◆彼は倒れるまで歌い続けた♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<彼、再びストリートに立つ!>>




5歳で宣教師を志した彼は

7歳の時に父親と継母との



諍(いさか)いに

巻き込まれたのでした。






「継母が父親に向けて放った

灰剤(洗剤?)を


目に受けてしまい、

彼は失明してしまいます。」






そして、


彼は独学でスライドギターの

テクニックを磨いて



街のストリートに

説教と音楽を持ってきたのでした。






「そこで彼は彼女と

知り合って、意気投合します。


そして、その翌日には

結婚をしたのでした。」




(「そこで彼は彼女と知り合って、意気投合します。
そして、その翌日には結婚をしたのでした。」)





彼は録音に参加した

女性シンガーにも

歌い方は元より、


彼の妻になるコトを

求めたそうです。






「彼の唸る様な

圧倒的なサウンドの凄さは、

ストリートにおいて

警官をも翻弄するホドでした。」







世界恐慌の影響で

他のアーティストたちの


レコードのセールスが

低迷している時も



宗教色の強い

彼の曲はコンスタントに

売り続けていたのです。





(宗教色の強い彼の曲はコンスタントに
売り続けていたのです。)






「彼の録音は

1930年までだったのですが、



1934年のレコード会社の

レース・カタログでも



彼はレコード会社のNo2に

リストアップされていたのでした。」








やがて、引退した彼は

家族と一緒に暮らして



再びストリートに

戻っていったのです。







<<ブラインド・ウィリー・ジョンソンー6>>



今回ご紹介するアーティストは

引き続き

ブラインド・ウィリー・ジョンソンです。



(今回ご紹介するアーティストは
引き続きブラインド・ウィリー・ジョンソンです。)






彼は亡くなるまで

貧しいままだったそうです。





「でも、

あれだけレコード・セールスを

打ち出した彼ですが・・・。」





そうですね。


でも、彼に対しての報酬は

スズメの涙程度だったそうです。






「なるほど」


「そのケースは

過去のアーティストたちにも・・・。」



「それはありましたね。」







そして1945年に

彼の家は全焼してしまいます。





「 O H ! 」

「それはショッキングな出来事ですネ!」





そうですね。

でも、彼は

その燃やされた廃墟に

住み続けたそうです。






「それって、大変じゃないですか!」





そうです。


そして、

8月/9月のテキサス熱さの中で

しかも湿ったベッドの上で

眠ったのだそうです。





「・・・・・。」





彼は、マラリアの熱に罹るまで

この様に生活していたとか・・・。





(彼は、マラリアの熱に罹るまで
この様に生活していたとか・・・。)






「 O H  !」

「それで彼!

病院へは行ったのでしょうか?」






そうです。

彼の妻のアンジェリンが

彼を病院へ連れて行った

そうなのですが、




「ハイ」




病院側が、彼の肌の色と

彼が盲目であるコトを理由に

受け入れを拒否したそうです。





「1945年と言えば

まだ*公民権運動以前ですからね。」







*公民権運動とは?


1950年代から1960年代にかけて

アメリカの黒人

(アフリカ系アメリカ人)が、

公民権の適用と

人種差別の解消を求めて

行った大衆運動である。





そうですね。

ですから当時は、

公共の場

(病院、バス、電車内等)でも

黒人が拒否されることは

頻繁にあったそうです。





「 O H ! 」





彼は生活の糧を得るために、

あと・・・。


恐らくは信仰心のために、



路上で倒れるまで

歌い続けたのだそうです。







☆Blind Willie Johnson -
 I Know His Blood Can Make Me Whole ♪


☆Blind Willie Johnson -
 Praise God I'm Satisfied♪


☆Blind Willie Johnson -
Take Your Burden to the Lord♪


☆Blind Willie Johnson-
 If It Had Not Been For Jesus  ♪












☆ブラインド・ウィリー・ジョンソン


本名:Willie Johnson

 
(1897年1月22日 - 1945年9月18日)




ジョンソンは葉巻の箱を加工して

自分で(父親では?)ギターを作り,

ナイフをピック

(スライド・バーの間違えでは?)

