田尾屋玲子堂本舗 -8ページ目

田尾屋玲子堂本舗

戦争や飢餓のない平和な世界をめざして…。


吾輩は猫にはなれぬ 旅愁かな

またもや大きく時期を逸してしまったのであるが…

 

 
11月後半、漱石の心の桃源郷、小説「草枕」の舞台を訪ねるべく、
夜行高速バスで九州へ渡った。
まずは、熊本市内に宿をとり、漱石が松山中学を辞めたあと教鞭をとった、
熊本五高(現・熊本大学)を訪ねてみた。
熊本大学の敷地内に「五高記念館」として、門柱や校舎の一部が現存している。
小泉八雲もここで教えていた。


 


 
  
五高記念館は、NHKの坂の上の雲の撮影にも使われた。
大学予備門の試験のシーンでは教室が、陸軍大学校の設定では
門柱あたりが登場したと思う。


 
 

 

 愛媛にいると、バリィさんよりかわいいゆるキャラはいないように思いがちだが、
熊本へ行ってみると、まちじゅうに「くまもん」があふれていて、
表情も動きもあって、とっても可愛いく思えてくる(*^。^*)!

 

  
熊本城

火の国や黒のひきたつ城の秋
 
1601年、加藤清正築城の、熊本城にも行ってみた。
「武者返し」と呼ばれる、とても急な反りが美しいとされる石垣の上に、五重六階の大天守と、
二重ニ階の小天守が並んでいる。


 

 清正の築いた天守は明治10年に焼失し、現在の天守は昭和34年に復元されたものである。

 



「いきなり団子」というのが美味しそうだったので


 

 お城をながめながら食べた。(*^^)v



錦秋の熊本城をあとにして…






 


熊本時代に結婚した漱石。この頃
は比較的精神状態がよく、
ここ(内坪井の家)で、長女が生まれた。












漱石の桃源郷  小天( おあま )温泉


熊本駅からバスで40分、念願の小天(おあま)温泉に到着*\(^o^)/*。
漱石が明治30年に訪れ、とても気に入った地だ。
ここでの体験がベースになって、後年名作「草枕」が誕生した。






 

漱石が滞在した、前田案山子の別邸が、部分的に現存している。





かんてらや師走の宿に寝つかれず  漱石


 



 

崩れかけながら、浴室も残っていて、草枕の重要なシーンを脳裏に重ね合わせると、
なるほど…と、その世界に浸ることができるヾ(@⌒ー⌒@)ノ。


草枕交流館は私一人の貸切状態で、ガイドの方がつきっきりで詳しく説明してくださった。
なだらかな坂を登ると草枕温泉というのがあって、露天風呂を楽しんだ。
秋の日差しを軽く浴びながら、眼前に広がる真っ青な有明海に雲仙を臨めば、
心と体の凝りがほぐれ、漱石が求めた、非人情の境地を味わえるような気がした。

有明に向いて秋の湯気白し




秋天に自由の枝を伸ばしけり


 



県立美術館では、細川コレクションの常設・企画展示で名品の数々を鑑賞し、
くまモンケーキを食べた。



福岡市周船寺

一度行ってみたかった、博多の西の「周船寺」。

駅から7~8分の、西区泉公園は閑静な住宅地の中にあった。
ここには昔、海軍の小さな基地があり、昭和19、20年頃、
父が予科練の訓練を受
けていた場所だ。


 


公園の片隅に記念碑が建っているが、ここにかつて
海軍の基地があったことを知る人はほとんどいない。



 
私も父の生前には場所も何も聞いたことはなかったが、
父の最晩年の日記にメモがあった。
(父メモ)
予科練へ行ったことは母に心配をかけた。博多の西の、
福岡海軍航空隊周船寺分隊に所属していた。
終戦になり「米軍が上陸してくる。飛行兵やから早く帰れ」と言われ、
航空隊で百円札1枚を渡された。切符も買わずに列車に乗り、帰ってきた。
近所で一番早く、8月20日には帰っていた。
近くの親が「田尾には帰っとるぞ」ということで、家へ尋ねにきた。
とにかく早く帰っていた。




今のわたくしより35才も若い"父ちゃん"



 
明月につづけとビルの灯りかな

またもや、かなり時期を逸してしまったのであるが、
猛烈な暑さを記録した夏を後にして、ようやく秋が訪れた。


大好きなぎんなん。電子レンジ1分でこんなにきれいに美味しくなる。

 
手まり寿司を作った日もあった。(もはや回顧調となるこのごろ。)


 丸いものが好きなので、いただきもののジャガイモで
まんまるのコロッケを作った日もあった。またもや回顧調となる(笑)。


 


これは、マッシュルームにベーコン、たまねぎ、にんにくなど乗せてるだけ。


適当に、この秋我が家の食卓にのぼったおかずを並べてみることにする。
夏でも美味しいが、芋煮きシーズン以降、冬じゅうずっと美味しい。

 

  
 

坊ちゃん・マドンナよりお似合いかも知れない「坊ちゃん・八重さん」の
コップ酒。そもそも坊ちゃんはマドンナのような女が嫌いだったはずなのに
松山ではなぜ勘違いしたのかこの2人をペアにしたがる。不思議だ。



 
 

れんこんも好物なので、よく使う。
カリカリするほどシャキシャキしている(?)のが好きなのに
たまに失敗して随分やわらかくなってしまうことがあるけど。



 
 


イカも好物だ。新鮮なさしみは甘味があって大変美味だが
「イカそうめん」というヤツは苦手だ。イカはイカ、そうめんならそうめんが良い。
  里芋や茄子と甘辛く煮付けたものも美味しい。



 
 


松山長茄子、という妙に長細い茄子、あれは苦手だ。今年は、
ずんぐり丸っこくて可愛い、イタリアン茄子が気に入り、
ひき肉を乗せて焼いたりして何度か食べた。柔らかくて美味し~い。

  
 


アジの開きも好物だ。

 


ビール「秋味」は、毎年秋の入り口頃に何度か買う。
熱燗に移行するまでのわずかの間だけ。

 


シチュー・グラタンなどが恋しくなる初秋の休日の一品。
切ってない3斤食パンの端のところをBOX様に切って
グラタンを作って入れてパンケースごと焼き上げる。
 

 

 


 これは、たしか・・・味噌煮込みうどんか何かだったかな?

