◆彼はブラインド(盲目)の人生を引き受けた♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<まるでドラマのような展開>>



ブルーズマンとは

色々なウワサが尽きないかと

思われるフシがありますネ!




「魂を悪魔に売ったおかげで

鬼のようなギターテクニックを

身につけたとか・・・ですネ!」





(「魂を悪魔に売ったおかげで鬼のような
ギターテクニックを身につけたとか・・・ですネ!」)





そうです。

特に黒人の場合ですと

その記録自体が不足している

ケースもありますので、





「なるほど!そうなりますと

益々ややこしい

お話しになったりするワケですね。」





そうです。

今回ご紹介するアーティストも

そのケースです。



「ハイ」




彼の場合は死亡診断書で

出身地が特定されているとか。




「なるほど」




彼は若くして(5歳?)

父親の将来は宣教師になりたいと

告げたそうです。



「 O H ! 」

「それは立派な志しですね。」





そうです。

それでその父親は彼のために

シガーボックスのギターを

作ってくれたのだそうです。




(それでその父親は彼のためにシガーボックスの
ギターを作ってくれたのだそうです。)





「 O H ! 」


「なかなか理解のあるお父さんです。」






そうですね。

ところがです!




「ハイ」

「これは何か急を告げる

展開でしょうか?」





そうです。

彼の母親は彼が4歳の頃に

亡くなっておりまして、



その時、

父親は直ぐに再婚したそうです。




「ホウ~」

「なかなかリカバリーが早いですね。」




そうですね。

ところがその継母が彼が7歳の時に

他の男性と浮気をして


そのことで父親と

言い争いになったそうです。







「ウ~ン」

「まるでドラマのような展開です。」








<<ブラインド・ウィリー・ジョンソン登場!>>



今回ご紹介するアーティストは

ブラインド・ウィリー・ジョンソンです。



(今回ご紹介するアーティストは
ブラインド・ウィリー・ジョンソンです。)




それから父親はその継母を

叩いたそうです。




「これもよくある展開ですネ!」




そして継母は父親に

反撃をします。




「 O H ! 」

「事件の見せ場でしょうか?」





そうです。

彼女は彼の父親に向かって

灰汁(洗剤?)を放り投げたのですが・・。




「ハイ」




その灰汁(洗剤?)が

運悪く彼の目に

入ってしまったのでした。



「あぁ何てコトでしょうか!」

「お気の毒です。」




そのために彼はそれ以来

盲目になってしまったのです。



「何と・・・。」

「そうですか」




しかしこの事件の経緯は

明らかではないのです。




「と、いいますと?」




ある一説によりますと

彼が盲目であるのは、


当時の貧しい黒人家庭では、

胎児期や幼少期の

栄養不足でも起こり得ること

とも言われています。




「と、言うことは

ひょっとしますと

彼は生まれながらにして・・・。」






そう盲目であった可能性も

否定できないのです。




「そうですか。」




はい。

それから誰が彼にギターの演奏を

教えたかもわかっていないそうです。




「ウ~ン」

「また、ナゾですか?」





そうですね。

ただ、彼は盲目のゴスペルシンガーから

彼のラフでしゃがれ声の歌い方の

スタイルを拾ったと言ったそうです。




「そうですか」

「ともかく身に起こった不幸を

嘆き続けずに

前向きに生きている様なので

安心しました。」





彼は10歳近くになる頃には

ストリートで通行人からの

チップを目当てに

ギターを奏でたそうです。




(彼は10歳近くになる頃にはストリートで通行人からの
チップを目当てにギターを奏でたそうです。)





「いいですね。」

「まるでその時の映像が

目に浮かぶようです。」






彼が28歳の頃、

この時は好景気にも恵まれて

彼はストリートの中でも

高給取りだったそうです。




「 O H ! 」

「それはスゴイ!」




その様子は彼と同時期で

同じ通りでプレイしていた

Blind Lemon Jeffersonの様に

素晴らしかったそうです。




(Blind Lemon Jefferson)




「 O H ! 」

意外とお金に結構ウルサイ・・・。」

「イエ!」



「カントリーブルーズの

最初の録音をした彼ですネ!」



「それは益々スゴイです!」









☆God Moves on the Water
by Blind Willie Johnson  ♪



☆BLIND WILLIE JOHNSON -
Trouble will soon be over (1927) ♪



☆Nobody's Fault But Mine -
 Blind Willie Johnson  ♪



☆Blind Willie Johnson
Keep Your Lamp Trimmed and Burning ♪



☆Blind Willie Johnson -
Everybody Ought To Treat A Stranger Right ♪










☆ブラインド・ウィリー・ジョンソン


本名:Willie Johnson

 
(1897年1月22日 - 1945年9月18日)