代わりに

独学で演奏を覚えたらしい。





辻説教師は

ジャックレッグ・プリーチャー

と呼ばれ,








公的機関で宗教教育を

受けていない素人説教師のことである。




彼ら彼女らは,

配偶者やその他の家族などに伴われ

街頭で説教したり歌ったりして

人々から施しを得た。





黒人コミュニティーには

相当数がいたと思われる。




福音伝道者(エヴァンジェリスト)

と呼ばれるときもある。


運がよければ教会の礼拝に招かれ,

歌唱や説教の機会に

恵まれることもあった。









運が悪ければ乞食と紙一重だった。


たった一枚残っている

ジョンソンの写真では,







ギターの首に施しの金銭を

受けるコップが結び付けてある。

生活の厳しさは推して計るべくもない。





< 死 >


ジョンソンは彼の人生の終わりまで

貧しいままだった。


そして、説教をして、

ボーモントを含むいくつかの

テキサスの街の通りで歌った。



1945年の町の人名帳では

Rev. W.J. Johnsonは

疑う余地なく Blind Willieだ。



彼はテキサス州ボーモント

フォレスト通り1440の

House of Prayer(祈りの家)で

管理されていた。




これは、ジョンソンの

死亡診断書に記載された

同じアドレスだ。



1945年に、彼の家は

全焼したのだった。




行く宛てがどこもないので

ジョンソンは

彼の家の燃やされた廃墟に

住んでいた。


そして、

8月/9月のテキサス熱さの中で

湿ったベッドで眠ったのだった。



マラリアの熱に罹るまで

彼はこの様に生活していた。


そして1945年9月18日に亡くなったのだ。


(死亡診断書では要因として

梅毒と盲と共にマラリアの熱として

死因が報告された。)







後のインタビューで

彼の妻アンジェリンは

彼女が彼を

病院へ連れて行こうとした。







しかし他の情報によると

彼らは

黒人の彼を拒絶している間に、


彼が盲目であることが

わかったために拒否したのだった。





そして

そして、いくらかの質問が

彼の正確な墓地の場所が

どこにあるかについてあるが。



Blanchette Cemetery

(今まで知られていなかった

場所以外の死亡診断書に

記載される墓地である)は


2009年に2人の研究者によって

公式に位置づけられた。





2010年に、それらの同じ研究者は

墓地にジョンソンの墓石を立てた。








しかし、彼の正確な墓石の位置は

知られていない。




(Blind Willie Johnson の本当の墓とされるところ)



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Johnsonは、1930年代、

40年代を通じて演奏を続け、

1945年に亡くなった。




伝えられるところによれば、

彼の家は焼失し、

焼け跡で寝ている時に

肺炎になったらしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



彼は1945年に亡くなるまで

テキサス州ボーモントで暮らし、



教会の集まりや街角で歌い続けた。




死因は肺炎で、

病院に連れて行かれたが



病院側は盲目である事を理由に

診察を拒否したという。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼はずっと牧師として

赤貧の流しを続け、

1945年に急性肺炎で亡くなった。








自宅が火災に遭った後、

濡れた床で寝ていて風邪を引き、


それでも生活の糧を稼ぐために

路上で歌い続けて倒れたのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
亡くなったのは1945年だった。

自宅が火災に遭った後,

濡れた床に寝ていて肺炎を患い,

それでも生計を立てるために

歌い続け倒れた。





病院が受け入れを拒否して,

彼は死んだのだと

2人目の妻のアンジェリーヌが

証言している。


(アンジェリーヌによれば,

「盲目だったから」病院に

拒否されたということだが,

どうだろうか。








黒人が拒否されることは

頻繁にあった。


人種が理由でなかったとすると,

医療費負担や

その他の障害的理由から

積極的な治療が受けられなかったと

考える方が事実に近いように思う。



いずれにしろ,

事情は複雑で悲惨だったに違いない。
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                     (ウィキペディアより抜粋)

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