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◆戦没馬慰霊像
就館前広場に並ぶ
軍用動物の慰霊碑の一つ。
建軍当初から太
平洋戦争終結までの
軍馬の慰霊碑であり、
昭和33年4月7日建立された。
像傍らの説明板に
建立経緯が記されている。
<碑 文>
台座正面:
「戦没馬慰霊 北白川房子内親王書」
台座裏面:
「昭和三十三年四月祥日
戦没馬慰霊像奉献協賛會建之
彫塑 埼玉 伊藤國男
鋳造 東京 内山嘉一郎
礎業 髙松 岡田俊治」
<説明板より>
平成17年5月21日奉納
戦歿馬慰霊像奉賛会
戦没馬慰霊像に思う。
「馬ほど心の美しい動物はない」
明治初期から昭和20年8月15日の
終戦に至るまで、
幾多の戦役にかり出され
およそ100万頭の馬が
戦陣に斃れた。
軍馬補充部で
育成された軍馬や
農家からの購買
または徴発馬が、
斥候、行軍、戦闘のため
戦場を駆巡る乗馬として、
あるいは
いかなる難路にも屈せず
重い火砲を引く輓馬、
軍需品を背負い搬送する
駄馬として
戦地に赴いた。
御国のため戦場を駆巡り、
屍を野辺に晒したもの数知れず、
終戦まで生き長らえても、
再び懐かしい故国に還ったのは
僅か1、2頭である。
山紫水明の生まれ
故郷を思い起こした
ことであろう。
それでも黙々として
生を終えた。
この馬像の作者
伊藤國男氏
(明治23年~昭和45年)は
生涯に千数百点もの
馬像を手掛けた
彫塑家である。
同氏は戦場において
輝かしい功績を遺した
戦歿馬のことが
脳裏から一時も離れず、
私財を傾け
鎮魂の証として
この像を制作、
靖国神社に献納したが、
台座に費やす財はなく、
数年間建立されることは
なかった。
かって馬術の選手として
2回もオリンピックに出場し、
戦後は皇居内の乗馬クラブで
教官を務めた城戸俊三氏は、
<城戸俊三と久軍号>
この話を聞くや早速、
旧軍人や馬主に呼びかけ、
昭和32年4月に
戦歿馬慰霊像奉献協賛会を結成、
広く浄財を募り、
翌年の4月7日に建立除幕式を行い、
靖国神社に奉納した。
台座の「戦歿馬慰霊」の揮毫は
元華族の北白川房子様の
染筆である。
以来、毎年桜花爛漫の
4月7日を「愛馬の日」とし、
《戦歿馬慰霊祭》が
この場で行われている。
謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。