◆ステージ・ウォークはドリームの匂(にお)い♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<マルチプレイヤーへの動機付け>>



彼の父親はブルーズではなく、


カントリー、ケイジャン、


そしてブルーグラスの


スペシャリストで


地元で人気の音楽家だったそうです。







「そうしますと、

様々なジャンルの曲を

それはプロなので、

当然、身についているでしょうから・・・。」







「時によっては

即興のアレンジなども

取り入れたりして・・・。」







「その様な行為をするコトで

更にヒトに喜ばれて・・・。」






「音楽を奏でるコトで、

多くのファンに囲(かこ)まれて・・・。」






「その中心には、必ず彼の父親の姿が

あったのでしょうカラ・・・。」





「幼い頃からの

音楽に対するモチベーションは

カ・ナ・リ・のモノではないでしょうか?」







(「幼い頃からの音楽に対するモチベーションは
カ・ナ・リ・のモノではないでしょうか?」)






そうですね。


彼は音楽に関しては

父親以外からも

影響を受けています。






「それは・・・。」


「例えば・・・・?」







カウントベイシー、ライオネル・ハンプトン

そしてデューク・エリントンなどです。






「O H ! 」






彼らの曲は、幼い頃の彼を

”ウッ~トリさせた”そうです。







「彼らの曲との遭遇は

彼の中では、

まるで初恋の様な体験だったのでしょうか?」









そうですね。

当時”商業的にも成功を収めている”

プロのミュージシャンたちですからネ!


それは、カ・ナ・リ・の刺激を

受けたのではないでしょうか。






(それは、カ・ナ・リ・の刺激を
受けたのではないでしょうか。)






「なるほど」







その音楽環境において、

彼は父親からギターとバイオリンを

学んだそうです。





「ホウ!」






彼が彼自身の音楽環境について

こう言っていたそうです。


”その頃は、誰でも音楽を奏(かな)でたのさ”






「このひと言で、彼が音楽に対して

いかにそれが

”自然に接する機会があったか”を

指していますネ!」




「いや~っ!

これは凄いことではないでしょうか?」








そうですね。







「ひょっとしたら・・・・。」



「彼はひょっとしたら生まれる

その以前から、


音楽をするコトを

選択してきたのではないでしょうか?」








ウ~ン。

そこまで来るとどうでしょうか?^^




ともかく・・・。


それから彼はギター、バイオリンの他にも、


ドラムス、ハーモニカ、ピアノなども操る

マルチプレイヤーに成長してゆきました。






<<クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン登場!>>




今回ご紹介するブルーズ・マンは

クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンです。



(今回ご紹介するブルーズ・マンは
クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンです。






「彼のミドルネームの

”ゲイトマウス”とありますが、


少しオカシな響きでは

ないでしょうか?」





そうですね。

ゲイト(門)+マウス(口)で、

”おしゃべり”を意味するそうです。





「あっ!なるほど。」





話しによりますと、

高校時代のインストラクターが

彼の声が余りにも耳障りだったのでしょう。



”ゲイトマウス”

(門のようなギィギィうるさい声)

と非難したそうです。





「そのインストラクター。

余程、虫(むし)の居所(いどころ)が

悪かったのでしょうネ!」





ひょっとすると

彼はヒトを茶化すのが

得意だったのかもしれませんヨ!






「そうとも考えられますネ!」^^






ともかく彼はそのニックネームを

以後、効果的に使ってゆきます。









お話しの流れを戻しますと・・・。




彼のプロとしての音楽のキャリアは

1945年(第二次世界大戦中)から始まったと

言われています。





「それは、ちょっと騒々しい

時代ではなかったのではないでしょうか?」






そうですね。





米国内では戦争が終わった安堵感と、

若い兵士が帰国したことから

結婚と出産が急増。





(米国内では戦争が終わった安堵感と、
若い兵士が帰国したことから結婚と出産が急増。)






いわゆる「ベビーブーマー」と

呼ばれる世代の登場した頃です。




「ちょうど日本で言う

高度経済成長期でしょうか?」







そうですね。





その頃彼はテキサスでドラムを

叩いていたそうです。





「ホウ」






そして彼がプロとして

人気を得たある事件がおきました。





「 O H ! 」






ドン・ロビーがオーナーを務める

ナイトクラブに、



かのT-ボーン・ウォーカー

出演していたときのコトでした。





(かのT-ボーン・ウォーカー が
出演していたときのコトでした。)






「T-ボーン・ウォーカーですか?」





ハイ。



当時T-ボーンは病気がちだった様で

その時もステージに立てる様子では

なかったのではないかと思われます。






「なるほど。」






そこに彼はステージに

普段と変わらない様子で

歩いて行って・・・。





「ハイ」






T-ボーン仕様の

ギブソンのエレキ・ギターを拾い上げて。






(T-ボーン仕様の
ギブソンのエレキ・ギターを拾い上げて。)






「拾い上げて!」

「何とも自然な表現ですね。」







そうです。


1947年に、ギターリスト・デビューを

果したそうです。





「 O H ! ! 」





彼は彼の"Gatemouth Boogie,"で

観客を唸らせたそうです。




☆Clarence "Gatemouth"
Brown Boogie Rambler (1949) ♪






「物凄い!エネルギーの

エクスプロージョン(爆発)を感じます!」





「彼の今までの音楽を中心とした

人生の蓄積がステージに

一気に迸(ほとばし)った瞬間ですね!!」







(「彼の今までの音楽を中心とした人生の蓄積がステージに
一気に迸(ほとばし)った瞬間ですね!!」)





そうですね。


彼は2、3分以内に(投げ銭)600$の

シャワーを浴びたそうです。





「お客さんたちの感動が

カタチになったのでしょうネ!」






当時の彼は資金繰りが

苦しかったそうなので

金銭的にもカナリ助かったそうです。






「でも!それ以上に・・・」






そうです!