  


またやってきた、道後温泉(^^♪

 
 


道後温泉本館

 


 坊っちゃん」登場人物人形

  


坊っちゃん

 


 
道後温泉、部分修繕担当、下足箱担当、貸しタオル担当の
温泉ゆるキャラ、T・Hさん。


 
貸しタオルの袋詰め終了!!

 
 



 昇りたくあらば昇れよ名月よ

 

 
 
 
 
 
 

 


   またもやかなり時期を逸してしまったのであるが、この夏の平和企画について投稿しておこうと思う。




アーサービナードさん講演
 「ピカが教えてくれたもの」

7月20日、「憲法9条をまもる愛媛県民の会」第10回総会が、愛媛大学グリーンホールで開催された。記念講演は、アーサービナードさん(詩人・絵本作家)



 講演で聞いた話のメモと、同じく7月に開催した「第11回平和展」の写真を交互に掲載してみよう。
 写真をチラチラ、文字をチラチラと、さらっと眺めながら、平和について考えることができる。と思うから。


<メモより>
  日本人がうっかり聞き流してしまうような“ことば”に着眼したお話の数々は、なるほどとうなずかせる、核心に迫る内容で、引きつけられました。

太平洋戦争時、日本中を焼け野原にした焼夷弾。「焼夷弾」といえば、戦後の日本人なら誰もが強い反発を持つので、同じ物なのにベトナム戦争では「ナパーム弾」と言い換えて何だかわからなくしてしまって批判をかわした...こと。広島で初めて「ピカドン」という言葉を聞いた時の、あれっ?という不思議な感覚。アメリカで、戦争を早く終わらせるために必要だったと教えられてきた「原子爆弾」や「核兵器」という言葉が、原爆を作って使う側の言葉なのに比べて、「ピカドン」は、落とされる側、生活者の側の言葉だと感じたこと。自分をその場に立たせてくれる。
        
     

                  講演後の著書販売とサイン会


 今、NHKでは、原発の「再稼働」と言わず「運転再開」という言葉に置き換えて、事故や不調で止まっていたものが再開されるのはいいことだと思わせるよう誘導し、再稼働への批判をかわそうとしている。

               

第11回平和展ポスター

明日が投票日の参院選について、マスコミは盛んに「ねじれ国会のゆくえが最大の焦点」などと言うが、「ねじれ」とは肯定的な意味に使われることがほとんどない言葉で、「ねじれ」は「直す」「もとに戻す」ことが基本とされる。衆参両院の多数派が異なることを、否定的な意味の言葉に選挙プランナーが置き換え、マスコミが流している。



 


 


 

-などのお話は、ちょっとした言葉にも敏感にならないといけない、と思わせられました。また、広島と長崎、2度も落とされた原爆についても強い批判を持たれていました。


 



ミッドウェー海戦以降、もうズタズタの負け戦になっている日本をなぜその後2年半も弄んだのか。沖縄へ上陸する必要など全くなかったのになぜあれほどひどい地上戦を行ったのか。





 



本土を焼夷弾で焼き尽くし、そしてなぜ2度も原爆を落としたのか。日本人がお鍋や寺の梵鐘を供出して溶かしている頃、アメリカ人は畳職人から畳を集めてアジア人を大量虐殺するための実験を繰り返し、燃え広がりやすい焼夷弾を開発していた。




 


マンハッタン計画では、1940年にはプルトニウムを作りだす技術が確立し、1942年12月にはプルトニウム作りが本格化する。

                 集団自決のあった慶良間諸島の写真



1945年7月16日ニューメキシコで史上発の核実験が行われ、広島、長崎がその後に続く。




           
17歳当時の父。福岡航空隊周船寺分隊所属



ウラニウム235を使った広島型原爆は、無駄の多い効率の悪い技術で、長崎では、マンハッタン計画で成功した技術でプルトニウム239を使った原爆を落とした。原爆開発の流れを見ていくだけで、原爆投下と太平洋戦争の終結とは何も関係ないことが自然とわかる。




               

今年の平和展では、日本軍「慰安婦」問題資料、731部隊跡視察報告、
ロンゲラップ島(核実験)島民支援代表団報告、日出生台演習場視察報告などの展示も。

 


 




 


 

プルトニウム型の原爆の技術が確立するまで戦争を引きのばしておいて、人間の生活する頭上で炸裂させて威力を世界に誇示することによって、戦後の世界支配の場で優位に立つ狙いがあった。




 


 

流暢な日本語で、大笑いもさせられながら、内容の深い90分ほどのお話に聞き入ったことでした。終了後の著書の販売・サイン会も大賑わいでした(*^^*)




 


 

                  高知から来られた語り部の和田忠明さん

                    老いも若きも耳を傾ける



                   恒例の松山YWCA朗読劇


 

                                     野本彰雄さんの遺した手作り資料群の一部
                                  残念ですが、野本さんは今年7月6日他界されました。