◆貫(つら)く姿勢はすべてを叶(なか)える♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。



<<あなたが必要とするのは?>>




心から真剣に興味を持って

学ぼうとする・・・。


その姿勢。




その姿勢を貫く限りにおいては、




多くの方たちが

何か始めるにあたって必要とされる・・・。



例えば、

お金、時間、人脈などは・・・。






どうでしょうか?







(例えば、お金、時間、人脈などは・・・。
どうでしょうか?)








「まぁ!コト(学び)を

始めるの当たっては、」







「やはりカタチから入るのが

順序だと・・・。」






「そう教育を受けてきた様に

思いますが・・・。」









まずは伝える内容はわからなくても

カタチを繰り返すコトで、




そのカタチの奥に潜む、

それを敢(あ)えて”真理”とか

”普遍性”と呼びましょうか。






そのカタチを超えたモノ。

それを体得するコトが出来る。





それは言うなれば

”道(みち)”と呼ばれた

華道、剣道、柔道、茶道などですね。




おそらくそれらは

その様な修養法を

採ってきたかと思われます。





(まずはカタチから入る・・・。)





でもその様なご縁がない場合は

どうでしょうか?






「口伝(くちづ)てにでも探しますネ!」







そして実践の方はどうでしょうか?






「変なクセがつくと

後で直すのに困りますので、

先生が見つかるまで保留にします。」







そうきましたか?

ある意味、それは賢い選択かもしれません。






「ハイ!」






今回ご紹介のジャズ・マンは

ピアノのレッスンが受ける

金銭的余裕がなかったので、



自身の努力で

実践的実力を身につけた方です。






「一体どのような

工夫をされたのでしょうか?」






ハイ!


お姉さんのレッスンするのを

耳で憶(おぼ)えて、



その曲をおそらく日曜日でしょうか?


教会が終わった後に

そこのオルガンを使って

メロディー拾いをしたそうです。






(教会が終わった後にそこのオルガンを使って
メロディー拾いをしたそうです。)






「やりますね。」






ハイ。



あとよく耳にした深夜放送に

その後の音楽のスタイルの

影響を受けたそうです。






「それは凄いですね。」







自身の身の回りにある

ありとあらゆるチャンスに

耳を傾(かたむ)けたのですネ!







<<ジェイ・マクシャン登場!>>




今回ご紹介するジャズ・マンは

ジェイ・マクシャンです。



(今回ご紹介するジャズ・マンは
ジェイ・マクシャンです。






彼は高校時代にはサックス奏者と

連れてプロのミュージシャンとして

活動をしていたそうです。





「これは才能でしょうか?」







それもあるかとは思いますが、



やはり、



それにも増して

彼の音楽に対する姿勢が

一番大切だったのではないでしょうか?。






音楽に対して

心から真剣に興味を持って

学ぼうとする、


そのパッション(情熱)。



それを貫いたからではないでしょうか?





(音楽に対して心から真剣に学ぼうとする、
そのパッション(情熱)を貫いたからではないでしょうか?)







「なるほど。」






彼は在学中に資金不足で

自主退学をしますが、





「ハイ」







ふと立ち寄った

バンドのリハーサルに

ピアノの欠員があったそうで、





「ハイ」






そこで彼はピアノ・マンとして

自ら立候補します。






「OH!凄い勇気です。」




「私だったら、

腕に自身はあったとしても

トンデモナイ行為です。」







実は彼は楽譜が読めなかったのです。






「OH!私だったらお先真っ暗で

卒倒しています。」






ところがそのバンドのメンバーは

彼のセンスそれと彼の姿勢を

見越したのでしょう。





「ハイ?」







そのバンドのメンバーは

親切に譜面の読み方を教えてくれたそうです。





(そのバンドのメンバーは
親切に譜面の読み方を教えてくれたそうです。)







「それはラッキーでしたネ!」


「良い人たちに恵まれました!」







そうですネ!


それから彼は凄いスピードで

吸収していったそうです。






「なるほど。

彼の誠実にで学んでゆく姿が

浮かんでくる様です。」




「実に微笑ましいですネ!」








それからそのバンドを離れて

長距離バスの2時間の休憩中に

とあるクラブに立ち寄り、



そこでトリオで

採用されたそうです。






「またふらり立ち寄ったトコロで採用すか?」




「それは偶然にしてもスゴイですネ!」





「そしてそれは。

かなりの実力がなくては

ならないかと思います。」




「それと。

彼もヴァージョンアップしていますネ!」








その時、実は、

彼はお金がなかったのです。







「ハイ!

それはいつものコトでしたネ!」^^






そのコトをメンバーの

ひとりに告げると・・・。






「ハイ」






その彼から部屋のカギを渡されて

こう言われたそうです。





「何を告げられたのでしょうか?」






”君は好きなだけココ(この部屋)に

いてくれていいよ。”



”僕は彼女(ガールフレンド)の

トコロへ泊まるから”



ですって。





(”僕は彼女(ガールフレンド)のトコロへ泊まるから”
ですって。)






「いや!そのメンバーの彼!

