◆天才と狂気は、バイオリンとノコギリ♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<クラブ・オーナーに誘われて>>



「カントリー、ケイジャン、

そしてブルーグラスの

スペシャリストを

父に持ち・・・。」







幼い頃から

音楽に囲まれた生活で、






「更には商業的プロフェショナルたちの

曲にウッ~トリと触発され・・・。」








やがて父に教わった

ギター、バイオリンに飽き足らず、




ドラムス、ハーモニカ、ピアノなども操る

マルチプレイヤーに成長してゆきました。





(ドラムス、ハーモニカ、ピアノなども操る
マルチプレイヤーに成長してゆきました。)







「それから事件が起こりました。」







ナイトクラブに出演中の

T-ボーン・ウォーカー が病気のため、





(ブラウン&T-ボーン)






「何の偶然か?

そこへ通りかかった彼は、



エレキ・ギターを拾い上げて、

ステージに立ち、


”ゲイトマウス・ブギ”

観客を唸らせたのでした。」







そして

彼はクラブ・オーナーのロビーから



(クラブ・オーナーのドン・ロビー)




彼自身のキャリアを

コントロールすることを

説得されたのだそうです。





<<クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンep2!>>



今回ご紹介するブルーズ・マンは

引き続き

クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンです。


(今回ご紹介するブルーズ・マンは
引き続き
クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンです。)






このオーナーのロビーですが、

2年後にレコード会社を設立しました。





「OH!」


「その原因はやはり・・・。」






そうです。

彼の猛烈とも形容される

リフでしょうか。



それには信望者もいて、

彼のギター・ワークを公開するコトに

したそうです。





「なるほど。」

「それにしても商売ッケないですね。」






ひょっとしましたら・・・。




彼のスタイルが

余りにも*前衛的過ぎて

商業ベースになるには、


市場の成熟を待つ必要が

あったのカモしれませんね。







*前衛的とは?

現状に対して変革を志向し、

時代の先端に立とうとするような

立場・姿勢のこと。







「なるほど」






そのためか、50年代の

リリースは商業的に

より成功していなかったそうですが、


それにもかかわらず

音楽的なパイオニアではあったそうです。






「それで・・・。」

「彼は何か成功を収めたのでしょうか?」







そうですね。


1949年リリースの

"Mary Is Fine"

"My Time Is Expensive"

2面の

全国的な大成功のみと言われています。




("My Time Is Expensive")





「 O H ! 」


「その後の活動はどうだったのでしょうか?」









そうですね。


商業的と言うよりは、

やはり前衛的を

彼は常に目指していた様です。





彼の焼けつく様な

インストゥルメンタル曲としては、



☆Boogie Uproar Variation - (Gatemouth Brown) ♪


☆CD Cut: Clarence "Gatemouth" Brown:
Gate Walks to Board







1954年を代表する曲のOKIE DOKIE STOMP!




(OKIE DOKIE STOMP!)



☆CLARENCE "GATEMOUTH" BROWN -
OKIE DOKIE STOMP [Peacock 1637] 1954






これはもうロックンロール!!

☆Clarence Brown - Rock My Blues Away♪





そしてロンサム・ブルーズ、

☆Clarence "Gatemouth" Brown -
Dirty Work at Crossroads (Updated Version) ♪







これらの曲は

テキサスの戦後ブルーズの遺産

と言われているそうです。






それに彼には

こんなエピソードがありました。





「それはどの様な?」






ライブ中に彼は

バイオリンをノコギリで切ると言って

譲らなかったそうです。





「そんなバカな!!」






そう思うのは当然です。

でも、当時の彼の心境は

おそらくは・・・・。





「何でも試してみないと

気が済まないとでも・・・。」






そうです。




常識を常識としない!

いや!出来なかったのカモしれません。






「と、言いますと・・・。」







バイオリンをノコギリで弾いてみたら

それは楽器を壊すのは

誰でも想像できます。




でも・・・。






「でも・・・。」








それ以上に彼は試してみるコトで

自身の欲求を満たそうとしたのでは

ないでしょうか?





(それ以上に彼は試してみるコトで
自身の欲求を満たそうとしたのではないでしょうか?)






「その欲求とは何でしょうか?」





おそらくは、求めても求めても

満足できない!



それは彼自身が、

好奇心(こうきしん)の塊(かたまり)

と言っても

良いかもしれません。





「ハイ・・・。」





それを満たすためだったら

例え楽器を壊そうが問題はなかったのでは・・・。



そして、彼はそれ以上に・・・。





「それ以上に・・・。」






当時の彼の中では

バイオリンとノコギリがフィットしていた!!



