◆彼はティーンにて破(は)に入(い)る♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<ジュークジョイントに学んで>>




彼は1926年7月10日

フォレスト・シティーに近い

アーカンソー州ヒューズで

生まれました。




「ホウ」




そして教育を満足に受けるコトなく、

フィールド労働者として

綿の農場で育ったのでした。








「 O H ! 」


「この時代は黒人に対する

差別と偏見が

凄まじかったと思いますので、」






そうですね。


教育を受けるなどとは

思いも寄らなかったカモ

しれませんね。





「そうしますと、

若者としては

フィールド労働だけでは

終わりませんよネ!」





そうですね。

斯(か)く言(い)う彼も

地元のジュークジョイントに

通い詰めるコトになります。





(Juke joint)





「いくらジュークジョイントに

通っても、ただお酒を飲むだけでは

満足はいかないのでは・・・。」







そうです。

そこは盛り場ですから

踊りや音楽が・・・。


それこそ

地元のミュージシャンたちが

集う場でもあるのです。





「そうしますと、

彼としてもただ

聴いて帰るだけでは

物足りないハズですネ!」






そうですね。

彼はいつしか

地元のミュージシャンたちを

ヘルプして







彼自身もプレイを

し始めたのでした。





「彼、とうとう現場に

足を踏み出したワケですね。」






そうですね。






<<フォレスト・シティ・ジョー登場!>>



今回ご紹介するブルーズマンは

フォレスト・シティ・ジョーです。



(今回ご紹介するブルーズマンは
フォレスト・シティ・ジョーです。)





彼は地元の

ジュークジョイントに

通いながら、

彼はハーモニカとその他の

楽器をマスターしてゆきます。





「ウ~ン。彼のそれこそ

貪欲(どんよく)に音楽を

吸収する様(さま)が

イメージ出来ます。」





そうですね。

そこで彼は自身のスキルを

磨いていったのでした。


それから

彼は
John Lee "Sonny Boy" Williamson



(John Lee "Sonny Boy" Williamson)




にかなりの影響を

受けたそうです。





「ホウ」

「彼にもスタイルの重なる対象が

発見出来たのですね。」






そうですね。


それから彼は1940年代の初期に

と、言っても

まだティーン・エイジャーですが・・・。





「ハイ」





ツアーを州レベルに

拡大していったのでした。





「 O H ! 」

「いいですね。」

「まるでハマチからブリへ、

出世魚(しゅっせうお)の様です。」






その例(たと)えは

どうかとは思いますが・・・。




彼はウィリアムソンの

スタイルとボーカルを



模倣することが出来た

と言われています。




(John Lee "Sonny Boy" Williamson)


☆Shake the boogie -
 John Lee "Sonny Boy" Williamson♪






「いいですね。」

「学(まな)ぶは真似(まね)る

と、言いますから、

彼は気に入ったスタイルを

徹底的に真似(まね)たのですね。」







そうですね。

それから時間の経過とともに

彼自身のユニークな曲を

開発していったのだそうです。





「 O H ! 」


「徹底的に真似(まね)ることが

一段落して、


つまり守(しゅ)破(は)離(り)の

”守(しゅ)”の段階が終わり、



彼は”破(は)”の

段階に入ったのですね。」






そうですね。

それから彼は

1940年代のまだティーンの頃に、


自分の道を探して

放浪の旅を続けます。





「 O H ! 」

「何でしょうか?」

「まるでジーンズの

コマーシャル・フィルムの

ワン・シーンの様ですね。」










そうですね。

そこで彼はブルーズ・マンの

Big Joe Williamsに出会います。




(Big Joe Williams)





「 O H ! 」

「また新たな展開の予感です!」






そうですね。

そして2人は

一緒にセントルイス地域で

パフォーマンスしたのでした。








☆Forrest City Joe
(She used to be beautiful but)
She lived her life too fast ♪


☆Forest City Joe -
A Woman On Every Street ♪


☆Forrest City Jump by Forrest City Joe,
Sonny Boy Rodgers and Thomas Martin♪


☆Forrest City Joe-Lonesome Day Blues ♪

☆Forrest City Joe - Train Time♪










☆フォレスト・シティ・ジョー


Forest City Joe

本名:ジョー・ベニーピュー

Joe Bennie Pugh


(1926年7月10日- 1960年4月3日)




ジョー・ベニー・ピューは

フォレスト・シティー・ジョーまたは

フォレストシティー・ジョー

として知られている。




彼はアメリカの

ブルーズ・ミュージシャンで



彼のハーモニカ・プレイヤー

としての能力のために

主に憶えられている。





彼は時代の他のメジャーな

ブルーズ屋たちと一緒に

パフォーマンスをした。




彼は
Muddy Waters

最初のバンドの




ハーモニカ・プレイヤーで、


そしてシカゴ地域の

レギュラー・パフォーマーだった。





彼の限られた

録音キャリアにも関わらず

ジョーは地域の

トップ・ハーモニカ・プレイヤーの

ひとりと考えられていた。





<キャリア>



(父親)Moses Pughと

(母親)Mary Walkerによって

Joe Bennie Pugh は、


フォレスト・シティーに近い

アーカンソー州ヒューズで

生まれた。




そして

無教育のフィールド労働者として

綿の農場で育った。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼アラバマ州ヒューズと

ウェスト・メンフィスの

周りの地域で育てられて、


男の子として

地元のジュークジョイントで

プレイした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



若者として

彼は芸能人たちを助けて

そして

地元の会場でプレイし始めた。







それは

彼自身にハーモニカと

他の楽器のプレイを

教えたのだ。



1940年代の初期に

John Lee "Sonny Boy" Williamson




(John Lee "Sonny Boy" Williamson)




にかなりの影響を受けて

州レベルのツアーに拡大していった。





ピューはウィリアムソンの

スタイルとボーカルを

模倣することが出来た。


そして

時間とともに

彼自身のユニークな曲を

開発していったのだ。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼は1940年代の間に

州のワーキング・ロード・ハウスと

ジュークジョイントの間で

自分の道を放浪して

10代後半に

Big Joe Williams

と組んだ。




(Big Joe Williams)




そして、セントルイス(MO)

のまわりで彼とプレイしたのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



10代後半に彼は

Big Joe Williamsと出会った。


そして2人は

一緒にセントルイス地域で

パフォーマンスした。


                    (ウィキペディアより抜粋)

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