カッコいいですネ!」





「それは例え彼には彼女がいる。

そのコト自慢をするにしても・・・。」








さて、どうでしょうか?






心から真剣に興味を持って

学ぼうとする・・・その姿勢。





その姿勢を貫く限りにおいては、





皆さんがまず必要と思える・・・。





お金は?



「バーにすぐに採用され、当分は問題なしです。」






時間は?



「好きなことを実践できる時間を持てています。」







人脈は?



「メンバーの協力で

譜面が読めるようになって、

さらに寝床がフリーで手に入りました。」







どうでしょうか?




必要なモノは?




「すべてその後からついてきましたネ!」








☆Jay Mcshann - Swingmatism ♪


☆Jay Mcshann - Sepian Bounce ♪


☆HOLD 'EM HOOTIE by Jay McShann 1941 DECCA Sepia Series ♪


☆Jay Mcshann - Mcshann's Boogie Blues ♪







☆ジェイ・マクシャン Jay McShann



本名:ジェームス・コロンブス・マクシャン


 ( 1916年1月12日- 2006年12月7日)


ジャンプ・ブルーズ、メインストリーム・ジャズ 、

そしてスウィングバンドリーダー、

ピアニストとシンガー。




1940年代の間、マクシャンは主に

カンザスシティーからブルーズと

ハード・バップ・ジャズ・ミュージシャンの

最前線にいた。




彼は彼自身のビッグバンドを集めた。

最も有力なアーティストの何人かを含めた

音楽家たちで構成され、


それには、Charlie Parker, Bernard Anderson,





(Charlie Parker






Bernard Anderson)






 Ben WebsterそしてWalter Brownなどがいた。






 (Ben Webster)






(Walter Brown)






彼の音楽は"the Kansas City sound"として

知られる様になった。










< 略 歴 >



偉大なベテランのピアニスト・ジェイ・マクシャン

(別名Hootie)は長いキャリアを楽んだ。



そして、主に彼を単に

若きチャーリー・パーカーを

出演させたオーケストラの指揮者だけと

みなすことは不当だ。




Hootieとあだ名で、マクシャンは1916年1月12日

オクラホマ州、マスコギーで

ジェームズ・コロンブス・マクシャン

として生まれた。




彼の父はレコードを販売して家具屋で働いた。

また、マクシャンにベッシー・スミス





(ベッシー・スミス)






ジェームズ・P・ジョンソン
のブルーズを聞く






(ジェームズ・P・ジョンソン)




最初の機会を与えた。





彼は家族の不承認にもかかわらず、

家庭のピアノでブルーズの演奏を

独学したのだった。





マクシャンの両親は熱心な信者で

姉のピアノのレッスン料を

なんとか支払っていたので、


彼のレッスンへの金銭的に

余裕がなかった。





しかし彼は家での

そしてあとで教会のオルガンでの

妹の演奏を聞いて、


メロディーの拾い方を発見した。






音楽的にみると、彼の教育は

シカゴのGrand Terrace Cafeからの

Earl Hinesの深夜放送から生まれた。






(Earl Hines)





「Fatha「ハインズ」が放送されないときは、

私はベッドに向かった。」






1931年、ハイスクール時に、

マクシャンは サックス奏者Don Byasに

導かれ、プロの音楽家として働き始めた。




タルサの周辺、オクラホマそして

アーカンソーの近くで活動した。






彼はフィスク大学に入った時点で、

彼はピアノを選択することが出来た。



それには彼が楽譜の読み取りを学ぶ

以前に若干の時間を必要とした。





資金難に陥って、

マクシャンは彼のコースを途中退席して、

タルサへハイキングに行った。







「タルサに着いたすぐ後、

私はいくつかの人がリハーサルを

しているのを聞いた、

そのホールを通り過ぎていた。



それはAl Denny's bandだった。

そして彼らにはピアニストが不在だったんだ!




私は座って、彼らの話を聞いて、

彼らの演奏した曲を記憶したんだ。




私は彼らのひとりに会うために

(舞台に)上がり、そして言った。

”見てくれ、私はこれらの曲を演奏できると思う”




彼らは私の前に楽譜を置いた、

そして、彼らは私がそれを読んでいると思った。




私は良い耳があった。


しかし、彼らは私が(譜面を)読めないと

すぐにわかったんだ。



それから、彼らは私を助けてくれた。

そして私は早い速度で学んでいったんだ。」






デニーのバンドの後、

彼がアーカンザスシティーで

失業していることにようやく気づくまで、


マクシャンはいろいろな領域バンドと

ともに働いた。






彼は、おじが住んでいた

オマハに向けて出発した。



バスがカンザスシティーでの2時間の

長い休憩をしたとき、

彼はリノ・クラブに行って、演奏した。




彼は、トリオで仕事をすぐに提供され、



「私はお金をあまり持っていないと

ミュージシャンのひとりに言ったんだ。




彼は”私のアパートのカギを受け取ってくれ”



”君は居たいだけ居てくれよ。

私はガールフレンドのところへ泊まるから”

と言ってくれた。」





              (ウィキペディアより抜粋)

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