主に1920年代のアメリカで活躍した、

ゴスペル・ブルーズ・シンガーで

ギタリスト。



彼の歌う歌詞はいつも宗教的で、

音楽は神聖さと

伝統的なブルーズの両方から

描かれており



彼のスライド・ギターの伴奏と

時よりテノールを使い、


しわがれた信じられない様な

低音の声(説明が必要)が特徴だった。



宣教師としても知られた。









< 経 歴 >



Blind Willie Johnsonは

彼の死亡診断書によると


1897年テキサス州ベレナム

(テキサス州テンプルの

彼の死亡診断書が発見される前は

彼の出身地として提案された)


の近くウェーコー南部の

小さな町で生まれたとされる。




5歳の頃、彼は父親に

宣教師になりたいと言った。


そして、その時

彼自身で

シガーボックスのギターを作った。






彼は若くして(4歳?)

母親を失い、

そして父親(George Johnson)は

彼女の死後すぐに再婚した。





ジョンソンは生まれながらの

盲目ではなかった。


しかし、彼がどの様にして

視力を失ったのかは知られていない。





Angeline Johnson は

Samuel Chartersに語った。



(Samuel Charters)




ウイリーが7歳の時に

彼の父親が彼の継母が


もう一人の男性と

つきあうのを見つけた後に

彼女を叩いたそうだ。



この話しによると

継母はそれから

若いウイリーの顔に

灰汁をかけることで

彼を盲目したのだった。




しかし、一説によると

彼の父親と継母は言い争にになり


そして明らかに父親に向かって、

継母は灰汁水を放り投げた。


しかし、灰汁は

彼の目に入ってしまい、

彼は盲目になったそうだ。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1897年に中部テキサス州マーリンの

近郊で生まれた。


その生涯について

詳しいことは分かっていない。




7歳の時に両親の夫婦喧嘩の

トバッチリで洗剤が目に入り

失明したと言われているが、

経緯のほどは不明。




当時の貧しい黒人家庭では、

胎児期や幼少期の

栄養不足でも起こり得ること。




葉巻の空き箱を

加工してギターを作り、


独学で奏法を習得した彼は、

生計を立てるため

弾き語りの辻説教師

(ジャックレッグ・プリーチャー)

としてダラスを中心に流して歩いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(CD "Complete Blind Willie Johnson")



「親父さんは、

ウィリーの母親が死んだあと

別の女性と結婚したんだけれど、



その女が別の男とできてしまい、

そのために、


ウィリーの目が見えないように

アルカリ溶液を顔にひっかけたんだよ。


ウィリーが7歳のときだった」


(CD「コンプリート 

ブラインド・ウィリー・ジョンソン」

ライナーノーツより)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




音楽と宗教に対する

彼の関心は、

早い年齢で始まった。




言い伝えではわずか5歳のとき

彼は大きくなったら

伝道師になると話したそうだ。




同じ時期に

彼の父親は彼に

シガーボックスでギターを作った。


誰が彼にギターの演奏を

教えたかはわかっていない。






しかし彼はマーリンで

Madkin Butlerと言う名の


盲目のゴスペルシンガーから

彼のラフでしゃがれ声の歌い方の

スタイルを拾ったと言った。





彼が10歳の届くころには

彼は通行人が提供するかもしれない

余分な変化のために


夏と冬同様にマーリンの通りで

歌いギターをプレイした。






1925年、彼は父親が農作業をしていた

テキサス州ハーンで生活していた。


父親は毎朝彼を街に連れて行った。


彼は大通の日よけの下を見つけて

そしてパフォーマンスを披露した。







3つの収益性のある煉瓦工場で

ハーンの地域経済は好景気だった。


彼はそこで高給を得ていた。

それはそこで彼と同時期で

同じ通りでプレイしていた


カントリーブルーズを吹き込んだ

最初の偉大なスター

Blind Lemon Jeffersonの様に

素晴らしかった。



(Blind Lemon Jefferson)



                     (ウィキペディアより抜粋)


―――――――――――――――――――――――

◆編集後記はこちら
_______________________