◆そして彼らは”The Headhunters (首狩り族)”と呼ばれた♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<”シカゴ・ブルーズの父”と・・・。>>




「一般には、

子供の頃に憧(あこが)れた

ヒーロー像は・・・。」






「おそらくは

ラジオ(メディア)の中だけの完結した

出来事だったのではないのでしょうか?」







そうですね。






「そして普通、それはそれとして、


自分の人生はそれとは別物だと考えて

日々の生活を繰り返してゆくのではないか

と思います。」







でも、彼は普通とは違っていました。







「彼は楽器を手にとって

自分の憧(あこが)れるヒーローに

近づこうとしました。」








(「彼は楽器を手にとって自分の憧(あこが)れるヒーローに
近づこうとしました。」)






いよいよ行動開始です。






「そのために、

彼は練習をいくら繰り返せば

良かったのでしょうか?」








そうですね。


おそらく彼は

練習が苦になる様なコトは

一切感じていなかったと

思われますネ!








「なるほど!」(^^)








むしろ練習を繰り返すホドに

エネルギーがガンガン!

湧(わ)き上(あ)がってきて!!




それこそ寝る間も惜(お)しんで

練習に取り組んだのでは

ないでしょうか。






(それこそ寝る間も惜(お)しんで
練習に取り組んだのではないでしょうか。)







「それは*ランナーズ・ハイならぬ

レッスン・ハイ!でしょうか?」(^^)







*ランナーズ・ハイ

「マラソンなどで長時間走り続けると

気分が高揚してくる作用。」







そうですね。


そしてステージに立って

プロとして先輩ミュージシャンたちと



セッションを繰り返すなどして

実力を磨いていったのです。







「やがて*機(き)は熟(じゅく)しました。」






*機(き)が熟(じゅく)する


「ある物事をするのに、

ちょうどよい時機になる。」







彼は”シカゴ・ブルースの父”と言われる

”マディー・ウォーターズ”

と出会うコトになるのです。





(”マディー・ウォーターズ”)







<<ジミー・ロジャース続く!>>



今回ご紹介するブルーズ・マンは

引き続きジミー・ロジャースです。




(今回ご紹介するブルーズ・マンは
引き続きジミー・ロジャースです。)







彼の力強いベース・ラインと

正確なリズムを刻む和音は、




シカゴ・ブルースの運命を決した

マディの革新的なサウンドに




欠かすことができなかったと

言われています。







「いいですね。」




「共に実力のある者同士が

高いエネルギーで!


さらに高いパフォーマンスを

実行するのですネ!!」








マディーの方はかなり野心的で

更にカリスマ性もありますので、





自分の思い描く

強烈なイメージに沿った

パフォーマンスが出来る

メンバーと出会えたので、




これはモチロン彼にとってもですが、

マディーにとっても



*願(ねが)ったり

叶(かな)ったりだったのでは

ないでしょうか。







*願(ねが)ったり叶(かな)ったり


「希望と一致すること。

すっかり願い通りになること。」






(マディーにとっても願(ねが)ったり
叶(かな)ったりだったのではないでしょうか。)







「そうですね。」






その強烈な個性のあるバンドが

普通で終わるハズはありません。






「それはゴモットモ!」







マディーのバンドは、


他のバンドがギグを

クラッシュしてしまうホドの


力量があったそうで・・・。






「ハイ」






それで地元のバンドの

仕事を盗(と)っていって

しまうコトも

あったタメに・・・。






「はい」






バンドは

" Headhunters"(首狩り族)や

"cut their heads"(首を狩れ!)

と呼ばれたそうです。





(Muddy Waters:”Headhunters”)






「これは、バンドの力量を認められた

と言うコトでは

素直に喜ぶべきコトなのでしょうが・・・。」





「地元バンドのお仕事を

盗ってしまうとなると

トラブルにもなったのではないでしょうか?」









そうですね。


その飛びぬけたバンドの個性が

新生の「シカゴ・ブルーズ」スタイルの

サウンドを定義づけるまでになったのです。








「色々なトラブルなども

あったでしょうが、


やがてその実力は

誰もが認めるコトとなって・・・。」






「まさに*小異(しょうい)を

捨(す)てて大同(だいどう)に就く

でしょうか?」









*小異(しょうい)を

捨(す)てて大同(だいどう)に就く



「意見の多少の違いは無視して、

大勢の支持する意見に従うこと。


また、小さな違いがあったとしても、

基本的なことがだいたい一致していれば

よしとすること。」







「おそらく地元の皆さんを含めて協力して

新しい時代のシコゴ・サウンドを

創(つく)り上げていったのでしょうね。」








そうですね。

そんなバンドの中で

彼はリード・ギターを

弾いて支えます。







「いいですね。」







1950年代のウォーターズの

古典と言われる曲のいくつかは

彼のギター・サウンドと言われています。






「 O H ! 」






それで、彼もソロとして

2、3のレコード会社を通して

録音はしたのですが、

リリースされないままだったそうです。







「それはまたどうして?」








彼の曲を聴くと分かりますが、



彼のソロの曲は

当時のシカゴ・サウンドとして

流行っていた




マディや

☆Muddy Waters - Got My Mojo Workin' ♪



ハウリン・ウルフの曲の

☆Howlin Wolf - Evil (Is Goin On)♪



情熱的なブルーズに比べて


非常~にあっさりした印象です。






(マディーやハウリン・ウルフの曲の
情熱的なブルーズに比べて非常~にあっさりして印象です。)