それを彼は何処かで

感じていたのではないでしょうか。







「天才(てんさい)と

狂気(きょうき)は紙一重(かみひとえ)

と言われますが・・・。」






ひょっとしましたら

当時の彼は、

その境地に至ってしたのかも

しれませんネ!





「なるほど」





それで彼の飽くなき探究の

バイオリンですが・・・。





「ハイ」





オーナーのロビーが

彼のバイオリンの才能に

興味を持って許したのが、


彼のピーコック・レコード最後の

録音(Just Before Dawn)だったそうです。



(Just Before Dawn)



☆Clarence Gatemouth Brown -
Just Before Dawn♪










☆Clarence Gatemouth Brown -
 Midnight Hour♪



☆Clarence Gatemouth Brown -
 Hurry Back Good News ♪



☆Clarence Gatemouth Brown -
 Depression Blues ♪



☆Clarence "Gatemouth" Brown -
 For Now So Long ♪








☆クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン

CLARENCE GATEMOUTH BROWN

 

本名:クラーレンス・ブラウン



(1924年4月18日 ― 2005年9月10日)


クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンは、

ルイジアナ州出身でテキサス州で亡くなった

アメリカのミュージシャン。





< 略 歴 >




☆1940年 そして1950年代



ルイジアナ州ビントンで生まれ、


ブラウンはテキサス州オレンジで育てられた。



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1947年、ブラウンは

ヒューストンの企業家Don Robeyの

Bronze Peacock nightclubで、




(Bronze Peacock nightclub)





病んだ T-Bone Walker

即席の代理として、


彼自身のキャリアをコントロールすることを

説得されたのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼は、アラジン・ラベル用のセッションで

ジャンプ・バンドのセッティングで

1947年に録音のキャリアが始まった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アラジンの2枚のシングルで騙された後、

ロビーはブラウンの猛烈なリフの

ショーケースとして

1949年に彼自身のPeacock labelを発足した。




そのリフは、 Houston string-benders

(Albert Collins , Johnny Copeland ,





(Albert Collins)





(Johnny Copeland )






Johnny "Guitar" Watson , Cal Green、




(Johnny "Guitar" Watson)






(Cal Green)






そしてより多くのアーティストたちが

ブラウンのリフを忠実に守った。)の

軍団に影響力があることが分かったのだ。




Peacockとその姉妹レーベルのDukeは

50年代60年代を通じて繁栄した。

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1949年、ロビーはブラウンの

巨匠としてのギター・ワークを

公開するために、

Peacock Recordsを設立した。




ブラウンの

"Mary Is Fine"/

"My Time Is Expensive"

は1949年のPeacockのためのヒットだった。




1950年代のPeacockのリリースは、

商業的により成功していなかったが、


それにもかかわらず

音楽的なパイオニアだった。





1951年の "Okie Dokie Stomp"

は特に顕著で、



ブラウンはホーンのセクション

"Boogie Uproar"




("Boogie Uproar")





 "Gate Walks to Board"

を含むこの時期からの

他のインストゥルメンタル)で、

パンチの利いた連続したソロをとった。





"Okie Dokie Stomp"はまた、

1970年代にCornell Dupreeによって

録音され、彼は同様に成功したのだった。




(Okie Dokie Stomp-Cornell Dupree)



☆Okie Dokie Stomp-Cornell Dupree♪





彼の力強いバイオリン演奏に関して

ロビーは、

1959年にPeacockでリリ-スされた

彼の最後の曲"Just Before Dawn" で

彼の録音を許したのだった。









☆1960年代 


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ブラウンは60年代を通じてPeacockに留まった。

R&Bチャートはブラウンの重要性を

反映しなかった。



(彼のヒットは全国的に、1949年の

 "Mary Is Fine"/"My Time Is Expensive"2面の

大成功だけだった。





しかし、彼の焼けつく様な

インストゥルメンタル曲

("Boogie Uproar,"

"Gate Walks to Board,"

1954年有力な "Okie Dokie Stomp")、




音が増大されたロッカー

("She Walked Right In,"

"Rock My Blues Away"),





("Rock My Blues Away")





そして、下劣なローンスター・ブルーズ

 "Dirty Work at the Crossroads")たちは





("Dirty Work at the Crossroads")





リッチなテキサスの戦後ブルーズ遺産の

主要な構成要素だ。






ブラウンはしばしば、新境地を開いた。

・・・50年代でさえ、彼はライブ中に

バイオリンをノコギリで切ると言って

譲らなかった。




しかし、ロビーは "Just Before Dawn"

(1959年の彼の最後の Peacockのレコード)

までブラウンのバイオリンの才能を

捉えることに興味を持っていなかったのだ。

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                     (ウィキペディアより抜粋)


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