東京都千代田区「遊就館(ゆうしゅうかん)」内の『零式艦上戦闘機五二型』を慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

地下鉄東西線
「九段下駅」から

徒歩10分の
距離にあります。



◆遊就館の由来



中国の古典、『荀子』勧学篇

「君子は居るに必ず郷を擇び、
遊ぶに必ず士に就く」から

「遊」「就」を
撰んだものです。

国のために

尊い命を捧げられた
英霊のご遺徳に触れ、

学んでいただきたい
という願いが

館名には
籠められています。



そして

その度は、
1階玄関ホールに
展示されている

『零式艦上戦闘機五二型

(ぜろしきかんじょう
せんとうきごにがた)(A6M5)』

についてです。



◆『零式艦上戦闘機五二型(A6M5)』



 昭和十五年
すなはち紀元二六〇〇年に
制式採用された

「零式艦上戦闘機二型」は、
「ゼロ戦」の愛称でも
親しまれる。



 初陣は昭和十五年九月。
中国重慶において

ソ連製中国軍機との空中戦で、
敵(かたき)の大半を撃墜。

 味方に損害なしという
空前の戦果をあげ、

その格闘性能と航続力で
世界最強を誇った。



 ここに展示されている
五二型は、初期型より

主翼両端を短く円形に
整形されている。



そして発動機の
栄二一型エンジンに、

推力式単排気管を採用して
速度はかなり向上し、

零式戦闘機の中では
最も多く生産された。

 

 

◆展示品について



 この零戦は

昭和49(1974)年、
南洋、ラバウルの

旧日本海軍航空基地で
見付かった
主翼胴体と

昭和59(1984)年、
ミクロネシア、ヤップ島で
発見された

5機の
零式艦上戦闘機を
日本に持ち帰り、

復元が
昭和55(1980)年頃から
始まりました。



 この機体は
昭和18年11月25日ごろ

三菱重工、
名古屋大江工場で
製作されましたが、

40年間も
南洋の熱帯に

放置されていた為に
機体のほとんどが朽ち果て、

復元するのは不可能
と思われました。



 しかし
それらの機体を

すべて完全に分解して、
使用できる部品を
調べたところ

内部の部品は
かなり使える事が
わかりました。



 主要機体は
ラバウルから里帰りした

4240-1の主翼胴体の
使用できる部品と、

その他の
使用できる部品を
集め新しく作りましたが、

特に主翼の桁けたの製作は
一番重要なものでした。



 機体を解体したところ

4240号機と4241号機の

機体番号の部品が
使用されており

当時の工場が
いかに混乱していて

生産を急いでいたかが
想像できます。



 ここに展示している
4240号機と書かれた部品は

第一隔壁(かくへき)の裏に
書かれていたもので、

その他の部品には
4241号機と

書かれていたものも
多くありました。

平成14年7月  
復元製作  原田信雄



◆零式艦上戦闘機
(零戦)五二型(A6M5)について



 五二型は
昭和18年8月より
生産が開始、

同年秋に
部隊配備が開始され、

甲・乙・丙型を含めて

終戦までに
約6,000機が生産され、

零戦の最多量産型になった。



 ソロモン諸島の戦いや
マリアナ沖海戦、

そして
日本本土防空戦など
大戦後半の
ほとんどの戦いに出撃、

質・量ともに圧倒的に優勢な
アメリカ軍を相手に

終戦の日まで奮戦を続け、

中にはレイテ沖海戦以降、
特攻機として

太平洋に散っていった
ものも少なくない。



 戦中、戦後と
我が国存亡の
危機に対して、

果敢に尽力された
先人の皆様に

謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。