◆彼の名は、ふたつのメモリアルに記された♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。


<<彼は二足の草鞋を履いた>>




彼が若い頃に

農民の彼の両親は

亡くなりました。





「彼は14歳で

ギターを始めました。」




(「彼は14歳でギターを始めました。」)





地元の周辺では

ダンスのまねごとも

していたそうです。





「彼は綿摘み、

トラクターの運転、

油工場、乳業会社

伐採会社など・・・。


いろいろに職を変えては

働いたのでした。」





(「彼は綿摘み、トラクターの運転、油工場、乳業会社
伐採会社など・・・。いろいろに職を変えては
働いたのでした。」)





そして音楽は

チップを得るための

プレイだったのです。





「彼は仕事を変え、

引越しを繰り返して

1940年か1941年に、


メンフィスの約40マイル南の

ミシシッピー州コモに

住み着きました。」







そしてそこで彼は

農民として

熱心に働いて,





「更には、

ダンスとピクニックでも

音楽を演奏し続けたのです。」






彼の行動範囲の広さから

彼は比較的、広い範囲で

成果を成し遂げてきた



最初のブルーズマンと

考えられていたそうです。





「そして1950年代には

ブルーズ音楽と

フォーク・ミュージックへの

関心が高まり・・・。」






1959年に発見されて

録音が好評を得て、



そして彼は

フェスティバルとクラブで

しばしはパフォーマンスを

繰り広げたのでした。




(彼はフェスティバルとクラブで
しばしはパフォーマンスを繰り広げたのでした。)






「音楽が軌道に乗った・・・。」





それでも彼は

音楽とそれ以外の本業

(ガスのポンプ輸送)を

並行してやり続けたのです。




(それでも彼は音楽とそれ以外の本業
(ガスのポンプ輸送)を並行してやり続けたのです。)







<<ミシシッピ・フレッド・マクダウェル登場3!>>




今回ご紹介するブルーズマンは

引き続き

ミシシッピ・フレッド・マクダウェルです。




(今回ご紹介するブルーズマンは引き続き
ミシシッピ・フレッド・マクダウェルです。)





彼は何十年も

ノース・ミシシッピ・ブルーズの

スタイルでブルーズを

かなりの量、演奏し続けたのです。




「ホウ」




実は彼、

アコースティック・ギターよりも

むしろ

エレキ・ギターを

時々演奏したのだそうです。





「なるほど」

「表現の幅はあきらかに

アコースティック・ギターよりも

エレキ・ギターの方が豊かですからね。」






そうですね。


そして彼は

”私はロックンロール以外

プレイしない!”

と豪語したそうです。





「ウ~ン」


「気持ちは分からなくもナイですが、

彼は気持ちの上では

やはり堅物(かたぶつ)ですか?」






そうでもない

と思います。





「と、言いますと?」





そうですね。

彼はどちらかと言いますと

後輩の音楽活動にも

支援をしていた様です。





「 O H ! 」

「それは失礼しました。」






例えば彼は

スライド・ギター・テクニックでは

Bonnie Raittをコーチングを

していたそうです。




(例えば彼はスライド・ギター・テクニックでは
Bonnie Raittをコーチングをしていたそうです。)





「ホウ」





そして

The Rolling Stonesの

1971年彼らのアルバム

”Sticky Fingers”で



(The rolling stones ”sticky fingers”)





彼の"You Gotta a Move"を

カバーして喜ばれたそうです。



☆THE ROLLING STONES ,
You Gotta Move , Live at MSG , 1969 ♪






「 O H ! 」

「”Sticky Fingers”は

彼らの代表的なアルバムですよネ!」






そうですね。


もちろん彼の原点である

ブルーズに関する

彼の想いも、



その起源と愛の本質を

論じる

インタビューのパートを

特徴としたアルバムも

吹き込まれています。




(I Do Not Play No Rock 'N' Roll:1969)



☆Mississippi Fred McDowell:
Jesus Is on the Mainline ♪






「なるほど。」

「彼は録音上、


ただ演奏するだけではなく、


それだけでは

とても足りなくて、



言葉での想いも

伝えたかったのですね。」






その様ですね。

それから彼の

ファイナル・アルバムが

1972年にリリースされました。




(Mississippi Fred McDowell
”Live In New York”:1972)


☆mississippi fred mcdowell -
live 1971 - part 1 ♪



☆mississippi fred mcdowell -
 live 1971 - part 2♪




「 O H ! 」

「1971年録音の

彼のライブ・アルバムですね。」





そうです。

そして残念ながら、


その翌年の1972年7月3日に

彼はガンにより

亡くなってしまったのです。





「 O H ! 」


「最後のアルバムのリリースの年に

お亡くなりになりましたか。」





そうです。



そして彼の墓跡には、


マクダウェルの肖像の

メモリアルが

Bonnie Raittにより

贈られたのでした。




(そして彼の墓跡には、マクダウェルの肖像の
メモリアルがBonnie Raittにより贈られたのでした。)





「 O H ! 」


「如何に彼が音楽を通して

ブルーズを!


そして後輩たちを!


