東京都小金井市にある「岡本太郎・かの子・一平の墓所」を慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

新宿駅より
電車30分で
「武蔵小金井駅」。

 

 

そこから
「小金井リハビリテーション病院前」
までバスで10分。

 

 

そこから多磨霊園内へ
徒歩にて10分の
距離にあります。

 

★「岡本太郎・かの子・一平の墓所」

 

 

◆岡本太郎
(おかもと たろう)
1881~1996 享年84歳



芸術家・人間そのもの



<略 歴>



太郎は18歳の時に
両親の渡欧に同行して、
パリに10年以上も滞在。

ピカソらと交流を深めるが、
ドイツ軍のフランス侵攻を
受け帰国する。

太郎は芸術作品を
誰かが所有することを否定し、

自分の作品を
個人に売ることは
なかった。



そこに行けば誰でも
タダで楽しめる作品を目指し、
壁画やストリートの
オブジェを制作し続けた。

その後、陸軍二等兵として
中国に四年間出征。

戦後、東京国立博物館で
縄文土器との
衝撃的出会いをする。



一方、自身の従軍体験を
背景にした
反戦思想を持っており、



ベトナム戦争時、
米政府へ向けて

ワシントン・ポストに
載せた意見広告
(1967年4月3日付)に、

戦争そのものへの
呪いを込めた書体で、

大きく「殺すな」と
墨で書き綴った。



大阪万博で
『太陽の塔』を発表し、



10年後、70歳の太郎が
CMで叫んだ

「芸術は爆発だ!」が
流行語となった。



晩年はパーキンソン病を
患い84歳で永眠する。

 

 

 



◆岡本一平
(おかもと いっぺい) 
1886~1948  享年62才

漫画家・小説家・作詞家



<略 歴>

一平は、漫画家。
東京美術学校を卒業後、

帝国劇場の舞台美術に
携わりました。

明治43年岡本かの子と結婚、
長男太郎をもうけたあと、

夏目漱石に認められて
東京朝日新聞社に入社。



 漫画に軽妙洒脱な文章を添えた

「漫画漫文」スタイルの作品で
評判となり、

大正期の漫画界随一の
人気者となりました。

 

 

 

◆岡本かの子
(おかもと かのこ)  
1889~1939  享年49才

歌人・小説家

<略 歴>



かの子は、1906年

与謝野晶子に師事して
新詩社に入り、
大貫可能子の筆名で

「明星」に短歌を発表、
以後「スバル」でも活躍し、

1913年処女歌集
「かろきねたみ」を刊行。

 その間1910年に
岡本一平と結婚し、

1911年に長男
太郎をもうける。



 この頃

ノイローゼになり、
宗教遍歴の結果、

大乗仏教にたどりつくが、
以後仏教研究家としての
名も高めました。

<次回へ続きます・・・。>