いきなりステージに上がって、


当時のビッグネームである

T-ボーン・ウォーカーの代わりに



集まった耳の肥(こ)えた観客を

唸(うな)らせる

そんなアビリティーの高い人物です。






そんな彼を周囲が

放(ほう)っておくワケがありません!







「まさにビッグ・チャ~ンス到来ですネ!」



「ウ~ン!アメリカン・ドリームの

匂(にお)いがしてきました。」^^








☆Roy Clark/Gatemouth Brown -
 02 Justice Blues (Vinyl LP) ♪



☆Roy Clark/Gatemouth Brown -
05 Talk About A Party (Vinyl LP) ♪



☆Roy Clark/Gatemouth Brown -
06 Four O'Clock In The Morning (Vinyl LP) ♪



☆Roy Clark/Gatemouth Brown -
09 The Drifter (Vinyl LP) ♪







☆クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン

CLARENCE GATEMOUTH BROWN

 

本名:クラーレンス・ブラウン



(1924年4月18日 ― 2005年9月10日)


クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンは、

ルイジアナ州出身でテキサス州で亡くなった

アメリカのミュージシャン。




彼はブルーズ・ミュージシャンとして

最も有名であるが、



他のスタイルも取り入れて

古いブルーズ、カントリー、ジャズ、

ケイジャンとしてR&Bスタイルを

総合することで、


純粋主義との戦いに

彼のキャリアを費やしたのだった。





彼の仕事には、また

ロックンロール、ロック・ミュージック、

フォーク、エレクトリック・ブルーズ、

そしてテキサス・ブルーズを

含んでいた。





彼はマルチ・インストゥルメンタリスト

として絶賛されていた。


そして例えばギター、バイオリン、マンドリン、

ビオラならびにハーモニカそれてドラムス

などの多くの楽器を演奏したのだった。





彼は1983年のアルバム Alright Again!で

グラミー賞の

ベスト・トラディッショナル・ブルーズ・アルバム

を獲得した。





(アルバム Alright Again!)






彼はブルーズ・バイオリンで

最も影響力のある演奏者のひとりと

考えられており、



アメリカン・フィドル・サークルの中で

大変な影響力があった。




ブラウンの最も音楽的な影響を受けた2人は

Louis Jordan




(Louis Jordan)





 T-Bone Walkerだった。



(T-Bone Walker)

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80年代、90代と2000年代の

Rounder, Alligator, Verve,

そして Blue Thumbのディスクに迎えられて、



Gatemouth Brownは

断固として分類できない

アメリカのオリジナルである

ということを証明した。

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< 経 歴 >


☆1940年 そして1950年代



ルイジアナ州ビントンで生まれ、


ブラウンはテキサス州オレンジで育てられた。



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テキサス州オレンジで成長している間に、

ブラウンは汎用性についての価値を学んだ。




彼の父親は、ブルーズではなく、カントリー、

ケイジャン、そしてブルーグラスの

スペシャリストで地元で人気の音楽家だった。




後に彼は、 Count Basieのビッグバンド、





(Count Basie)





Lionel Hampton ,





(Lionel Hampton)





そして Duke Ellington



(Duke Ellington )





"Take the 'A' Train"「A列車で行こう」

の熱い編曲はブラウンの目玉のままだ。)

にうっとりした。



☆Roy Clark/Gatemouth Brown -
 04 Take The "A" Train (Vinyl LP) ♪




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カントリー・フィドラーだった

(フランスの伝統的な歌と

ドイツのポルカを含地域の曲を歌い演奏した)

父親よりギターとバイオリンを学んだ。



彼は私たちに以下のことを

思い出させた。:

「その頃は、誰でも音楽を奏(かな)でたのさ」




ブラウンはフィドルを

プレイするようになった。




ギターのイメージが強い彼だが、

この他にヴィオラ、ドラムス、


ハーモニカ、ピアノなども操る

マルチプレイヤーだった。

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彼のプロとしての音楽のキャリアは

1945年(第二次世界大戦中)から始まった。



テキサス州サンアントニオで

ドラムを演奏したのだ。



彼のハンドル・ネームの

 "Gatemouth(おしゃべり)”は

高校のインストラクターが

ブラウンに”門のような声”と

非難したコトからついた。




ブラウンは彼のキャリアを通じて

効果的にそれを使ったのだ。






彼のキャリアは、Don Robeyの



(Don Robey)





 Bronze Peacock Houston nightclubでの




(Bronze Peacock Houston nightclub)






1947年のT-Bone Walkerのコンサートに

出演したことで加速した。





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ブラウンは Don Robeyの有名な

Peacock Club in Houstonのステージを

普通に歩いたことで、

1947年にギターリストとして彼はデビューした。




そして彼は、

病んだT-Bone Walkerが中央のショーに

置いたギブソンのエレキ・ギターを

拾い上げたのだった。




ブラウンは 彼の"Gatemouth Boogie,"で

観客を唸らせた。


2、3分以内に600$のシャワーを浴びた。

それは資金繰りが苦しい日の

かなりの収穫だった。

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                         (ウィキペディアより抜粋)

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