大切にしていたかが

分かりますね。」





そうですね。


ちなみに最初のメモリアルが

他にあったのですが・・・。




「エッ!」

「そうなんですか?」




そうです。

それは彼の名前が

誤ってつづられていて・・・。




「ホウホウ」




その誤った方のメモリアルは

デルタ・ブルーズ・ミュージーアムに

彼の家族より

寄付されたそうです。




(その誤った方のメモリアルは
デルタ・ブルーズ・ミュージーアムに
彼の家族より寄付されたそうです。)





「名前に綴りが誤っていても

メモリアルですからネ!」

「ともかく

落ち着き先が見つかって

良かったです。」









☆Fred's Worried Life Blues ~
 Mississippi Fred McDowell♪


☆Mississippi Fred McDowell:
Jesus Is on the Mainline ♪


☆Mississippi Fred McDowell -
Going Down South, Carry My Whip ♪


☆mississippi fred mcdowell -
 I Heard Somebody Call ♪


☆Mississippi Fred Mcdowell-
Evil Hearted Woman (High Definition)♪










☆ミシシッピ・フレッド・マクダウェル

Mississippi Fred McDowell

本名:フレッド・マクダウェル


 
(1904年1月12日 - 1972年7月3日)




彼の音楽は、

彼が北ミシシッピーヒルの

脈動するジュークジョイントの

代わり映えしない日常と共に



テネシーで

地元ギターリストたちから

彼が聞いたサウンドと




彼がデルタで費やした

数年の間にピックアップした

明確な輪郭を持つブルーズを

混合したものだ。





マクダウェルは、

彼があだ名

“Shake ’Emで稼いだ


リズミックな離れ業

“Shake ’Em On Down”



(Mississippi Fred McDowell
“Shake ’Em On Down”)



☆Mississippi Fred McDowell
“Shake ’Em On Down”♪




でもまた有名だった。







「彼の音楽は

来るヒル・カントリー

ミュージシャンたちの世代の

基礎を築いた。


特にR. L. Burnsideなどは



(R. L. Burnside)




ハウス・パーティーで

マクダウェルのギターを

演奏することから始めたのだ。






Alan Lomaxは マクダウェルを



(Alan Lomax)




Son House



(Son House)




 や Muddy Waters



(Muddy Waters)




匹敵するブルーズマンだが、

音楽(時代)的な話しだと

彼らのおじいちゃんに当たる。」

と説明した。






<キャリア>



マクダウェルは彼が何十年も

ノース・ミシシッピ・ブルーズの

スタイルでブルースをかなり

演奏し続けた。


しかし、

彼はアコースティック・ギターよりも

むしろエレキ・ギターを

時々演奏したのだ。





彼が、

”私はロックンロール以外

プレイしない!”と豪語する間、


マクダウェルは

多くのより若い

ロック・ミュージシャンたちと

かかわるのを拒まなかった。


彼はスライド・ギター・テクニックで

Bonnie Raittをコーチして、



(Bonnie Raitt)



伝えられるところでは

むしろ直接的に、


The Rolling Stones



(The Rolling Stones)




1971年彼らのアルバム

”Sticky Fingers”での

彼の"You Gotta Move"の

本物バージョンを喜んだのだ。




(The rolling stones” sticky fingers”)




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スピリチュアルは

彼のレパートリーの重要なパートだった。


そして1965年に

マクダウェルによって録音された

“ You Got to Move,”



(Mississippi Fred McDowell
You Gotta Move”)




Rolling Stonesが

1971年の彼らのアルバム

Sticky Fingersにその曲を

吹き込んで広く名声を得たのだ。


☆THE ROLLING STONES ,
You Gotta Move , Live at MSG , 1969 ♪




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





1965年に彼は

 Big Mama Thornton,



(Big Mama Thornton)



John Lee Hooker,



(John Lee Hooker)




Buddy Guy,



(Buddy Guy)




Roosevelt Sykes



(Roosevelt Sykes)




そしてその他と共に

The American Folk Blues Festivalで

ヨーロッパをツアーした。




(The American Folk Blues Festival)





マクダウェルは

ミシシッピー州ジャクソンで

アルバム

I Do Not Play No Rock 'N' Rollを

Malaco Records用に録音した。




(I Do Not Play No Rock 'N' Roll)





それは彼が最初に

エレキ・ギターを

フューチャーしたのだ。





そのことは、彼が

ブルーズの起源と愛の本質を

論じるインタビューのパートを

特徴としていた。






マクダウェルの

ファイナル・アルバム

Live in New York

(Oblivion Records)は、



(Mississippi Fred McDowell
”Live in New York”)





ニューヨークの

Village Gaslight

 (別名 The Gaslight Cafe),


Greenwich Villageで


1971年11月からのコンサート

パフォーマンスだった。



☆mississippi fred mcdowell -
live 1971 - part 1 ♪



☆mississippi fred mcdowell -
 live 1971 - part 2♪






マクダウェルは1972年7月3日に

メンフィスのバプティスト病院で

68歳、がんによって亡くなり、


ミシシッピー州の

コモとセナトビの間の

Hammond Hill Baptist Church墓地に

葬られた。







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1940年に、社会保障カードを

申し込んだとき、

彼はメンフィスの

Hotel Peabodyに雇われていた。



51年後、

Peabodyはマクダウェルの死後に

ブルーズの殿堂入りへと

導いた敷地だった。





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1993年8月6日のメモリアルが

Mt. Zion Memorial Fundにより

彼の墓跡に祀られた。


式典はDick Watermanにより

統轄され、


そして、

マクダウェルの肖像の

メモリアルは

Bonnie Raittにより贈られた。








メモリアルの石は

不正確で損害を受けた目印

(マクダウェルの名前は

誤ってつづられた)の

代用だった。



そして最初の石は

ミシシッピー州

クラークスディールの

Delta Blues Museumに

マクダウェルの家族により、

その後、寄付されたのだった。






                           (ウィキペディアより抜粋)
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