◆愛するために誰か送って♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。


<<PLEASE SEND ME SOMEONE TO LOVE>>



☆PLEASE SEND ME SOMEONE TO LOVE♪

愛するために誰か送って


(Written by Percy Mayfield)

(作詞:パーシー・メイフィールド)











Heaven please send to all mankind.

天国よ、どうかすべての人々に送って下さい。

 
Understanding and peace of mind.

理解と平穏な心を・・・。


But, if it's not asking too much.

でも、それが無理でないのなら


Please send me someone to love.

愛するために誰か送って下さい。






Show the world how to get along,

世界が上手くゆく方法を教えて下さい。


Peace will enter when hate is gone.

憎しみが去れば、平和が訪れる。


But, if it's not asking too much,

でも、それが無理でないのなら


Please send me someone to love.

愛するために誰か送って下さい。






I lay awake night and ponder world troubles.

夜中に目覚めて、世界の問題を考えます。


My answer is always the same.

答えはいつも同じ。


That unless men put an end to all of this,

このすべてに終止符を打たない限り


Hate will put the world in a flame, oh what a shame.

憎しみは世界を炎へと投じる、あぁ、何と恥ずべきことだ。






Just because I'm in misery.

惨(みじ)めさに浸(ひた)っている


I'm not begging for no sympathy.

同情して欲しくない訳じゃないのです。


But if it's not asking too much,

でも、それが無理でないのなら


Please send me someone to love.

愛するために誰か送って下さい。


Please send me someone to love.

愛するために誰か送って下さい。





Just because I'm in misery.

惨(みじ)めさに浸(ひた)っている


I'm not begging for no sympathy.

同情して欲しくない訳じゃないのです。
 

But if it's not asking too much,

でも、それが無理でないのなら


Please send me someone to love.

愛するために誰か送って下さい。


Please send me someone to love.

愛するために誰か送って下さい。







「何でしょうか?

悲しみに暮れている様ですね。」






そうですね。





「これはもう個人レベルの問題を

遥かに越えている悩みを

訴えているのでしょうか?」








そうですね。



この歌詞が書かれたのが

第二次世界大戦が終決して、

世間に平穏な空気に包まれるか・・・。



と、その時に、

今度は朝鮮戦争が勃発したのです。






(今度は朝鮮戦争が勃発したのです。)







「と言うコトは、

また若い兵士が故郷を離れて

家族や知り合いから

異国の地で戦争に参戦して行ったのですね。」








そうです。



当時の方たちにとっては

これはある意味。



皆さん自身のあらゆる局面・・・。





「それは・・・。」







例えば・・。


戦地へ行った息子たちの身を案じたり、



中には喜んで参戦した方も

いたかもしれませんが・・・・。




どう考えても

いくら戦略上の都合とはいえ、



人間同士が争い合うのは、

正常な状況とは

言えないのではないでしょうか?







(人間同士が争い合うのは、正常な状況とは
言えないのではないでしょうか?)






それでも、当時としては

世界の大きな流れに逆らって生きるには

とてもリスキーなワケです。






「お大きな勢力には

従うしかないのですね。」







そうですね。



先ほどおっしゃた様に

これは個人では全く解決できる

レベルの問題ではないと思われます。






「なるほど。」






そして、当時の方たちは

ある意味、無力な自分と

直面するになったのかもしれません。






「なかなかハードな体験ですよね。」





そうです。


そんな時、この曲がリリースされたのです。





☆PLEASE SEND ME SOMEONE TO LOVE♪







<<パーシー・メイフィールド登場!>>



今回ご紹介するR&Bシンガーは

パーシー・メイフィールドです。




(今回ご紹介するR&Bシンガーは
パーシー・メイフィールドです。)





「いや~っ!

なかなかのイケメンではないでしょうか?」






そうですね。



彼はどうやら作詞が先行して

才能を開花させたシンガーの様です。





「今までにないタイプですね。」





ええ。


ですから。かなり繊細な感性の持ち主とも

言えるのではないでしょうか?






「なるほど。」


「それは歌詞からして、

その様な印象は受けますね。」







そのためでしょうか。



彼にしてみたら、

なかなか実践する場が

与えられなかった様です。






「確かに控えめな性格は、

この業界では、

なかなか芽が出にくい

条件でしょからネ!」






25歳で小さなレーベルでの

吹き込みをして・・・。





「OH!ようやく

音楽キャリアの始まりでしょうか。」






それでレコード会社への営業も

行ったところ。





「はい」




そのレコード会社のボスたちが、

彼の歌詞への穏やかなつづり方を

非常~に気に入ってくれたそうで・・・。





「O O H!」





そのボスたちは彼に

オールスター・バンドと共に

レコーディングをする様に勧めたそうです。






「か・な・り・の気に入られ様ですね。」






(「か・な・り・の気に入られ様ですね。」)






そうですね。

その曲は2,3年の間

着実に売れていったそうです。






「なるほど。」






そして次のリリ-スは、

最初に歌詞をご紹介したこの曲です。




☆"Please Send Me Someone to Love"♪


(愛するために誰か送って)




