鹿児島中央駅から
谷山駅まで電車で21分。
「谷山」から
「特攻観音入口」まで
バスにて51分。
世間はお盆休みに
入っているようですね。
昨日の
「鹿児島戦没者墓地」
「鹿児島縣護國神社」
に引き続き
本日は「知覧特攻平和会館」
に伺いました。
◆「知覧特攻平和会館」
この知覧特攻平和会館は、
第二次世界大戦末期の
沖縄戦において
特攻という
人類史上類のない作戦で、
爆装した飛行機もろとも
敵艦に体当たり攻撃をした
陸軍特別攻撃隊員の
遺品や関係資料を
ご遺族の方々の
ご理解ご協力と、
関係者の方々の
ご尽力によって
展示しています。
そしてこの地が
出撃基地であったことから、
特攻戦死された
隊員の当時の真の姿、
遺品、記録を
後世に残し、
恒久の平和を
祈念することが
基地住民の
責務であろうと信じ、
ここに
建設したのでした。
◆特攻作戦には
知覧基地を始め、
宮崎県の都城など
九州の各地、
そして当時日本が
統治していた台湾など
多くの基地から
出撃していますが、
知覧基地が本土最南端
だったということもあり
最も多く、
全特攻戦死者1, 036名のうち、
439名(中継基地となった
徳之島・喜界島を含む)、
全員の半数近くが
知覧基地から
出撃しています。
<碑 文>
知覧ー。
薩南の涯(はて)の山のなかの静かな町。
と号(特攻)要員とよばれた若者や
少年たちが、青春の最後の幾日かを
過ごした町。
祖国の難に一命を捧げた隊員たちの
特攻機が、二百五十キロの爆弾を抱えて
よろけるように飛び立っていった町。
そんな隊員や、それを取りまいた人びと
の、さまざまな思いが罩(こ)められて
いる町、知覧。
[今日われ生きてあり]
神坂次郎
<碑 文Ⅱ>
献 燈 鳥濱とめ
*鳥濱とめとは?
陸軍指定食堂
「富屋食堂」の女主人。
出撃前のまだ
10代から20代の隊員たちを
わが子のように慈しみ、
私財を投げ打ってまでも
親身に接し
戦後、特攻隊に対する慰霊と
平和の尊さを命懸けで
誠心誠意伝え続け、
「特攻の母」と
呼ばれるようになった。
<碑 文Ⅲ>
顕 賞
特攻の母 鳥浜とめ
散るために
咲いてくれたか 桜花
ちるこそ ものの
見ごとなりけり
昭和五十六年四月吉日
知覧町長 塗木早美書
<碑 文Ⅳ>
表文:
短い青春を
懸命に生き抜き
散っていった
特攻隊の若者たちが
「お母さん」
と呼んで慕った
富屋食堂の女主人
島濱トメさんは、
折節にこの世に現れ
人々を救う菩薩でした。
石原慎太郎
裏文:
映画「俺は君のためにこそ
死ににいく」製作委員会
平成十九年九月十日建立
<迷いカマキリを発見!>
謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。
なお知覧茶屋にて
直会として
英霊の皆さまたちと
当時の光景などを偲びつつ
「玉子丼」を
共食させて頂きました。