◆彼女のスタイルは高度で都会的♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<フランス系クレオールの彼女♪>>





彼女はフランス系の

*クレオールです。




「エ~ッ?」

「クレオールと申しますと・・・?」








*クレオールとは?



クレオール (ルイジアナ) -

 アメリカ合衆国ルイジアナ州の、

フランス人・アフリカ人・

スペイン人と先住民を先祖に持ち、



ルイジアナ買収以前に

ルイジアナで生まれた人々と


その子孫、

また彼らと

関わりのある事物のこと。






「あっ!なるほど」






それで彼女はフランス系でも

肌の色は白い方のクレオール

だったそうです。





「ホウ」






生まれた場所は

ルイジアナ州ニューオリンズの

Faubourg Marigny郊外の

Bourbon Streetです。




(Bourbon Street)






「Bourbon Streetですか?

如何にもバーやクラブなどの

歓楽街が絡(から)んできそうな

名称ですネ!」







そうですね。

そう言った環境も

あってでしょうか?




彼女は子供の頃から

活発な性格で、


教会で歌ったり、





パーティーやダンス会で

パフォーマンスを

披露していたそうです。






「ウ~ン」


「そのあたりは

過去にご紹介された

ミュージシャンたちと

共通するモノがありますネ!」









<<リジー・マイルズ登場!>>




今回ご紹介するシンガーは

リジー・マイルズです。




(今回ご紹介するシンガーは
リジー・マイルズです)






彼女は創造力も

豊かだったそうで・・・。




「ホウ」




例えば

南部を巡業する

テント・ショウーみたいな


言わば安っぽい仕様では

気に入らずに、




ハーレムの

コットン・クラブの様な

セッティング適した







高度で

都会的なスタイルを

創るために


彼女の美しさと大きな声を

使ったそうです。






「 O H ! 」

「素晴らしいパッションと

行動力ですネ!」






そうですね。




「ウ~ン?」


「それにしても

よく周囲が

その実践を許しましたネ!」







そうですね。


それはやはり

彼女には

周囲を説き伏せるだけの

実力があった

と言うコトではないでしょうか?






「なるほど」

「納得です~♪」






それも南部辺りを

ヴォードビル・ショーで働いたり、

サーカスに参加したりして







彼女自身、

チ・カ・ラ・を

つけていったのです。






「なるほど」

「いわゆる

下積み時代ですネ!」







そうですね。


その甲斐もあり、


彼女はまだ10代の頃に

King Oliver, Kid Ory




(King Oliver)





(Kid Ory)





そしてA.J. Pironの



(A.J. Piron)




ニューオリンズ・ジャズ・バンドと

共に歌う機会を持ったのです。





「 O H ! 」


「どれも

ニューオリンズを代表する

ジャズ・マンたちですネ!」







そうですね。


10代でこれだけの実力者との

セッションをこなした

となりますと、


次の展開が

気になるトコロですネ!











☆Lizzie Miles--
Salty Dog and Lizzie's Blues ♪


Lizzie Miles y Sharkey -
A GOOD MAN IS HARD TO FIND-♪


☆Lizzie Miles,
Rare 1957 TV Performance of "Bill Bailey" ♪


☆Lizzie Miles - Some of These Days ♪











☆リジー・マイルズ

Lizzie Miles



(1895年5月31日~1963年5月17日)




リジー・マイルズは

Elizabeth Mary Landreauxの

芸名でクレオールの

ブルーズ・シンガーだった。








<< キャリア >>




マイルズは

浅黒いフランス系クレオール

(カラーのクレオール)ファミリー

の中で

ルイジアナ州ニューオリンズの

Faubourg Marigny郊外で生まれた。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Elizabeth Landreauxとして

生まれて、


彼女は、ニュー・オーリアン(LA)の

Bourbon Streetで生まれた

皮膚の白いクレオールだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



(Bourbon Street)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
リジー・マイルズは

Bourbon Streetで生まれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





子供の頃

彼女は教会で歌って

パーティーやダンス会で

パフォーマンスを披露した。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マイルズは

南部のテンショーよりも

ハーレムのコットン・クラブの様な

セッティング適した


高度で都会的なスタイルを

創るために

彼女の美しさと大きな声を

使った。








マイルズは

King OliverやKid Oryの様な




(King Oliver)





(Kid Ory)




有名なジャズ・ミュージシャンたちの

ニューオリンズ・バンドの前で

歌うキャリアで始めたのだが、



若い頃に彼女は

南部地方の

ヴォードビル・ショーで働き、

サーカスにさえ参加したのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼女はまだ10代の頃に

King Oliver, Kid Ory

そしてA.J. Pironの



(A.J. Piron)




ニューオリンズ・ジャズ・バンドと

共に歌っていた。





彼女は1920年代初期

シカゴに移る前に、


Clarence Williamsと



(Clarence Williams)




A.J. Pironとの出版社の

*ソング・プラガーとして働いた。




*ソング・プラガーとは?

20世紀初頭の、

新譜を宣伝するために

楽譜店で演奏するピアニスト。




そして南部のヴォードビル興業を

ツアーし、サーカス、

ミストラル・ショーで働いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・








彼女は1909~1911年から

Joe Oliver, Kid Ory,

 Bunk Johnson,




(Bunk Johnson)




そして A.J. Pironらと

働いた。



それから、彼女は南部を

ツアーした。


そして、

劇場、サーカス、

ミストラル・ショーで歌った。


                      (ウィキペディアより抜粋)

―――――――――――――――――――――――

◆編集後記はこちら
_______________________