東京都江東区にあります『久保山愛吉記念碑』を慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

新木場駅より
徒歩10分の距離に

「第五福竜丸展示館」
があります。



そして

「第五福竜丸展示館」から
徒歩1分の距離にあります。



◆久保山愛吉記念碑



 皆さまは、
久保山愛吉氏の事を

憶えていらっしゃいます
でしょうか?



●久保山愛吉

(くぼやま あいきち:1914-1954)

第五福竜丸の無線長。

1954年(昭和29年)3月1日

ビキニ環礁付近にて
操業中の第五福竜丸で、

米軍の水爆実験により
『死の灰』をあびる。



半年後、

被爆による
「急性汎骨髄癆

(きゅうせいはんこつずいろう)」
(再生不良性貧血)と診断され、

これによる
黄疸が悪化して、

売血輸血による
肝炎ウイルス感染により
死去した9月23日死去。



◆死 因

 当初は
「死の灰の犠牲者」
と報じられ

放射能の危険性を示す
事件として
世界的なニュースになった。



 しかし病理解剖に
よって判明した死因は
肝炎であり、

肝臓に蓄積された
放射能も

通常と殆ど
変わらないことが解った。



 後に亡くなった
船員たちにもみな
肝機能障害が見られ、

肝細胞癌などの
悪性腫瘍は所見は
認めなかった。



 これらのことから
輸血が原因だった

と推定されており、

急性の放射線障害の
出ていた久保山氏は

全血液を輸血で
入れ替えたため、

血液感染で
肝炎になった可能性が高い
と見られている。


<Wikipediaより一部抜粋>

<碑 文>



原水爆の犠牲者は
わたしを最後に
してほしい

    久保山愛吉



1976年5月
財団法人第五福竜丸平和協會

 

 

      三宅泰雄 書

三宅泰雄:東京教育大学教授。

ビキニ環礁周辺の海域
・大気の放射能汚染を調査、研究。



なお、
久保山氏の肝臓は、

今でも米軍の管理下に
あるそうです。



 謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。