「つまりは・・・?」







強(し)いて言えば

聴いた後、物足(ものた)りなさが



どう~しても

印象として残ります。







「そう言えばマディやウルフと比べると

少し大人(おとな)しい感じがしますね。」









彼の場合

どちらかと言うとバックで

メインのアーティストを

サポートするコトに長(た)けていたので、



ソロで始めるにあたって

取っ付きにくさもあったのかと思われます。







「フムフム」






1950年に彼は"That's All Right"のヒット

でソロ活動を本格化したのですが、





(Jimmy rogers:” that's all right”)




☆"That's All Right,"♪







「ハイ」





彼は1954年まで

マディー・ウォーターズの家に

滞在していたそうです。






「彼はこれからソロ・アーティストとして

どの様な展開を迎えるのでしょうか?」









☆Jimmy Rodgers-Sloppy Drunk ♪


☆Chicago Bound - Jimmy Rogers♪


☆Jimmy Rogers With Little Walter
And Muddy Waters - You're The One ♪



☆Jimmy Rogers - Trace Of You♪







☆ジミー・ロジャース JIMMY ROGERS


本名:ジェームズ・A・レーン



(1924年6月3日- 1997年12月19日)


シカゴ・ブルース歌手、ギターリスト

そしてハーモニカ奏者。




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50年代初期、マディ・ウォーターズの

セカンド・ギタリストとして活躍。




ジミー・ロジャースの

力強いベース・ラインと

正確なリズムを刻む和音は、




シカゴ・ブルースの運命を決した

マディの革新的なサウンドに

欠かすことができなかった。






リトル・ウォルター、




(リトル・ウォルター)





時にはエディ・ウェア、

J.T.ブラウンという




(J.T.ブラウン)




ミュージシャンたちによって

サポートされたロジャースのソロ作品は、




当時流行していた

マディーウォーターズや

ハウリン・ウルフらの



情熱的なブルースに比べ、

ずっとあっさりしている。

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<ザ・マディ・ウォーターズ・バンド>




1947年、ロジャース, Muddy Waters

そして Little Walter たちは

シカゴでMuddy Waters' の

最初のバンドとして

一緒にプレイし始めた。




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野心的でカリスマ性のあるウォーターズの

バックでプレイして、



彼らのバンドは他のバンドのギグを

クラッシュさせる力量があるために

"the Headhunters"と、


そして、彼らに勝るコトで

 "cut their heads"として知られる様になった。

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そこでは、

時々仕事を

他の地元のバンドから

盗む彼らの習慣のために

「Headcutters」

または「Headhunters」と呼ばれた。




バンド・メンバーたちは

それぞれ録音し、

ソロのアーティストとして

彼らそれぞれのために

信用のおける音楽をリリースした。






最初のマディー・ウォーターズ・バンドは、

新生の「シカゴ・ブルース」のスタイル

(より特別な”南部”シカゴ・ブルーズ)の

音を定義づけた。





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Regal と Apollo 用と共に

彼は1947年にOra-Nelle label用に

いくらかの曲を録音した。

そして、その曲全てはリリースされないままだった。

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ロジャースはシカゴの小さなレーベルで

彼自身のいくつかのより多くの曲を作ったが、

いずれも同時リリースされなかった。







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ロジャーズは、最初に1949年に

Aristocrat Recordsリリースに関して

録音でウォーターズのバックで演奏した。


そして1955年までバンドリーダーの家に滞在した。

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Chess RecordsのLeonard Chessは

ソロ・アーティストならびに


セッション・ミュージシャンとして

ロジャースの姿を心に描いて、



そしてギターリストはファースト・シングル

 "That's All Right,"をリリースした。

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1950年、彼は Chess Recordsで

"That's All Right"のヒットにより、



ソロ・アーティストとしての

成功を楽しみ始めた。


しかし、彼は1954年まで

マディー・ウォーターズの家に滞在した。





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アナタが耳にする多くの中から

1950年代のウォーターズの古典

"Mannish Boy" 、





"Mannish Boy"





"Rock Me"





そして"Hoochie Coochie Man"





"Hoochie Coochie Man"




それはロジャースのギター・サウンドだ。

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ロジャーズは、

ソロのキャリアを続けるために

1955年ウォーターズ雇用から離れたのだった。

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ハーモニカでは

 Big Walter Hortonと一緒に録音して、

その曲はブルーズのスタンダード曲になった。





(Big Walter Horton)





彼は全員はリスペクトされるべきだが、

特に成功しているワケではなかった。



1957年、しかしながらロジャースは


"Walking By Myself."

でマイナー・ヒットを記録した。






"Walking By Myself."



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1950年代中頃には、彼はChess labelで

いくらかの成功をリリースした。




特に最も "Walking By Myself"の

ハーモニカ演奏では

Little Walter Jacobs

または Big Walter Hortonを

フュチャーした。




(Big Walter Horton&Little Walter Jacobs)




                           (ウィキペディアより抜粋)

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