ、

アッという間に
檻を飛び出した。

 

 そしてライオン係ら
二人に怪我を負わせ、

邸内を暴れまわった。 



 中島邸の内外では
大騒ぎとなったが、

幸い邸外に
逃げ出すことはなく、



やがて
無事檻に戻って

最悪の事態には
至らずにすんだ。 



翌日の東京朝日新聞には・・

   「血に飢えたライオン
      猛然と二人を噛む
        中島知久平のペット
           突如檻から脱出」

 との四段の大見出しが踊り、
紙面を大いに賑わした。

 事件の当日
外出していた知久平は、

この不祥事に
すっかり恐縮し、



即座に動物商に
捨て値で払い下げ、



ライオンとの睨み合いも
終止符を打ったのである。

 

・・・つづく