「OH!」




この曲は、1950年リリースのシングルで

R&B No1ヒットを達成しました。





「彼はついにやりましたね!」






そうです。


ちなみに、この曲は

確か10万枚のセールスを記録したそうです。






「いや!素晴らしいです。」






それから彼はヒットを飛ばして、

彼は最高ランクの

ブルーズ・バラード歌手として

結実していったそうです。






「控えめで、しかも繊細な性格。

なかなか実践できずに、



彼も内心、ヤキモキしていたかもしれませんが、

ようやく今までの努力が報われたのですネ!」





そうですね。

ようやく彼はきらびやかなステージの上で

観客に向かってパフォーマンスを実践するコトが

できる様になったワケです。






「本当に良かったです。」







ところが・・・ですね。





「ハイ?」






彼は32歳のときに自動車事故に遭ってしまい。

それによって、


顔に大きなキズを負ってしまったのです。







☆Percy Mayfield / Gone Astray♪


☆Percy Mayfield "Ha Ha in the Daytime"♪


☆Percy Mayfield - Highway Is Like A Woman♪


☆Percy Mayfield - How wrong can a good man be♪








☆パーシー・メイフィールド PERCY MAYFIELD


(1920年8月12日- 1984年8月11日)






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苦悩を受けた天才たちを好む

才能あるアナタのために、



パーシー・メイフィールドは、

リズム&ブルーズの歴史の中で



最も偉大なソングライターで

あったかもしれない。


彼は確かに音楽がこれまでに知られていた

最も妥協を知らない厳しい曲職人だった。






ロバート・ジョンソン





(ロバート・ジョンソン)






彼のコースの上に悪鬼より前にとどまるために

「動き続けなければならない」

・・・かもしれない。その間、




パーシー・メイフィールドは、

(彼には)実践するための場所がないと

いうことを知っていた。






彼の声と音、彼の歌詞の微妙な箇所に

アナタは日々の生活の恐怖のために

追従する彼を聴くコトできる。




そして、(彼は)当然の事として

自分自身のような繊細な魂を

バラバラにした世界に生まれる

くそいまいましい運をあきらめたのだった。





彼はこれらの孤独な感情を取り出して、

そして古今の最も偉大なリズム&ブルーズの

いくらかにした。



そしてもちろん、

彼にはひとつストーリーがある。


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< 経 歴 >



メイフィールドは、北西部ルイジアナの

ウェブスター教区の中心地の

ミンデンで生まれた。



若き頃、彼の詩の才能は

彼を作詞作曲そして歌へと導いた。






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メイフィールドは

ティーンエイジャーの時ルイジアナを離れ、

少しヒューストンの周辺を蹴って、

西海岸に洗った。


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彼はパフォーマンスの

キャリアはテキサスで始まった。


そして戦中の1942年に

カリフォルニア州ロスアンゼルスへ移った。


歌手としての成功は

無縁の日々が続いた。




1947年、小さなレーベルSwing Timeと

彼は契約を交わし、

"Two Years of Torture”(苦悩の2年間)


を録音した。


その曲はJimmy Witherspoonが好みそうな





(Jimmy Witherspoon)





曲と言うことを当て込んで彼が書いたものだった。





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大部分の伝記では1949年で

彼の音楽キャリアの始まりとしている。

おそらく彼の歌 ”Two Years Of Torture ”を

 Jimmy Witherspoonに売り込むために。


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メイフィールドはSupreme Recordsを

買い手として考えていた。




しかし、シュープリームのボスたちには

彼の歌詞の穏やかなつづり方が

非常~に気に入られたのだ。





彼らは彼がサックス奏者Maxwell Davis、





(Maxwell Davis)






ギターリストChuck Norris、




(Chuck Norris)






ピアニスト Willard McDanielからなる





(Willard McDaniel)





オールスター・バンドと共に

1947年に録音することを主張したのだった。





これが彼にひとつの音楽キャリアへの道を

セットしたのだった。








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これはよく起こったかもしれないが、

しかし、私が読んだ実質的にあらゆる伝記を

無視するものだ。


それは、メイフィールドが

少なくとも2年(おそらく3つ)早く、



ベイエリアで Gru-V-Tone label用に

Two Years Of Tortureのバージョンを

すでに録音していたということだ。


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曲は次の2,3年間着実に売れていった。




1950年、Art Rupeを後見人に、





(Art Rupe)





彼のレーベルSpecialty Recordsのロゴと

メイフィールドは契約をした。




そして次の2年間にわたって

R&Bをスマッシュする

堅実なランキングを記録した。







彼のヴォーカル・スタイルは

Charles Brownのようなスタイリストによる

影響を受けたが、


彼は多くの西海岸ブルーズマンと違い、

白人のマーケットにフォーカスはしなかった。



むしろ、彼は穏やかなヴォーカル・スタイルで

そのほとんどは彼所有の

ブルース・バラードを歌った。










彼の最も有名なレコーディングは

"Please Send Me Someone to Love",

(愛するために誰か送って)で、

1950年のシングル R&B No1ヒットを達成、


その曲は広く影響を与えて、

他の多くのシンガーたちに録音されたのだった。







そしてその曲に匹敵する強力なフィリップ

"Strange Things Happening"

(奇妙な出来事) は


 "Lost Love,"

(失なわれた愛)


 "What a Fool I Was,"

(なんておバカなワタシ)



 "Prayin' for Your Return," (待っています)



"Cry Baby,"

(クライ・ベイビー)



そして"Big Question,"(ビッグ・クエスチョン)

によってチャート内を追われて、




メイフィールドの評判は最高ランクの

ブルーズ・バラード歌手として結実していった。








(サックス奏者の )デイビスは

同様にメイフィールドのスペシャリティでの

サックスのパートを担当した。





メイフィールドの歌詞は通常

彼のテンポとして

穏やかで洞察に満ちていた。





彼は彼自身の脆弱さとペーソスを加えた

最も深い感情を表現する

本物のマスターのひとりだった。


(彼の "Life Is Suicide"

(人生は自殺)と



"The River's Invitation"

(川への招待)

などは2つの良い例だ。)






1952年自動車事故

メイフィールドは

重症を負って、その時の顔のキズが

彼のパフォーマンスを制限することになった。




                (ウィキペディアより抜粋)


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